主任司祭の窓

主任司祭 場﨑洋神父
主任司祭 場﨑洋神父
            教会の庭
            教会の庭

年間第20主日 集会祭儀    2014年8月17日

今日の司式は 佐藤謙一 神学生です

キリストとカナン人の女 ジェルマン・ドルーエ 1784年
キリストとカナン人の女 ジェルマン・ドルーエ 1784年

福音朗読 マタイによる福音書 15章21~28節

イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、 「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。 娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。 「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
そこで、イエスはお答えになった。 「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

佐藤謙一 神学生  教話

813日から今日17日まで、「アジアン・ユース・デー」の本大会が韓国のテジョンで開催されています。教皇フランシスコも814日から訪問されております。815日にはテジョンのワールドカップ競技場で聖母被昇天のミサが行われました。そのミサの説教の中で教皇は、韓国のキリスト教徒たちが社会の様々な場において精神的刷新のための大きな力となっていくことができるよう聖母の保護を祈られました。 

 またその説教の中で、多くの人々が物質的な豊かさに魅せられて、精神的なものや文化的なものの価値を見失っているという状況に注意を促しています。外面的に豊かであっても、内部に苦しみや虚しさを抱える社会に宿る絶望に、福音の希望によって対抗するよう信者らを励まされました。そして教皇は、喜びと信頼をもって「アジアン・ユース・デー」に集った若者たちの、希望を失わせてはならないと呼びかけられました。
 今日の福音でカナンの女---異邦人の女性ということ---はイエスの前に現れて、自分と自分の娘のいやしを求めます。ひたすら謙虚に救いを求める姿勢がイエスの心を動かしていきます。救いは異邦人であるカナンの女性にも実現するという内容です。

 第一朗読で、イザヤは神の言葉として、「主のもとに集って来た異邦人が…わたしの契約を固く守るなら…わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す」と伝えています。イスラエルの民だけではなくすべての民が神の救いにあずかることができると、すでに旧約の時代から言われていることがわかります。 

 パウロはローマの教会への手紙で、イスラエルの民とすべての人々に対する神の招きと憐みを語られます。「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです」(ローマ11:32)。すべては神のご計画の中にあり、救いは人の思いを超えたところにあります。そのご計画はすべての人を救うためなのです。 

 聖書のほかの個所に、「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタ7:8、ルカ11:10とあるように、わたしたちには求め続けること、探し続けること、門をたたき続けることが必要です。 

 マタイの福音でのイエスとのやり取りの中で、カナンの女性は救いを求め続けました。イエスは初めは何もお答えになりませんでした。それは、「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」、つまり、まだ異邦人には福音を伝える時期ではないということを弟子たちに告げました。しかし、この女性はもっと近づきイエスの前にひれ伏して「主よ、どうかお助けください」と必死に救いを願います。イエスは福音をまず第一にユダヤ人たちに告げなければならない使命があったので、異邦人にはまだ伝えられないということをたとえを使って話されました。「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない」と。ところがこの女性は、「主よ、ごもっともです」と言ってから、「主人の食卓から落ちるパン屑」でいいのですと訴えます。イエスに対する信仰がここにきてはっきりしました。ほんの少しでもいいから気にかけてわたしたちを憐れんでくださいと思う信仰です。イエスはこの女性の信仰に感銘し、いやしを神に願われました。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」とイエスに言わしめました。この女性の叫びが、2000年の後の現代の異邦人であるわたしたちのところにまで福音が届いた原動力ではないかと、わたしは感じました。 

 聖母被昇天のミサの後にフランシスコ教皇は、若者たち数千人との集いの中で熱く語りかけました。「誰も人生に何が待っているかはわかりません。わたしたちはひどいことを行なってしまうことだってあります。しかし、お願いです、決して絶望してはいけません。天の御父がいつもわたしたちを待っています。帰りなさい、帰りなさいと。わたしがどんなに罪深い人間であっても、御父は大きな祝宴で迎えてくれます。司祭の皆さん、どうか罪人たちを抱擁し、憐れみ深くあってください」。 

 これは若者たちへの語りかけですが、それだけではなく、若者たちを受け入れる司祭に対しての語りかけでもあります。さらに教皇は、「喜びと信頼をもって若者たちの希望を失わせてはならない」とミサの説教の中で言ったように、信徒の方々にも語りかけられていました。 

 じぶんがどんなに罪深い人間であっても天の御父は迎え入れてくれます。同様にわたしたちを受け入れてくれる御父にならい、教会に帰ってきた人がいたなら、わたしたちもお帰りなさいと迎え入れることができように努めてください。わたしも努めていきたいと思います。 

 神が一人ひとりの思いを受けとめ、救いを求める叫びが聞き入れられますように、神の憐れみを願いながらこの集会祭儀を続けてまいりましょう。

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説教    於手稲教会  場﨑洋神父

キリストとカナン人の女 ファン・デ・フランデス 1500年頃

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先週、北26条教会で追悼ミサがあり、その中で盲導犬を連れていらした方がいました。聖体拝領のとき、その犬はご聖体を頂けるのではないかと何気なしに期待している表情で見上げています。それで、目の見えないその方に、あなたの犬の名前は何ですか、と尋ねると、「ベスです」?と答えられました。それで、「ベスのうえにも祝福がありますように」と犬の頭に手を置いて祝福しました。ベスは祝福を受けたのか、受けないのか、とにかく嬉しそうに喜んでいました。少ないとか多いとかではなく、この盲導犬はご主人と一緒にいることが幸せなのです。

 

それから以前、園長をしていたとき、朝の時間帯の遊戯室です。子供たちが集まってきました。愛されたいのです。子供は素直で純朴ですから、「祝福をあげるから一列に並びましょう」と言いましたら、たちまち一直線に並ぶのです。そして一人ひとりの頭の上に「神様の祝福」と言って手をのせると本当に喜んでまたホールに駆けていきました。小さなことでもこんなに嬉しいのです。幸せなのです。

 

今日の福音でイエスは異邦人の住んでいたティルスやシドンにも足を運ばれました。今のシリアの海岸です。マルコではイエスはだれにも知られたくないと思っていましたが、人々に気づかれてしまったと記されています(マルコ724)。

 

そこでカナン生まれの女がイエスを求めて叫びました。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられているのです」。弟子たちにとってこの女の人は異邦人ですから、「この女を追い払ってください」とイエスに言いました。イエスは「イスラエルの失われた羊のところしか遣わされていない」と答えました。この返答はとても冷たく感じられます。マタイ福音書がユダヤ人のために書かれた福音書ですから、マタイが異邦人の目から見ていたことが反映されていると思います。同じマタイ福音書の10章にもこう書かれています。「異邦人の道に行ってはならない。またサマリア人の町に入ってはならない。むしろイスラエル人の失われた羊のところへ行きなさい」(1056)と記されています。マタイ福音書はユダヤ人の回心を呼びかけていたのでしょう。

 

さて、この女はイエスを求めて必死です。「主よ、どうか助けてください」と叫び続けます。それはイエスに絶対的信頼を置いていると同時に、病気を患っている娘を助けたい思いで一杯なのです。イエスはその女にこう言いました。「子供たちのパンを取って小犬に与えてはならない」と。聖書の世界では犬は汚らわしい動物、不浄の生き物です。その動物に子供たちのパンを与えてはならないと、おっしゃたのです。他の箇所でもあります。ダビデとゴリアテが戦うところです。ダビデは普通の服で、ゴリアテは軍服でした。そのとき、ゴリアテは「おれがイヌか」と、犬あつかいされたことに怒っています(サムエル記上1743節)。パウロは手紙の中で、「あの犬どもに注意しなさい」(ピリッピ32節)と言っています。聖書では犬は人間と一緒に住む動物ではありませんでした。山犬、野犬として見られていました。日本やヨーロッパのように「フランダースの犬」「忠犬ハチ公」「名犬ラッシー」ではないのです。するとこの女はイエスに意外なことを言いました。「小犬も、主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」。女は、わたしは小犬と同然です。主人の落ちるパン屑でもありがたいのですと、信仰を証しているのです。イエスからいただく一言のみことばでさえ喜んでいただきたいということです。わたしたちも聖書の言葉をたくさん知っていても、なかなか賢くはなれません。中には一つのみ言葉で立派に信仰を生きている人もいます。今日はみ言葉が異邦人の中に働いていることを伝えています。神のことばはすべての人々のため、すべての人々の救いのためにあるのです。

 

「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」(イザヤ567)。

 

「わたしは異邦人のための使徒である」(ローマ1113)。

 

たくさんのみ言葉を知っていても実行することはなかなかできません。小さなひとつのみことばだけでもいいのです。謙虚に、素直に、カナンの女のように生きてみたいです。

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聖母の被昇天      2014年8月15日

聖母被昇天 ルーベンス 1625年~26年
聖母被昇天 ルーベンス 1625年~26年
ジャック・ダレー 聖母のエリザベト訪問 1404年頃
ジャック・ダレー 聖母のエリザベト訪問 1404年頃

福音朗読 ルカによる福音書 13956

 

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、 胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。 

         説教

聖母被昇天 ティツイアーノ・ヴェチェッリオ 1516年~1518年  wikipediaより
聖母被昇天 ティツイアーノ・ヴェチェッリオ 1516年~1518年  wikipediaより

 

815日、今日は日本人にとっても日本のカトリック教会にとっても忘れることのできない大切な日です。1549年のこの日、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しました。日本の教会は聖母の御保護のもとに宣教が始まったのです。

今日は終戦記念日です。過去の過ちを繰り返さないように祈念する日です。86日、広島。89日、長崎に投下された原爆の傷が、東日本大震災の原発事故を契機に再び不安と恐怖へ引きずり落とされていきました。わたしたちは今もなお本当の平和を願わずにはいられません。815日、今日、多くの日本人は先祖のお墓参りのために里帰りをします。この世で生涯を終えたわたしたちの先祖のために祈りを捧げます。いのちは時間です。過去・現在・未来なのです。 

 

 さて、ローマ皇帝がキリスト教を認めて、はじめて建てた教会が聖ラテラノ大聖堂です。さらに教皇がはじめて建てた教会がサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂(聖母大聖堂)です。431、エフェソ公会議でマリアが「神の母」として教義の中に組み込まれ、それを記念してこの教会が献堂されました。この教会は世界の教会、母なる教会として名高いものです。

 

聖母被昇天は、もともとは東方教会で1月頃に祝われていましたが、それが西方に伝わって78世紀頃、815日に祝われるようになりました。聖母の死について聖書には記載されていませんが、オーソドックス・チャーチ(正教会)の伝承はこうです。イエスが死んで復活した後、マリアはエルサレムで暮らしていて、いつも弟子たちの宣教を祈っていました。ある日、天使ガブリエルがマリアに現れて、3日後に天に召されると告げたのです。マリアはそれを聞くと心から喜びに満ち溢れました。天国でイエスと共に居られるからです。さっそく身の回りの整理をし、施しをして、天に召される日を待ちました。近所にいる人たちこの話しを聞いて大変悲しみました。しかし、マリアは死を恐れていません。希望と喜び、永遠の生命を讃えていました。不思議にもそのとき奇跡がおきて弟子たちがエルサレムに戻ってきたと言われています。マリアは彼らに見守られて安らかに眠りに入ったのです。この時、弟子のトマスはその場所に居合わせていませんでした。トマスが戻ってくるとマリアが死んだことを信じません。それでマリアの墓を開けたところマリアの体がなかったのです。正教会では被昇天とは言いません。その代わりに聖母の「就寝」、「眠り」という表現で祝われています。正教会では「正神女就寝」と呼んでいます。それはマリアの最後は死ではないからです。マリアは希望と喜びの人ですから、今もいつも世々に至るまでわたしたちと共にいて下さる方なのです。だから死はほんの就寝、眠りなのです。

 

わたしたちもそうです。永遠の生命はすでに肉をもったときから始まっているのです。

 

マリアはイエスの誕生のためにご自身の魂を主に捧げました。どのような人生を神様から与えられたのか分かりません。しかしマリアは神様から与えられたみわざを、み旨のままに育てていかれた方です。

 

マリアは33年間、イエスの生涯を共にしました。子供が母親より先に死んでしまう、しかも十字架刑に処せられるということは何という悲劇でしょう。今もなお戦争で、病気で、災害で死んで逝った子供の前で泣き崩れる母親がいます。血まみれになった子どもを抱きあげる母親がいます。自分のいのちと引き換えてでも助けてあげたいと叫ぶ母親がいます。そのようにマリアはいつの時代においても苦しむ人と共に耐えながらも歩んでくださる方なのです。マリアは希望の人、慰めの人、喜びの人なのです。 

 

今日、815日は、日本人にとって、日本の教会にとって、「心の原点」だと思います。わたしたちの国籍は天国にあります。イエスはマリアという舟にのって旅をしているのです。ザビエルも航海の末、日本に上陸しました。そして原爆、戦争の中においてもマリアは希望を忘れません。それは「原爆のマリア」のなかに表現されています。わたしたちは人類の歴史、この時を歩んでいます。この歴史にマリアの思い、マリアの息遣いを感じていくことによって、イエスを知ることになると思います。「わたしは主を崇め、わたしの霊は救い主である神をほめたたえます」と。

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年間第19主日    2014年8月10日

福音朗読 マタイによる福音書 14章22~33節

 

[人々がパンを食べて満腹した後、]イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、
向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。 夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、 逆風のために波に悩まされていた。 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、 「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。 「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、 水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、 「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、 「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。 舟の中にいた人たちは、 「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

 

イエスの水上歩行 985年頃 「エグベルトの福音書」の図
イエスの水上歩行 985年頃 「エグベルトの福音書」の図

説教  

皆さん、気絶した経験はありますか。わたしは、怖さと言うよりも、あっと言う間に気絶してしまったことがあります。 

小学校6年生の頃、ボーイスカウトのキャンプに行きました。野営地の草刈り、テントの設営、水郷堀り、かまど作り、はんごうでのご飯炊き・・・・あらゆるものが初めての体験でした。でも、自分たちの作ったご飯は少々失敗しても美味しさは格別なものです。 

 さて、夕食後のプログラムは恒例の肝試しです。夜の楽しみの一つですが、やっぱり胸の内は、怖さと、スリル、ドキドキでいっぱいです。いよいよその夜がやってきました。

マッチ棒が2本入っているマッチ箱がわたされました。川の手前からスタートです。ルールはこうです。川を渡り、反対側の河原へ行き、自分の名前が記されている石ころを探します。見つけたら、数百メートル向こうに見える本部の灯りを目指して走るのです。かかった時間と残ったマッチの本数で勝負を決めます。 

わたしの番がきました。黒々とした川の中を歩くのは本当に怖いものです。水の中で得体のしれない生き物が自分の足を引っ張るのではないかと冷や冷やです。河原につくと、マッチに火を灯して自分の石を見つけ出します。1本目の火が消えて2本目が消えかかったそのときでした、自分の石をみつけました。「ようし! あとは走るだけだ!」。一目散に遠くに見える光を頼りに、林の中へ駆け込みました。灯は林の陰で見えなくなったりします。道はありません。ほとんど木々や笹薮ですから、両手でかき分け、足元は何かにすくわれそうです。そのときでした。「うおー!」という猛獣のような一声に圧倒され、わたしは悲鳴をあげて、その場に気絶してしまいました。生まれてはじめての気絶の体験です。ドラマにあるような気絶、あれは嘘ではないのです。 

 「おい、場崎!しっかりしろ!おい、場崎!」。ほっぺを叩かれて意識が戻ってきました。 

脅かしたのは待ち伏せしていたリーダーの一声でした。この人は神社の神主さんでした。 

不思議とそのあとは、何の怖さもなく一目散に駆け抜けていくことができました。

 

 弟子たちはイエス様が湖上を歩いているのを見て「幽霊だ」と言って怯え、恐怖のあまり声をあげました。しかし、イエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と語られました。ペトロは「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」言いました。イエス様は「来なさい」と言われました。舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進みました。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫びました。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえました。イエスはペトロに言いました。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。  

もし、みなさんが支笏湖でボートにのっているときに、イエス様が別の舟の上から呼びかけて「こちらへ歩いてごらんない。わたしを信じれば沈むことはない」と言われたらどうしますか。水の上を歩くことができますか。自信はありますか・・・・・?。恐らくわたしは沈んでしまうでしょう。

 

わたしたちは何を信じて生きているのでしょうか。この社会は信頼によって成り立っています。信用、信頼がなければ、安心、安らぎはありません。イエスはこうもおっしゃっていました。「誰も、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方を親しんで軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタイ624)。私たちは真理を求めていますが、この世における富、すなわち物質世界の中に生きています。ですからいつも現世の中で惑わされていきています。

 

今日のペトロの姿はわたしたちの現実を表わしています。イエス様を信じていると思っていますが、現実は信仰の薄いわたしたちがいつもいます。人生のあらゆる出来事の中にイエスの存在をどのように信じているでしょうか。ペトロのようにイエスの存在を信じるために、しるしを見せてくれるようにといつも取引をしてしまうものも私たちの弱さです。 

 今日のお話は、5000人の給食の出来事のすぐあとのことです。弟子たちはまだイエスがどのような方なのか分かっていないのです。イエス様のしるしを見て信じても、自分の中にいろいろな迷い、疑い、不安があるのです。そうなると心からの安らぎを得ることができません。ペトロは強い風に怯えました。これはわたしたちにとって、日常の恐れ、不安です。イエスがそばにいるのに、そのイエスさえも忘れて、沈んでしまうわたしたちがいます。足元がすくわれてしまうのです。

 

ある男が部下に、事務室の机の上の花瓶に活けてある「あざみの花」を指さしてこう言いました。「このあざみを握りしめなさい」。部下は、あざみに指を触れますが、チクチクして握ることができませんでした。すると上司は「それでは駄目だ。何も考えないで、ギュッと握りしめなさい」と勧めました。部下はそれを実行しました。ギュッと一気に握りしめたのです。そうしましたら手の中であざみが潰れたのです。ほとんど痛みを感じませんでした。わたしたちは迷いの中でチクチクした恐れを抱いて生きています。

 

わたしたちには必ず、様々なためらいがあります。このためらいが起こると不安になり、イエスの不在が起こります。イエスがわたしたちに語ることはいつも同じです。「恐れてはならない。わたしを信じなさい」です。わたしたちの人生は順風満帆ではないことを知るべきです。人生に何が起るかは誰も分かりません。気絶するかもしれません。それでもいいのです。そばにイエスがいて、手を差し延べてくださることを信じることが大切なのです。私たちはペトロのように弱いのです。一人では生きていけないのです。すべての人たちは絶えず恐れのなかで生きています。恐れの反対は信頼です。信頼がないと人間の営み、人間関係は不安と恐れに陥ります。平安は信頼から始まります。赤ちゃんは母の胎内という安心から産まれてきます。わたしたちはわたしたちの中におられる普遍なる方、主を信じて平安を得ることが救いになります。わたしたちの恐れはなんでしょうか。恐れは主の不在です。すべての平安は信頼からはじまるのです。だからわたしたちの中に住まわれる神の声、静けさのうちにいるおられるイエスの声にすべてを委ねるのです。

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年間第18主日         2014年8月3日

今日の司式は森田健児神父様です
今日の司式は森田健児神父様です

福音朗読 マタイによる福音書 14章13~21節

イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。 「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。 群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。 「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り 天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。 弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

ティントレット パンと魚の奇跡 1545-1550 メトロポリタン美術館

 

説教   於手稲教会  場﨑洋神父

 

今日の福音は5000人の給食の箇所です。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書のすべてに記されているものです。それだけ、初代教会において、イエスの行った大きな奇跡として記憶されていました。弟子たちの思いとイエス様の思いに大きな違いがあります。

 

イエスを慕って多くの群衆が押し寄せていました。イエスは飼い主のいない羊のような群衆を見て憐れまれます。弟子たちのお思いは、「群集を早く解散させたいこと」です。だから、イエスと弟子たちの間に大きな壁が出来上がってしまいます。イエスは「食べ物はないか」と弟子たちに尋ねました。弟子たちは「パン5つ、魚2匹を持っているものがいます」と、言いますが、これでは何もなりませんという様子です。弟子たちの中で答えは分かっていました。もう日が暮れています。面倒なので早く解散させましょう、という思いです。しかし、イエスは、この群衆とイエスの壁を打ち破って、2匹の魚と5つのパンで奇跡をおこします。イエスはそれらを取って、賛美を捧げ、裂いて、弟子にお渡しになりました。イエスが受難の前に行った最後の晩餐の祈りの前表でもあります。

 

ここでイエスは僅かなものと豊かな奉仕によって、御父が豊かな恵みを与えてくれることを教えています。弟子たちは、たくさんのもの食べ物と時間があれば、事を満たすことが出来ると思っていました。しかし、イエスは僅かなものを通して、さらに豊かな奉仕によって、満ち溢れる恵みを与えてくださることを教えてくれます。

 

大震災であったお話しですが。2011311日の夜、宮古市内の小学校の避難所に沢山の人たちが避難しました。人々は寒さに震えて、お腹を空かせていました。その時、おせんべい屋さんの息子さんが、「もう一度せんべい工房に戻りたい。あの工房の棚にせんべいがたくさん残ってあるはずだ」と言いました。「今、行っちゃいけない。危ない。津波が来る」と周囲の人に止められました。しかし、何かしたいと言う思いが消防団員の心を動かしました。消防団員を伴って工房へ行くことになりました。水に浸かった工房の中に入っていくと棚にせいべいがあったではありませんか。それを避難所に運びました。しかし、避難した人々を満たすだけの数はありませんでした。でも、体育館でこのおせんべいが配られたのです。やはり足りないのです。どうしたと思いますか。その人たちは、自分のせんべいを割って隣りの人に与えたのです。でも、それでも足りない。そうしたら、更に割ってせんべいを割るんです。そして、わずかなものを頬張って、みんなで喜び感謝したのです。だから、量が多いとか少ないとかという現世的な問題ではないのです。

 

弟子たちにはプラス思考はありませんでした。自分たちのことで精一杯だったのです。

 

この弟子たちの発想をプラス思考に変えましょう。

 

「パン5つと魚2匹を持っている人がいますよ」、「イエス様、僅かですが、奇跡をおこしてください」と、いう発想はありません。「もしかしたら他に誰かが食べ物を持っている人がいるかもしれません。聞いてみましょう」という声も弟子の中から出てきません。「大丈夫です。わずかな物でも分かち合いましょう。」という声もありませんでした。

 

 マザーテレサがノーベル賞受賞式に挨拶した内容の一部分です。「マザーは8人の子どもをもったヒンズー教徒の家族が飢えを凌いでいるということを聞きました。

 

マザーはお米をもってそこの家に行きました。母親はそのお米を受け取るとそれを分けて外へでていきました。しばらくして戻ってきた彼女に「どこへいらしていたのですか」と尋ねると、「隣りの人もお腹を空かせていましたので」という単純な答えでした。驚いたことに、隣りの人はイスラム教徒の家族でした。このようにマザーは貧しい人ととの交わりによって豊かな愛を頂くのだと言います」。

 

わたしたちは僅かなものによって、素晴らしい奉仕ができます。欠けたところを神様は豊かに補ってくださるのです。物質的な豊かさのなかで、奉仕は、真の奉仕から遠ざかってしまう恐れがあります。今日の福音はまさに小さなものを大きなものに変えてくださる神の恵みが示されています。やがてそれはイエスの十字架、イエスの奉献になっていきます。

 

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年間第17主日     2014年7月27日

 

福音朗読 マタイによる福音書 1344~46

天の国は次のようにたとえられる。
畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、
持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
また、天の国は次のようにたとえられる。
商人が良い真珠を探している。
高価な真珠を一つ見つけると、
出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

7人の修道士が犠牲になったアルジェリアのティビリヌ修道院
7人の修道士が犠牲になったアルジェリアのティビリヌ修道院

説教 

 

 

「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのままにしておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」(マタイ1344)。

 

宝が畑に隠されています。この畑はわたしたちにとって人生そのものと言えましょう。一人ひとりの人生に様々な節目を迎えることがあります。結婚は、自分を捨てなければ、相手の人と一緒に生きていけません。それを通して幸せを求めます。修道生活もすべての持ち物を捨てて、観想生活、共同生活を通して、幸せを求めようとします。ここで宝を見つけた人たちは喜びのうちに勢いづいています。この選択は決心であり、大きな喜びです。新しい伴侶、新しい道を、新しい宝を発見したからです。しかし、人生は継続していくことに深い意味があります。今月上旬の福音、毒麦と良い麦のたとえにあったよう、人生は悪と善が入り混じっています。それでも神はわたしたちに宝を準備されているのです。

 

 第二朗読の、パウロの手紙では「神のご計画によって召された人たち・・・・御子の似姿として・・・・・・生きること」を教えています。

 

第一朗読の列王記では(上3512)、主がソロモンの枕元で言いました。「何事でも願うがよい、あなたに与えよう」。ソロモンは答えました。「あなたの民を正しく裁き、善と悪とを判断することが出来ますように。このしもべに聞き分ける心を与えて下さい。」と、神の言葉を守っていく宝を願っています。詩編は、この世の本当の宝は「金銀にまさって、純金よりも、あなたのすすめをわたしは愛する。・・・・すばらしい宝を見つけた人のように、わたしはあなたの仰せを喜ぶ」と称えます。

 

畑の中に宝が隠されているということは、人生は畑でもあります。畑は土ですから、わたしたちの脆い土の器にもたとえられます。その器の中に神から与えられたいのちを宿すことによって、本当の宝を見出すことができることをイエスはわたしたちに教えています。

 

 

 

1996327日、アフリカ、アルジェリアの片田舎の小さなトラピスト修道院で起こった事件をお話しましょう。7人の修道士が殺害されるという悲しい出来事です。これが2010年に映画になりました。タイトルは「神々と男たち」です。この映画を見ましたが、本当に彼らは人間的でありながらも、神に忠実であろうとしています。修道士の苦悩の姿が祈りと対話の中で描かれています。本当に感動します。

 

この修道院は1938年に建てられ、その周辺の村と共に歩んできました。修道士たちは養蜂場を営み、また一人の修道士は医者でしたので、病気を患った人々は修道院の診療所へやってきました。多い日で150人にもなっていました。

 

しかし、アルジェリアの国内情勢が大変不安定でした。アルジェリア軍とイスラム過激派との衝突で、修道院の周辺でも村人が殺されていきました。フランス政府ならびにアルジェリア軍から院長に、ここは危険だから、別の場所に移ることを求めましたが、院長はそれを断ります。この修道院はこの村と共に栄え、この村と共に育ってきたからです。

 

祈り働け、彼らの日々の生活はここに与えられ、ここに召されていたのです。

 

映画のなかで、ここから去るか、ここに留まるかで、修道士たちや村人の思いが会話を通して伝わってきます。次の言葉が印象的です。

 

「鳥は枝から飛び立つ」(ここから離れること)

 

「しかし、枝はそこにとどまる」(この場所から離れないこと)

 

修道士たちは殉教してまでもここに「残る」ことを決意していたのです。

 

1996327日、9人のうち7人の修道士がイスラム過激派グループに連れ去られてしまいました。その後、521日に遺体が発見されました。首だけが残り、胴体がありませんでした。殺されてから切断されたのか分かりませんが、彼らは殺害されたのです。

 

 

 

わたしたちひとりひとりの宝はこの人生、畑に隠されています。あるいはより良い真珠を探している商人にも似ています。わたしたちは、人生を選択してきます。今の場所を離れるか、あるいは与えられた畑で、新たな生き方を選択していくかです。

 

ここを離れるか、ここに留まるか、わたしたちはどちらも否定も肯定もできません。探して見つけて行動に移し、神の宝として生きていくことが望まれます。

 

アルジェリアの修道士たち、イエスがゲッセマネで祈られた祈りに招かれていました。「主よ、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの意のままではなく、あなたの意のままに」。

 

今日もわたしたちの生活の中に宝が隠されています。わたしたちはいつでもそれを見出す力と、選択する力と賜物が与えられています。

 

最後に院長クリチャンがフランスにいる母に送った手紙を読みます。母に亡くなったら開封して読んで下さいとお願いしていたものでした。

 

      このように自分の生涯のうちに起こったすべてのことに関して「ありがとう」と言うとき、もちろん私はそれを、昔の友人や今生きている友人に、それから私の死の瞬間の友人にも言っているのです。そうです。自分が何をしていのか、分からない友人にも、その友人を通して、神に出会えたのですから「ありがとう」と「さようなら」を言いたいのです。・・・・・・略

 

イエスはエルサレムから離れず、エルサレムで殉教しました。7人の修道士たちもイエスに倣ってアルジェリアで命を捧げました。

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年間第16主日     2014年7月20日

福音朗読 マタイによる福音書 13章24~30節

イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。 「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。 僕たちが主人のところに来て言った。 『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、 主人は言った。 『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。 刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、 麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

毒麦の種を蒔くサタン フェリシアン・ロップス(ベルギー) 1882年

       どくむぎ
      どくむぎ

説教 於手稲教会

今日の福音は毒麦のたとえです。 

イエスの時代には一般の麦の他に、間違えてしまうほどよく似ている毒麦がありました。毒麦はイネ科のホソムギ科の植物で一般には雑草の種類に入ります。成長のはじめは、よい麦と大変間違われやすく、識別するのがむつかしいです。根は成長と共に土の中で絡み合いっていきますから、抜くと、よい麦までいっしょに抜いてしまいます。ということは、穂を摘む時季がくれば識別が容易にできるので、収穫のときまで放置しておきなさいというイエスの言葉には説得力があります。

毒麦はもともと毒をもっていませんが、植物の表面に付着する菌が毒素をつくっていくので間違って口にしてしまうと味は苦く、幻覚とめまい、吐き気の中毒症状を引きおこしてしまいます。

この毒麦のたとえは、人類の歴史そのものであるように思えます。先週、ウクライナ上空で民間機が撃墜され298人が死亡しました。親ロシア側か、ウクライナ側か、捜索まで難航している状態です。イスラエル軍は3人の子供が殺されたということでパレスチナ自治区ガザのハマスを攻撃しました。死者が300人以上という事態にまで発展しています。このような世界情勢の一面をみても、自国の判断で他国を裁いて、毒麦を抜こうと躍起になっているのがよくがかります。そのためによい人までが犠牲になっているのです。 

 身近にあるお話をしましょう。ある家庭に3人の子どもがいました。そのうち一人がいつも親の言うことを聞きません。どんなことでしょうか。その子供がチョコレートをほしがるのです。お母さんは、なるべくその子のしたいようにさせたく、優しく「食べなさい」と言います。お母さんは子供と衝突することを避けたいので、いつも与えてしまいます。しかし、お父さんは「やりすぎだ。甘やかすぎだ」というのです。 

ここで、問題はいくつかあります。子供はチョコーレがほしくてたまりません。 

そのなかでお母さんとお父さんの意見が合いません。この話を聞いた、ジャン・バニエ(「ラルシュ」の知的障がいグループの代表)という人が両親からその悩みを聞いて答えました。 

「問題は、息子さんでしょうか。それとも両親でしょうか。どういうことか分かりますか?問題はチョコレートを与えるか与えないかではなく、いつも両親が喧嘩しているということです。お父さんは自分が正しいと思って、お母さんも自分が正しいと思い込んでいます。だから葛藤が起きてしまいます」。今日の毒麦のお話のようですね。毒麦を抜くか、抜かないか・・・・議論が絶えないことと同じなのです。 

ところが、実のところ、子供が両親の葛藤を喜んでいるのです。チョコレートのことでこんなにも両親が喧嘩をするということに子供は興味津々なのです。チョコレートを食べるということ以前に、両親の態度に喜んでいるのです。結果は子供の思うつぼだったのです。 

それでバニエは言いました。「父親が正しいか、母親が正しいか、それは分かりません。ただひとつ言えることは、両親が仲良くすることです。不安定な子供は自分の中に不安がありますから、自分の外にも不安をつくりたくなるものです。だからご両親が仲良くすることが必要です。お二人のどちらが正しいということではなく、先ず最初に両親が仲良くするところから、はじめましょう。それによって、子供の態度も変わっていくのです」 

わたしたちの人間関係もそうかもしれません。毒麦を抜くか、抜かないか、議論は果てしない続くことがあります。でも完全に自分が正しいかどうか分かりません。

弟子たちがよい麦の中に毒麦が入り込んだと言って、抜いてしまったら、よい麦まで抜いてしまうことになってしまいます。わたしたちは何から何まで事こまかく、善と悪とを区別する力を備えているのでしょうか。おおまかな善悪の判断はつけるかもしれませんが、なぜ、そのようなことになってしまったかという真実は分かりません。 

イエスは今日の毒麦のたとえを用いて、わたしたちに「時」を待つことを教えておられます。今は毒麦を抜くときではなく、神様が毒麦に対して「忍耐する時」として語っています。

天の国に招かれている人たちは、今、裁きを行うのではなく、毒麦への裁きを神様に委ねるべきであることを知っています。からし種は大変小さな種です。しかし大きくなると4,5メートルほどの灌木になります。このように神様は成長とともに神への回心をひたすら待っているのです。神様はわたしたちが想像できないほどに豊かな「刈り入れの時」を用意され迎えてくださるのです。イエスは、罪びとに対して、憐み深く、そして忍耐強い方です。わたしたちもそうでありたいです。

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北26条教会は集会祭儀でした。

 

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年間第15主日    2014年7月13日

今日の司式は森田健児神父様です
今日の司式は森田健児神父様です

福音朗読 マタイによる福音書 13章1~23節

その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。 群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 耳のある者は聞きなさい。」
弟子たちはイエスに近寄って、
「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
イエスはお答えになった。 「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。 持っている人は更に与えられて豊かになるが、 持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。 見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。
『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、 見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、 耳で聞くことなく、
心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』
しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。
あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。
はっきり言っておく。
多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、
見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、
聞けなかったのである。」
「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、
心の中に蒔かれたものを奪い取る。
道端に蒔かれたものとは、こういう人である。
石だらけの所に蒔かれたものとは、
御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、
自分には根がないので、しばらくは続いても、
御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。
茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、
世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。
良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、
あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

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説教「サポーター研修会ミサ」藤女子大学 230~330

   担当司祭 場﨑 洋 神父

 カ障連(日本カトリック障害者連絡協議会)のシンボルマーク

種蒔く人 ミレー 1850年 ボストン美術館
種蒔く人 ミレー 1850年 ボストン美術館

フランスの画家、ミレーの「種蒔く人」の絵を見たことがありますか。今年で生誕200年を迎えています。彼は極貧でありながらも子供を沢山育て、農民画家としてその生涯を終えました。この絵の農夫はとても勇ましく逞しいです。大地に種が蒔かれていきます。時を待っていたかのように命は大地に据えられていくのです。ここで種に着目してみたいと思います。種は本当に不思議です、かつてエジプトで遺跡を研究していた考古学者が3000年前の小麦の種を発見しました。それを研究室に持ち返って育てたところ、芽を出したのです。日本でも2000年前のハスの種が発芽し花を咲かせました。いったい、種はそれまで何をしていたのでしょう。沈黙している間、どうなっていたのでしょうか。芽が出ると言うことですから、生きていることになります。生物学的に言えば、「休眠状態」と言われています。動物で言えば、冬眠でしょうか。でも、不思議の一言です。種は自然界の力によって、いろんなところへ運ばれていきます。種は風に吹かれて、風にのって運ばれていきます。種は水の流れ、川の流れで運ばれていきます。海水に強い種は海流によって運ばれていきます。動物の体に種がついたりして、移動します。もちろん人の手で、機械で、蒔かれていきます。イエス様の時代の種まきは、ミレーの種まきの絵にあるような蒔き方でした。大きな布袋に種を入れて、手のひらに種を握って四方八方に蒔き散らすのです。種は道端や、石地、茨など、いろいろなところへ蒔かれては転がっていきました。イエスのたとえでは、蒔くのは神様です。神様が種、いのちを蒔いているのです。わたしたちの命のことも考えてみてください。この地上に生を受けているのは奇跡と言ってもいいでしょう。精子と卵子が受精し、ひとつの生命が誕生し、生まれ出てくる確率は天文学的な数字と言われています。地球の誕生にしてもそうです。地球の誕生の確立についてある学者はこう言いました。25メートル四方のプールの中に腕時計を分解して部品を投げ込み、あとは水流でもって組み立てられるという、考えられない確率になるそうです。ましてわたしたちが生まれてくる確率も天文学的な数字と言わなければなりません。人類が誕生して、今のわたしたちがここに生きているということは命が途絶えていないという証しです。考えれば考えるほど天文学的な確率でここに生きていることになります。わたしたちは神様に選ばれて、今この時を生きています。これは奇跡以外の何ものでもありません。わたしたちひとりひとりの存在は本当に奇跡なのです。イエス様はおっしゃいます。「野の花がどのように育つか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかも、栄華を極めたソロモンさえ、この花一つほど着飾っていなかった。まして、あなたがたはなおさらのことではないか。価値あるものではないか」と。しかし、種子が芽を出して育つまで、あるいは子供が大人になるまで、さらに大人が成熟するまで。さらに死ぬそのときまで、人間はあらゆる試練を体験して行かなくてはなりません。順境、逆境、艱難、批難、病気、富の誘惑、思い煩いなど、乗り越えていかなくてはならないものは数えきれないでしょう。だから、主は言われます。「雨も雪もひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはありません」。わたしたちは本当に弱いいのち、小さな種ですが、神の命によって、それを30倍、60倍、100倍にする、可能性を秘めています。わたしたちは天文学的な数字のなかで生まれた命なのですから、人生も計り知れない未知の世界です。この未知のなかで何を頼りにして生きているのでしょうか。もし、皆さんが、「わたしなんか、30倍、60倍、100倍は無理な話しだ」と思い込んでいたら、神様の御慈しみを思い起こしてください。今はマイナス30倍、マイナス60倍、マイナス100倍と思い込んでいる方がいらっしゃるかもしれません。でも神様は、わたしたちの思いを逆転させてしまう力も持っているのです。天文学的確率で生まれてきたわたしたちです。すでに奇跡は起きていることに無関心ではいられません。もう一度、イザヤの言葉に耳を傾けます。「主は言われる。『雨も雪もひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはありません』」。そしてわたしたちはパウロが語る言葉に命を託します。「皆さん、現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると取るに足りないと思います。わたしたちはあらゆる試練を経ることによってイエスの死と復活に与ることができるのです」。わたしたちは神様からいただいた命を咲かせましょう。今このときを受け入れて、捧げていくのです。大きくなくてもいいのです。小さくてもいいのです。小さくても、小さくても、愛を込めてイエスについていくのです。イエスの仕事ではありません。イエスについていくのです。イエスの愛です。倒れても、這い上がり、真理を探究していくのです。イエスが御父のみ旨を果たし、歩まれた道は、石地であったり、茨であったりしました。それでも御父のみ旨を果たすために、十字架上でご自身を裂かれたのです。裂かれたというのは、奉献です。何の報酬も望まず、捧げ尽くされたのです。わたしたちはこの奉献に今日も招かれているのです。・・・・・主の食卓に招かれた者は幸いです。

 

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研修会でのミサ風景(会場:藤女子大学)
研修会でのミサ風景(会場:藤女子大学)

 

ボランティア(サポーター)研修会が開催

 

713日(日)、藤女子大学を会場に第1回のボランティア研修会(主催:障がい共に歩む札幌大会実行委員会=カ障連札幌大会準備委員会)が開催され、約100人のサポーターが集いました。午前は、聖書に基づき「労働と奉仕」と題して場﨑洋神父よりお話しがありました。わたしたちはみな神から召され、一つに食卓に招かれ、同じ恵みを与えられていることを確認しました。与えられたタラントン(才能・能力)は自分のためにあるのではなく、人々の幸せのために授けられているものです。後半では、グェン・ヴェン・トゥアン司教の13年余にわたる獄中体験(ベトナム戦争後の軟禁・独房生活)で得た恵みを「5000人の給食」の福音から学びました。「5つのパンと2ひきの魚」という小さな恵みを通し神の愛の交わりを人々に与えてくださいました。わたしたちも僅かな賜物と心のこもった奉仕と祈りによって恵みを注いでくださる神に信頼をもって歩んでいきたいです。

 

当日、カ障連の事務局長・田中実さん(大阪教区・泉北教会)も駆けつけお力添えのお言葉をいただきました。午後は分かち合いとミサです。奉仕に与るものがイエスの奉献と共に賛美と感謝を捧げることができました。

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7月12日(土)札幌地区女性交流会開催 於北26条教会

「あなたはどう思いますか?パートⅤ」

「心をあわせてともに・・・」をテーマに

「2014年 カトリック札幌地区交流会 ~女性の集い~」が開催されました。

地区共同体から90名を超える大勢の方が参集され10時から始まりました。午前中「視力を失って」と題して安原 邦子さんの貴重なお話、場﨑 洋神父様のユーモア一杯の講話がありました。昼食の後はグループに分かれて1時間半の交流会でテーマに沿ってお話合いをしました。ミサ前に荒木さん指導、大森さん通訳で「♪マラナタ♪」の手話を学び,感謝のミサの後15時30分に解散しました。

会場はくつろいだ雰囲気の中終始笑いに溢れ、非常に楽しく意義のある会でした。

 

            場﨑神父様     講話
            場﨑神父様     講話
 場﨑神父様          御ミサ
 場﨑神父様          御ミサ

年間第14主日    2014年7月6日

今日の司式は新海雅典神父様です
今日の司式は新海雅典神父様です

福音朗読 マタイによる福音書 11章25~30節 

そのとき、イエスはこう言われた。 「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、 幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
すべてのことは、父からわたしに任せられています。 父のほかに子を知る者はなく、 子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。 休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

説教  花川教会(手稲・花川合同ミサ)にて 主任司祭 場﨑洋神父

    軛  wikipedia より
    軛  wikipedia より

今日は花川教会で久野勉神父様と共にミサを捧げることが出来ましたこと、とても嬉しく思います。この教会の献堂式は36年前のことだと記憶しています。ここは札幌市内から離れた石狩湾に近い土地でした。これからの未来、ここに住宅が立ち並ぶことをみんなが夢見ていました。この辺りは家もなく幼稚園と教会だけがポツンと建っていました。ジェームス西牟田神父様の嬉しそうな顔が懐かしいです。司式した富沢孝彦司教様の面影も浮かんできます。

さて、今日の福音に目を向けていきたいです。イエスはガリラヤ湖の南西18キロ程のところにあるナザレの町でお育ちになりました。そこは畑を耕している農夫、荷車や荷台を引っ張っている牛の姿を見ることができるでしょう。少年だったイエスの目には牛の頸に固定された軛が、擦れて傷をつくり痛々しく、映っていたことだろうと思います。せめて、あの軛を、もっと頸にやさしいものに作り替えられないものか、と考えたに違いありません。軛は牛や馬に頸にかけられた棒状の固定具です。自由放題に動けば、痛みが増して苦しみます。ですから人間も軛を負うことによって自由になれない状態になります。イエスは痛みとなる軛をご自身のみ言葉に置き換えて救いを説きました。「疲れた者、重荷を負う者はわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

ずっと昔、イエズス会の総長ニコラウス神父は神学校の授業中でこんなお話をしました。・・・・疲れた者、重荷を負う者はわたしのもとにきなさい。イエスはこのように語り掛けます。でも本当に安らぎを得ることができるのでしょうか。ある婦人が教会の仕事に明け暮れました。疲れを切った後、家に帰ります。途中、静かな神社の境内を見つけました。するとベンチがあったのでそこに座りました。ため息をつきながら、独りつぶやきました。「はあ、疲れた・・・。やっと、休めたわ」。・・・どうして教会に行ったら疲れてしまうのでしょう(このとき、神学生は「ごもっとな話しだ」と頷き、笑いました)。

イエスが言われる軛とはどんなものなのでしょう。イエスの軛は負いやすく、荷は軽いといいます。でも、イエスの言葉は厳しく聞こえてきますから、逃げたい気持ちになってしまいます。「自分の十字架を担いなさい」。「すべてを捨てて、わたしに従いなさい」「天に宝を積みなさい」。「汝の敵を愛しなさい」。「互いに赦し合いなさい」。なんだか、どれもが苦しいものに聞こえてきます。どれも実行に移そうと思うと疲れてしまうかもしれません。でも、イエスの言われる「安らぎ」はもっともっと価値あるものです。海の深さよりも深く、空の雲よりも高いのです。わたしたちの人生の目的は何でしょう。いのちの存在を日々どのように感じて生きているでしょうか。人生の本質、愛の本質を知らなければ、あらゆるものが苦痛になってしまいます。わたしたちはうわべの安らぎを得たとしても、それは長続きしませんし、本当の幸せには至りません。自分の人生に対して「ノー」と言ってしまうことが多いでしょうか?それとも「イエス」と言うことが多いことでしょうか?人生は抗えば抗うほど苦しむものです。視点を変えると、イエスの言われる軛はとても安らぎを得るものだと言います。

レモン・・・・これをほおばると、とても酸っぱい・・でも上手な飲みがあるに違いありません。そうです。レモネードにして飲んむと飲みやすくなるでしょう。しょっぱいものが大好きなんだ。けれども減塩して血圧を下げなければなりません。継続していけばいつかは解放されるに違いありません。やがて、僅かな塩気でもって美味しい食事ができることでしょう。ときに私たちは人生を沢山愛することで満足しようとしています。しかし、数多く、長い時間、愛するのではありません。どれだけ愛を込めて愛したかが大切なのです。愛しすぎてもいけません。カナリアは主人の胸の中で一生懸命抱きしめられました。すると、窒息死してしまいました。

それではイエスの言われる軛は一体どんなものなのでしょう。それは、鎖や枷で繋がれていている不自由な状態ではありません。軛をかせられていながらも、神のいのちにあることによって自由になるのです。イエスの軛は救いです。イエスと共に歩むことによって軛は安らぎとなるのです。イエスの軛には、計り知れない苦しみが伴うかもしれません。しかし、それとは苦しみとは比較にならない喜びに包まれます。人生は愛のテキストです。イエスは「わたしは謙遜で柔和なものだから」と言って、御自身の後に従うよう促しています。第一朗読では謙虚の象徴・ろばが登場してきますし、パウロは神の霊があなたがたの内に宿っている限り、主の恵みによって生かされていくことを確信しています。人生を歩んで行くことによって一人ひとりの軛がイエスの軛になっていくように共に祈り、主の食卓を囲みましょう。

花川教会、手稲教会交流会での余興です

写真は花川教会コーラス  歌声は会衆皆さん全員

北26条教会は焼き肉パーティでした。天気も良く70数名の参加、盛況のうちに無事終了しました。

聖ペトロ聖パウロの祭日 2014年6月29日

福音朗読 マタイによる福音書 16章13~19節

 

イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、 「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 弟子たちは言った。 「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。 ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。 「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。 「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。 陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。 あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

賢者の対話 レンブラント 1628年  手前聖ペトロ 正面聖パウロ
賢者の対話 レンブラント 1628年  手前聖ペトロ 正面聖パウロ

 聖ペトロと聖パウロをどのような例えでお話したらいいでしょうか。教会の伝統のなかで、二人の小噺やジョークはよくでてくるものです。天国の鍵を渡されるペトロは今日の福音に登場してきました。イエスは天の父によってペトロに天国の鍵を委ねます。ペトロ自身だけの力ではなく神の力を受けてその任に就くということです(初代教皇)。パウロの象徴は剣や鎖です。パウロは剣によってローマで斬首されました。投獄されていたときは鎖で繋がれていたこともありました。 

 最近、北26条教会の玄関が自動ドアになりました。しかも土足にもなりました。この姿がペトロとパウロの姿に似ています。ペトロは鍵をもっていますが、自動ドアですから、鍵は要りません。ペトロが天国の鍵をもって門番する必要もなくなりますね。それでもペトロは鍵をもって右往左往して落ち着きがありません。実は天の国は自動ドアのようなものとも言えそうです。放蕩息子のたとえ(ルカ15章)を見ても、去る者、追わず、迎える者、拒まず、です。そうなると天国へ行く、行かないという裁きは神様が与えるのではありません。神さまはいつでも積極的に待っておられる方なのです。それは自動ドアのように、回心してやってくるのではあれば、神様は慈しみと憐みをもって迎え、宴を催してくださるのです。でも自ら本当の回心がなければ、本当の入り口ではないでしょう。赦してもらわなくてもいいと考えてしまえば、開かれているドアがあるのに入ってくることはできません。そうなると人間は自ら天国から遠のいてしまうことになります。パウロはそれをさらに強調して、多くの人々を救いに与らせるように神の恵みを強調して宣教した人です。自動ドアは空いていますが、心からの回心がなければ、本当の恵みに与ることができないのです。パウロは罪深い人が回心したならば、恵みはさらに大きなものになることを語っています(ロマ書5)。神は恵み溢れる憐み深い方なのです。さて、前置きが長くなりました。最初に聖ペトロについて語りましょう。

シモン・ペトロの性格は名前から理解できるような気がします。シモン(ヘブライ語)はギリシア語ではシメオンで「耳を傾けるもの」の意味になります。ケファ(アラマイ語)はペトロのあだ名です。イエスもそう呼びました。「岩」の意味です。教会の土台の岩ですが、頭が固いという渾名もあったかもしれませんね。 ペトロの原語はギリシア語のペトロスです。ギリシア語では「岩」を意味します。国よって発音が違ってきます。ピーター(英語)、ピョートル(ロシア語)、ピエトロ(イタリア語)、ペーター(ドイツ語)などがあります。 

 新約聖書から、彼の性格を探ってみることにしましょう。わたしたちと変わりがありません。おっちょこちょいで、泡てんぼうで、熱しやすく、思い込みがあり、強がりですが、弱虫です。弟子の中で最年長ですから、人間味にあふれて面倒見がよかったと思います。 

ペトロの殉教について聖書の中に記述はありませんが、「ペトロ行伝」(外典)という書物に紀元67年、ネロの迫害下、ローマで殉教したと言われます。イエスのような十字架刑では恐れ多いということで、自ら逆さの十字架刑を望みました。 

 ペトロはガリラヤ湖の漁師でした。イエスに召されて12弟子の中のリーダーになりました。大切な出来事のときには、ヨハネ、ヤコブ、と共にイエスに同行しました(主のご変容、ゲッセマネの園、特別の癒しのなど)。イエスの受難のときは、剣を抜いて兵士にかかっていきました。しかし、イエスの一味だと言われるとイエスのことを三度も知らないと言ってしまい、自分を悔いて泣きました。使徒言行録のなかでは今までにない活き活きとしたペトロの宣教の姿が記されています。 

 マタイ福音書でイエスは天国の鍵をペトロに授けると言われたことから、初代の教皇として初代教会の中で語り継がれていくようになりました。本人はこれを聞いたら、びっくりしてしまうでしょう。そのときはそう思っていませんでしたから、彼にとっては本当に恐れ多いことでしょう。 

「ペトロとパウロの行伝」(3~4世紀の書物)を参考にして「クオ・バディス・ドミネ」の物語がヘンリク・シェンケビッチによって(1896年、ポーランドの作家。ノーベル賞受賞)が書かれ、映画にもなりました。ペトロはローマを後にしてローマの南のアッピア街道を歩んでいると、幻の中でイエスに出会います。ペトロは「主よ、どこへ行かれますか」(クオ・バディス・ドミネ)と尋ねます。するとイエスは「わたしは再びローマに行って十字架に掛けられる」と語ったのです。ペトロは自分の恥を悔い、再びローマに向かい、そこで殉教したのです。この物語からもペトロの性格がよく表現されていると思います。 

次にパウロについてもお話ししましょう。 

 ヘブライ語、ギリシア語を話した生粋のユダヤ人であったと同時にローマの市民権をもっていました。優柔不断なことを嫌い、正しいと思ったら、とことん追求して実行する人でした。ヘレニズム文化、ギリシア哲学にも通じていたため、人々の習慣や、考え方にも真摯に向き合いました。 

 彼の性格は、積極的であり、曖昧なことを嫌い、体力は人一倍あり、よいものを見つけたら、古いしきたりにこだわることなく、真理を求め続けました。信仰の人であり、与えられた自分の地位と才能を神のために捧げ、神から選ばれた器になりました。 

 彼は手紙の中で自分のいたらなさを綴っています。自分の傲慢さを悔い、キリストはこの月足らずの自分にも御目をとめてくださったことに深く感謝しています。彼は常に福音を誇りとし、キリストなしには生きていけないことを宣言しています。パウロは天幕職人の父の子としてタルソスで生まれました。教育に関しては律法を学ぶためにエルサレムへ赴き、名門律法学士ガマリエルという先生のもとで律法を学びました。その後、ファイサイ派の律法学士たちと共にキリスト信者を捕え、教会を迫害しました。パウロはイエスが生きていた間、一度も出会ったことはありません。しかし、ダマスコ(今のシリア)へ戻る途中に幻の中でイエスと出会って劇的回心をします。その後、地中海を中心に3回に亘る宣教旅行を決行します。最後はエルサレムで捕えられてしまいますが、ローマの市民権を利用して皇帝に上訴しました。そのためローマへ連行されることになりました。パウロもまたペトロと同じく、ネロの迫害下で殉教しました。パウロの宣教した距離は約2万キロと言われていますから驚きます。 

日本で言えば2008年に福者になったペトロ・カスイ岐部(1587~1639)がパウロに似ています。彼は不屈の精神で、マカオ、ゴア、ペルシャ、エルサレム、ローマまで徒歩の旅をしました(「日本のマルコポーロ」と呼ばれています)。ローマで司祭に叙階されましたが、キリスト教迫害下あった日本に戻ることを決意しました。日本を出国して16年を経て帰国しました。彼は長崎から潜伏しながら東北まで宣教の旅をつづけますが、密告されて捕えられてしまいました。江戸で拷問を受け、斬首されました。52歳でした。 

 イエスは平凡な人間ペトロを召されました。わたしたちと同じ弱さを担ったガリラヤの漁師です。さらにパウロは回心し、宗教、慣習、言語の違いを超えて神の器となりました。パウロの信念は今日の手紙、「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守りぬきました」(Ⅱテモテ47~8)に尽きます。二人の存在は教会にとって大きな宝です。神はすべての人を召されています。ペトロの人間的な弱さ、パウロの一途な信仰。両者から学ぶべきことがたくさんあります。今日の恵みを感謝し信仰を新たにしてミサを捧げましょう。

 

       福音朗読 ヨハネによる福音書 6章51~58節

わたしは、天から降って来た生きたパンである。
 このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。  わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」  それで、ユダヤ人たちは、  「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、  互いに激しく議論し始めた。 イエスは言われた。  「はっきり言っておく。  人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。  わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、  わたしはその人を終わりの日に復活させる。  わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、
 わたしもまたいつもその人の内にいる。  生きておられる父がわたしをお遣わしになり、  またわたしが父によって生きるように、  わたしを食べる者もわたしによって生きる。  これは天から降って来たパンである。
 先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。  このパンを食べる者は永遠に生きる。」

 

 

今日の第一朗読でこう語っています。

 

「あなたの神、主が導かれたこの40年間の荒れ野の旅を思い起こしなさい。主はあなたを苦しめて試めされた。・・・・人はパンだけで生きるのではなく、人は神から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」(申命記82~3)。

 

 どん底から這い上がっていった一人の神父様のお話をしたいと思います。 

1965年、アメリカ、ペンシルベニア州で生まれた一人の青年が司祭に叙階されました。 

始めは中国での宣教を夢見ていましたが、日本で働くことになりました。その神父の名前はメリノール宣教会のロイ・アッセンハイマー神父様です。 

来日は1965年です。三重県で働いた後、苫小牧地区へ赴きました。司祭にとっての喜びは、イエスが遺した聖体の記念、ミサを執り行い、イエスの福音を宣べ伝えることです。しかし、若きロイ神父様は、孤独に陥ります。自分は必要とされていないのではないか、自分はこの道でよかったのか、苦しみに苦しみ抜いて、自分を生かそうとして手を付けてしまったのがアルコールでした。わたしが初めて神父様に会ったのが小学6年の頃だったと思います。小柄で優しい神父様でした。とても印象的でしたので、出会ったときから、顔を忘れません。ところが同じ宣教会の神父様から「今、ロイ神父様はアルコール依存症になって大変苦しんでいます。そして立ち上がろうと必死です。どうか祈ってください」と、おっしゃられました。子供ながらにイエスさまを宣べ伝える神父様がアルコール依存症になってしまった。これは駄目な神父に違いないと、思ってしまいました。けれども理解ある信者さんからはこんな話も聞きました。「司祭って普通の人間だよ。神父はスーパーマンのような人だと思い込んだりしてはいけませんよ。宣教師の中には孤独のなかで、アルコール中毒症になったり、寂しさの中で精神的な病気になってしまうこともあるのですよ、祈らなくちゃ・・・・」と、話されたときは、逆に神父様って、とても可愛そうなんだ、と思ったりもしました。確かに自分の国を捨てて異国に地・日本にきて寂しい田舎の教会で働いている、それに片言の日本語で頑張っている、それでありながらも一生懸命にイエス様を教えようとしている姿は子供のわたしでも心から感動したものでした。 

ロイ・アッセンハイマー神父は1975年頃から、自分の使命はアルコール依存症の人々を救おうと新しい道を選びました。でも、そう決心するまで、何度も何度もスリップしてしまいました。アメリカに戻って回復プログラムに参加したりもしました。しかし、ロイ神父は依存症から解放される日がきたのです。その後、札幌、帯広でマック(MAC:メリノール・アルコール・センターの略)を立ち上げ、同じ依存症に苦しむ人々と共に歩んだのです。イエスは自らパンを裂いてそのいのちを分かち合いました。イエスのいのちはイエスだけのものではありません。すべてのものです。ロイ神父も自分が立ち直った恵みを自分だけのものにはしませんでした。それは癒され、愛されている感謝を、仲間たちと一緒に分かち合うことでした。 

 そして1985年、日本ではじめて民間による薬物依存症回復センター(ダルク)が東京に開設されるのです。札幌では2004年に、出所した森亨さんが、ダルクを立ち上げようと札幌司教館に訪ねてきました。資金は一銭もありませんでしたが(マザー・テレサのように)、神様のお計らいだったのでしょう。たちまち物心両面の援助をいただき開所に至ったのです(札幌司教館の裏に「北海道ダルク」が開設)。開所式には、東京からロイ・アッセンハイマー神父もいらしたではありませんか。にっこりと笑って太陽のように輝いていました。とっても嬉しかったです。しかし翌年、200515日、67歳で病に倒れ天に召されました。彼は日本のアルコール依存症で苦しんでいる友となるために自分の生涯を捧げました。葬儀は東京のイグナチオ教会で執り行われ、当時、メリノール会日本管区長のライヤ神父様(現在・苫小牧教会主任司祭)は素晴らしいミサだったことをお話しされました。刑務所から出所して、ダルクに助けられた若者たちや、医療関係者、法律関係者などが、イグナチオ教会に溢れてロイ神父様の死を悼みました。 

そして昨日、621日、クリスチャンセンターで「北海道ダルク」(薬物依存回復センター)開設10周年を祝いました。ホールには120名以上の関係者が集いました。理解ある人々の支えによって非営利団体して認められ、刑務所から出所した人たちを支えたり、刑務所を巡回して覚せい剤の恐ろしさを訴え、日々回復に至るためのミーティングに取り組んでいます。 

昨日、ロイ神父との出会いで依存症者支援の道に入った日本ダルク会長・近藤恒夫さんと久しぶりにお会いしました。お互いに喜びの抱擁を交わしました。彼の中にロイ神父様のいのちが生きているのを感じました。イエスが裂いたパンが、多くの薬物依存症者、アルコール依存症者の人々に生きる勇気と喜びを与えてきたのです。パンを裂くということは、共に命を裂くことです。そこには並みならぬ努力、並みならぬ壮絶なドラマがあります。彼らは自分が自分の力ではなく薬物の力によって生き続けてきたことに苦しみもがきました。しかし、彼らはどん底から自分の仮面を剥して、ありのままの自分を見出していくのです。薬物依存によって、離婚、離職、家族崩壊、入院など、計り知れない深い傷を背負いながら生きているのです。しかし、自分に責任をもつことによって希望の道へと誘(いざな)われていっていることは彼らの証しによって明らかにされています。闇を知ったからこそ、光を見出すことができるのです。キリストの聖体は、わたしたちにとって大きな賜物です。しかし、日常生活のなかで、人と人との関わりのなかで、イエスはご自身の体を裂いて、わたしたちに命を与えてくださっていることを知らずに生きているわたしたちがいます。日々、自分のいのちを取って、感謝を捧げ、お互いに分かち合い、与えていく存在でありたいと、わたしたちは願います。              

 

写真は2014621日(土)、北海道ダルク設立10周年記念風景。場所:北海道クリシチャンセンター。約120名の人々が集う。午後から場﨑洋神父様(北26条教会主任司祭)から、設立当初のお話があり、続いてトークセッションが開催された。テーマは「回復が始まる時」・近藤 恒夫氏(日本ダルクインテグレーションセンター センター長)・山家 研司先生(医療法人北仁会旭山病院 院長)・田辺 等先生(道立精神保健福祉センター 所長) 

 

 

●ロイ・アッセンハイマー神父のプロフィール 

 1938年アメリカのペンシルバニア州で生まれる。1965年、メリノール宣教会の司祭として叙階して来日。三重県で司牧した後、1970~76年まで夕張教会、苫小牧旭町教会、静内教会で司牧。アルコール依存症に罹り、何度も更生に努めるが何度も挫折。回復すると、同じ依存症の人々を救うためにマック(MAC:メリノール・アルコール・センター)を立ち上げる。北海道でアルコール依存症回復センター設立。薬物依存症回復者の近藤恒夫氏と共に活動を展開し、日本で初めての薬物依存回復センターを東京に立ち上げる。東京弁護士人権賞などを受賞。200515日、帰天。享年67歳。 

 

 

●近藤恒夫氏のプロフィール 

1941年、秋田県で生まれる。30歳で薬物依存症になる。その後、ロイ神父と出会う。39歳の時、覚せい剤使用のため逮捕される。札幌地方裁判所で懲役12か月、執行猶予4年を言い渡される。出所後、ロイ神父と共に薬物依存者支援を尽力。1985年、薬物依存者回復センター(DARC:drug addiction rehabilitation center)を設立。 1995年、東京弁護士会人権賞。2005年、法務省矯正局東京管区長賞、2001年に吉川英二文化賞、日本ダルク代表、NPO法人アジア太平洋地域アディクション研究所設立。著書に「刑務所とタンポポ」「日本の薬物依存」などがある。 

 

●森亨氏のプロフィール

現在、「北海道ダルク」の代表。札幌市出身。28歳で依存症に陥る。薬物使用で2年の刑務所生活を強いられた後、出所。ダルクに出会い。北海道にダルクを立ち上げることを決意し、2004年にカトリック札幌司教館裏に家屋2棟を借りて「北海道ダルク」を立ち上げる(中央区北1条東6丁目)。出所後のケア、刑務所を訪問しミーティングなどを展開。公共施設、医療福祉機関、学校などで薬物使用における恐ろしさについて講演。2012年、北海道ダルクの人権擁護活動が認められて札幌弁護士会人権賞を受賞。2014621日に北海道ダルク10周年をクリシチャンセンターで開催。

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カトリック新聞 キリストの光・光のキリスト 

福音の解説   2014年 622日 

         食べるということ    札幌教区司祭 場﨑 洋                                            

 

人肉を食べることを英語でカニバリズムと言う。飢餓時を除けば、社会的、宗教的な慣習の中で行われてきた歴史が少なからず残っている。「わたしの肉はまことの食べもの、わたしの血はまことの飲み物だからである」(ヨハネ655)。イエスのこのことばはユダヤ人からしてみれば人の肉を食べ、血を飲めと言うのであるから食人である。もし、わたしも当時のユダヤ人であったならばイエスのこのことばに残忍さを抱き、罵倒のことばを浴びせているに違いない。 

 しかし、いのちあるものを殺して食し、感謝するということは、昨今意識されない時代になってしまった。牛や豚、鳥の肉を日常食しているわたしたちだが、「と場」(屠殺場)を見学したら、衝撃を受けて絶句するだろう。あるいは「何て無慈悲なことをするか!殺さないでくれ!」と絶叫するに違いない。そこで働く職人たちは、限られた時間で縦横無人に肉を捌いていかなくてはならない。 

 かなり前のことである。小学校の先生が学校で飼っていた鶏を捌くので手を貸してほしいと願った。日曜日の夕方だった。子どもたちがいない時間を見計らい、もう一人の青年と鶏小屋に入って数羽を捕獲した。最後の一羽は死にもの狂いで逃げ回った。紐で足と羽を縛って段ボールの中へ押し込んだ。用務員室へ運ぶと解体作業に入った。最初に私が志願して一羽をしとめることにした。先生は新品の出刃包丁を差し出して、一気に首を切り落としなさいと指示した。まな板代わりに段ボールを床に敷いた。一羽の鶏を左手で抑え、ビニール袋を被せて、右手に包丁を握った。執拗に体重をかけ一気に決行した。血がほとばしった。わたしの体は震えた。いのちが死んでいく姿を見たと同時に、いのちを殺めている自分がいた。傲慢だった。 

 イエスの体は小麦でできたパン、イエスの血はぶどうの実から採った飲み物である。イエスは御自身の肉と血を霊的食物としてパンとぶどう酒の形として遺された。動物は殺されるという本能を感じた瞬間、怯えて逃げ出す。攻撃もする。しかし、イエスは御自身の体を、謙虚さと従順を秘めている植物の中からお選びになった。イエスを食べるということは、イエスの生涯を食することである。ミサは決して記念式典ではない。現実にわたしたちのためにイエスが日々屠られているのだ。だから、わたしたちの日常生活はミサと決して切り離すことができない。イエスを拝領することは、おのおのの人生が「感謝の典礼」に招かれていることなのである。

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三位一体の主日 2014年6月15日

今日の司式は森田健児神父様です
今日の司式は森田健児神父様です

福音朗読 ヨハネによる福音書 3章16~18節

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

 

説教  三位一体 主任司祭 場﨑洋神父 手稲教会にて

マサッチョ「聖三位一体」1427年頃 

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(フィレンツェ)

アンドレイ・ルブリョフによる「至聖三者」1411年
アンドレイ・ルブリョフによる「至聖三者」1411年

わたしたちは、日々の祈りの中で、「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」と、言って十字を切ります。ミサが始まると司祭は「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に」と、開祭の挨拶で祈りを始めます。

キリスト教の教義を簡潔に一言でいえば、「三位一体」と言えましょう。カトリック、プロテスタント、正教会はこの「父と子と聖霊、神はそれぞれの位格の中にあって3つは一つの神である」ことを教義として教えています。

三位一体という言葉は聖書の中にはありません。あるとすれば、御父、御子、聖霊という神の形をとって語っています。マタイでは最後の箇所、「父と子と聖霊のみ名によってすべての人に洗礼を授けなさい」(2819)と呼び掛けていますし、パウロの手紙では挨拶の冒頭でよく使われています。

はじめて三位一体という言葉を残したのは3世紀の教父アウグスチヌス(354430)です。彼もこの秘儀を解き明かすために浜辺で思索していたという有名な逸話を残しています。今日は三位一体の主日だからと言って、三位一体の教義をお話しするということになると知識が先行し頭でっかちになってしまいます。昔、神学校で三位一体論の授業がありました。先生は授業の終わりに、「この教義について分かった人は手をあげてください」と神学生に尋ねました。すると一人の頭のいい神学生が「はい、よく分かりました」と返事をしました。先生は悲しそうに首を横に振りながら「そう簡単ではありません。あなたが一番分かっていません」答えられました。知識や理性に囚われてしまうと、霊的賜物が置き去りになってしまいます。人間は三位一体について理解することは不可能です。分かるとすればせいぜい神の計り知れない愛でしょうか。あるいは名状しがたい方でしょうか。

三位一体を教会で祝うようになったのが1334年で、教皇ヨハネ22世のときです。その後、ピオ5世教皇が1570年、ローマ・ミサ典礼書に導入しています。

それでは三位一体についてもっと分かり易くお話しはできないものでしょうか。ひとつの例をあげるとローソクがいいと思います。御父と御子と聖霊をローソクに例えてお話しましょう。ローソクの芯はイエスで、蝋は御父です。イエスはいつも御父の愛の内におられるのです。そして、ローソクがローソクとして機能を果たすためには芯に火が灯されていなければなりません。この火がイエスを通して御父の愛を示している聖霊です。聖霊は御父の愛を御子イエスの業(火)によって示しているのです。慈しみ深く、憐み深い神が人間となって御子を遣わし、御子が光り輝かせている(火)のが、聖霊にたとえられるでしょう。

また、ある神学者は、「わたし」(一人称)、「あなた」(二人称)、「わたしたち」(三人称)という関係で三位一体の神秘を解説しています。「わたし」は一人では人を愛することができません。相手「あなた」がいて、はじめて人を愛することができます。そして両者はただ相手を愛するだけに留まってしまったら愛は狭いものになってしまいます。「わたし」と「あなた」は愛の交わりによって「わたしたち」になっていくのです。社会の営み、人間関係にとって「わたしたち」は、なくてはならない愛の働きをする存在になるのです。三位一体を難しく理性の中に押し込んではいけません。三位一体はわたしたちの霊的関わりのなかで活き活きと生きているものです。アウグスチヌスは「わたしは愛によって創造されました。ですからわたしは愛に向けられて創造されています。わたしはあなたを得るまで安らぎを得ることはできません」と、言っています(告白録)。わたしたち一人ひとりもそうです。さまざまな関わりのなかで、悩み、選択し、真理を求め続けながら、神の愛は生きています。わたしたちは霊的存在です。理性をはるかに超えて、人々の中に計り知れない神の賜物が働くのです。

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聖霊降臨の主日   201468

福音朗読 ヨハネによる福音書 201923

聖霊降臨を描いた15世紀の写本

         使徒言行録2
         使徒言行録2

今日で復活節が終わります(復活後から50日目)。復活したイエスはみことばを信じる人々の中に生きていることを証しされました。今日、御子を世に遣わしてくださった御父の愛が、聖霊降臨によって新しい共同体をつくりました。今日、教会は産声をあげたのです。   聖霊降臨は教会の誕生日なのです。 

ユダヤ教ではこの日を過越祭から50日目を祝う五旬祭(ギリシャ語では「ペンテーコステー」と言い「50番目」という意)と呼ばれ、三大祭り(過越祭、五旬祭、仮庵祭)のひとつとして初穂の刈り入れを祝っていました(レビ2316参照)。 

イエスは最後の晩餐で真理の霊を送ることを弟子たちに約束しました。今日、父と子と聖霊のみ名によって、教会が誕生し、旅する教会として新たな出発を果たしたのです。

聖書のなかで霊は、「息」とか「風」で表現されています。「神は土の塵で人間をつくり、鼻の中に息を吹き入れられた。すると人間は生きる者となった」(創世記2章7節)。 

すでに救いの歴史のなかで神はさまざまな方法で人々に語りかけてきました。「神は昔、預言者たちにより、いろいろなときに、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終わりのときには御子イエス・キリストによって、わたしたちに語られたのである」(ヘブル11~2)。 

今日の福音では弟子たちのところへ復活したイエスが現れ、彼らに息を吹きかけて語っておられます。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」と(ヨハネ2019~23)。 

この息は何でしょう。ただの霊でしょうか。いいえ、聖霊なのです。確かに弟子たちに送られたのは聖霊なのですが、弟子たちはまだこの世の弱さを剥き出しにしていましたから、息を吹きかけられても、その息が聖霊だということを理解することができませんでした。しかし、その息(霊)によって彼らは徐々に新しい人に変えられていったのです。 

「息」はヘブライ語で「ルーアッハ」と言います。この音は馬が息を吐くときの擬音語だという説があります。なるほど、この発音をしてみるそのように聞こえます。今日の「聖霊の続唱」は本当に美しい魂の祈りになっています。わたしたちが日々この祈りを糧にしていきたいものです。わたしたちが求める前に、すでに聖霊はわたしたちを愛し、語り掛けておられます。わたしたちに聖霊をいただく器があれば、聖霊はすみやかに豊かに働くのです。 

さて、ワーガリ・マータイさん(1940~2011)というアフリカの女性がいました。伐採によって砂漠化していく森を守るために自然保護を訴え、女性たちと共に民主化運度も行いました。彼女は植林運動を展開し、見事に緑の森林を復活させました。2004年にノーベル平和賞を受賞しました。彼女は来日したとき、日本語の「モッタイナイ」(勿体無い)という言葉にとても感銘しました。講演のときは頻繁にこの「モッタイナイ」を使いこなし、国際語にもしてしまいました。 

20年前でしょうか、ドイツ人の神父様が黙想会で「モッタイナイ」について語りました。彼はきちんとその言葉の由来を調べてお話しました。「モッタイナイ」は仏教用語です。もともとある行為に対して「不都合である」「かたじけない」という意味です。今では、モノの価値を十分に生かし切っていないことに対して、「モッタイナイ」と言います。しかし、そのドイツ人の神父は、「でも、でも、神の愛はもっともっと凄いのです」と言うのです。 

わたしたちは日ごろ、「モッタイナイ」「モッタイナイ」と自分の尺度でこの言葉を使ってしまいます。でも「神様にはモッタイナイが無いのです」、と言うのです。神父は両手をひろげて何度も「神様には、モッタイナイが無いのです。分かりますか」と問いかけていました。 

イエスは最後の晩餐に弟子たちの足をお洗いになりました。「この弟子には、このぐらい」、「あの弟子には、この程度」というように、自分の物差しで、愛を与えようとしたのではありません。神様には「モッタイナイがない」のです。わたしたちは日頃、「あんな人に親切にする必要がない。もし、したとしたら、ああ、何とモッタイナイことでしょう」と、言ってしまいます。でも、「神は分け隔てなく愛する方、憐み深い方、モッタイナイが無い方」なのです。

ガラティアの手紙に霊の実りがあります。 

「霊の結ぶ実は 愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。 

これらを禁じる掟はありません」(522~23)。 

わたしたちはイエスが示された御父の愛を思い起こしましょう。それは憐み深い愛です。ですから、日々わたしたちは祈ります。イエスが示された愛、それは御父がイエスを通して示された愛、霊の実りなのです。 

わたしたちは祈ります。聖霊、来てください。信じる者の心を満たし、愛熱の火を燃えさせ給え、と・・・・・。

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                 松浦悟郎司教様 憲法講演会 開催

531日(土)、北26条教会にて札幌教区・正義と平和委員会主催の平和講演会が開催されました。講師として日本カトリック正義と平和委員会協議会会長のミカエル松浦悟郎司教様(大阪大司教区補佐司教)が招かれました。松浦司教様は約150人の参列者の前で、分かり易い平和憲法を説明され、ナショナリズム化する日本政府が一人走りしないよう警鐘を鳴らしました。政府が差し出す憲法改正案の美辞麗句に惑わされないようしっかりと真の平和を希求していくことを語られました。後半は質疑応答の時間となりましたが、参列者の思いが平和の祈りとなっていく思いになりました。司教様、お忙しいなか、本当にありがとうございました。 

  松浦悟郎司教様のプロフィル 

1952928日、名古屋で生まれる。 

1981321日、司祭叙階(大阪教区司祭)。 

1999717日、大阪大司教区補佐司教に叙階。 

日本カトリック正義と平和委員会協議会会長。「九条の会」の賛同者であり、平和憲法の重要性を分かり易く解き明かしている。

      主の昇天  6月1日    (マタイによる福音28・16-20)

今日ミサを司式してくださったのはミカエル森田健児神父様です。2007321日に司祭に叙階されました。岡山のお生まれですが、室蘭で教鞭をとっておられたときに司祭召命を感じ神学校へ進まれました。出身教会はメリノール宣教会が担当している東室蘭教会です。当時の主任司祭はボー・ソレイ神父様でしたが、帰国したその年(20088月)に天国へ召されました。叙階後、月寒教会助任司祭。その後フィリッピン研修。今現在、札幌地区協力司祭として奉仕してくださっています。

 

 今年の5月より、北26条教会の主任司祭は手稲・花川教会兼任となり、第一、第三日曜日は新海神父様、森田神父様が主日のミサを挙げてくださいます。

レンブラント キリストの昇天 1636年   
レンブラント キリストの昇天 1636年   

  手稲教会ミサにて   場﨑洋神父  

 

 今日は主の昇天です。イエスはもう見える姿で傍にはいません。先生と呼んでも、助けてください、と言ってもイエスがいないのです。

 

人生を振り返ってください。わたしたちの人生においてあらゆるものを得ようと努力してきた人生がありました。健康を授かった。恋もした。彼もできた。彼女もできた。財産も得た。家も得た。地位も得た。名誉も頂いた。しかし、今度は手放していく時間を迎えなくてはなりません。思い通りに動かなくなってきた体。病気になった体。家は古くなった。伴侶もいない。妻もいない。夫もいない。ああ孤独だ・・・と。

 

戦後、日本は経済的に豊かになりましたが、ある人は「健康であるが故に孤独である」とも言いました。生活が何もかも便利になっていけばいくほど、精神的にも心が豊かになっていくはずだったのですが、そうではありませんでした。よりいっそう個人化し、孤独を感じている人が多くなりました。

 

キリスト教は関係性においていのちを育くんでいく宗教です。わたしたちは本当のことを言うと弟子たちのように寂しがり屋で愛されたいものなのです。社会も、学校も、教会も、町内会も、家庭もすべて関係性で成り立っています。成り立つということは関係性をもって自分の存在、わたしそのものが明らかにされていくのです。穴があけばその穴を埋めるために互いに励まし、労わり、補い合ったりします。体も同じです。体の一部分が病気になると体自体が、庇ったり、助け合ったりします。家庭も家族もそうです。「遠くの親戚よりも近くの他人」とよく言います。人は本当のわたしになるために関係性、交わりの中でいのちを培い、いのちを確かめていくのです。たとえばこんなお話があります。

 

小中学生の「いじめ」を調査していた専門家が、ある興味深いデーターを紹介しました。

 

保護者、教師も含め1万数千の人を対象に「いじめ」について調査をしたのです。すると3つの特徴に気づいたのです。「いじめ」にあったときに、周りにいた人はどのような態度をとったか、という問いがありました。一番多かったのが、無関心です。関わろうとしないことです。ふたつ目が、「いじめ」をなくそうと、いじめをする子に、訴えたり、注意したり、努力をしているという姿です。みっつ目は、助長させ、エスカレートさせてしまう子供たちの存在です。

 

この調査と一緒に親子関係を問う質問もあったのですが、そこに密接な関係がありました。それは子供と親との関係です。「いじめ」が起きた時に注意を促したり、止めさせよと努力した大半の子供たち家族は、親子関係がとてもよかったのです。逆に、エスカレートさせてしまった子供の親子関係はよくなかったのです。

 

わたしたちは人生において、何かが欠けたりします。そして互いに補いあったりします。子どもが親の愛が欲しくてたまらないのに、お金を与えたり、ファミコンを与えたりします。愛をお金にかえてしまい、関係性の学び合いをしない現実があります。弟子たちはいつも欠点だらけでした。弟子たちの思いとイエスの思いはよく噛み合いませんでした。それでもイエスは彼らの欠点を受け入れながら愛し続けました。わたしたちも同じです。イエスはわたしたちの弱さを受け入れ、死と復活の証をもってその愛を示してくださいました。人間関係というのは得るものも多いいのですが、失うものもはるかに多いのです。財産、名誉、地位、健康を得たとしても、それを手放していく時は必ずやってくるのです。一般に健康で財産があるときには何の不足も感じないという人がいます。それは健康と財産でうわべの愛を補っているからとも言えます。本当の愛には苦しみが伴います。人間は喜びにつけ苦しみにつけ関係性をもって自分の存在を認めていかなくてはなりません。そして欠落部分を互いに補いながら成長していくのです。そして補いきれなくなったとき、はじめて私たちは真剣に神に祈るのです。「主よ、わたしを助けてください。わたしをお救いください」と、無力の自分に気づき、生きる方向を改めるのです。病人訪問をしていると、その病人がどれほどまでに救いを求めているか強く感じます。同時に、神様に近い信仰者の姿をそこに見ます。弟子たちはイエスを失いました。しかし、イエスは弟子たちを見捨てたのではありません。わたしたちが今まで以上に神の子・イエスの愛を知るため、わたしたち一人一人を愛され諭されているのです。

 

わたしたちは日々、親しい人との別れを体験していきます。・・・・しかし、失われたものだけに目をむけて生きていくことは希望に逆行してしまいます。失われながらも得るものを模索していきたいです。そのなかに真理の霊が隠れているのです。多くの人々の関わりの中で、わたしたち一人ひとりの魂は真理の霊を求めてやみません。自分は愛されているのか、それとも、愛されていないのか。そう、問いかけているわたしたちのところに、すでにイエスがお住みになっているのです。疑いではなく信じることなのです。聖霊、来て下さい。わたしたちの魂を愛熱の火で燃えたたせてください。 

                                      

 

 

 

 

     復活節第6主日 5月25日 世界広報の日(ヨハネによる福音14・15-21)

 ミサの最初に回心の祈りがあります。

「全能の神と兄弟の皆さんに告白します。わたしは思い、言葉、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟の皆さん、罪深いわたしのために神に祈ってください」。

 

この「回心の祈り」は第二バチカン公会議前まで司祭が侍者(奉仕する子供)と一緒に唱えていました。それは信者がふさわしくミサに与れるように祈るためのものでした。歴史を遡れば2世紀の「使徒の教え」(ディダケー:教訓)の中にある勧めの祈りの中にあったものと言われます。今の「回心の祈り」の形がミサに導入されたのは16世紀と言われています。第二バチカン公会議の典礼刷新で、ミサは司祭・個人のものではなく、社会的、共同体的に外に開かれていくものとして捧げられていきます。今のような形式で会衆と共に「回心の祈り」を捧げられるようになったことは回心が社会的に開かれていることにあります。言い換えれば、「罪を告白する」ということは、自分の「信仰を告白する」ことと同じです。賛美と感謝の祈り(エウカリスティア)であり、キリストによって一つ(コムニオン)に結ばれ、愛の交わりの中に招かれていくことなのです。この回心は罪深さに目を向けさせるという狭いものではなく、それ以上に神の憐みと慈しみをよりよく体験することにあります。

 

今日はこの「回心の祈り」のなかにある「怠りの罪」に注目したいと思います。ある人は苦しみを避けるために、善を行うことも、悪を行うこともしないという考えをもつ方がいるようです。しかし、かなり曖昧な考え方です。言い換えれば無関心、無責任という「怠りの罪」とも言えます。

 

 イエスが最後の晩餐で弟子たちに語る弁護者、真理の霊は、苦しみを恐れず、善を選択していくものです。今日のペトロの手紙で語っていることがまさしくそうです。

 

「神の御心によるものであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい」という善の選択です。

 

ドイツ人のアルフォンゾ・デーケン神父様が終電で四谷駅から中央線に乗車して東京駅に着くのですが、必ず車中で眠り込み、目を覚まさないで乗客に出会うそうです。そこで神父様は気になって肩を叩いて起こすのです。でも考えてみると、自分で起こさなくても、係りの者が来て、起こしにきてくれるから関わらなくてもいいとも思うのです。それとも肩を叩いて、「セクハラ」と言われて、逮捕されてしまうかもしれない、とも考えたそうです。

 

 さあ、どうしましょう。神父様はいろいろ迷ったそうです。小さな親切、大きなお世話と言われてしまいそうですが、小さな親切も、時には大切なことだと思ったそうです。

 

違う見方をすれば、実はその場所は自分が主役であるのに傍観者になっていることがあるのです。人によっては何もしない選択もあるようですが、最低の選択をしなかったということで後悔することが人生には多いのです。

 

人間は頭の中では、これは正しい、これは悪いことだと、いつも立派な評論家として胡坐をかいています。人間はなかなか行動に移せず、かえってそれが習慣化し、怠りの罪に陥っていることに気づいていないのです。ですから、自分のやるべき善を行わないことは怠りの罪になってしまう恐れがいつもあります。「ごめんなさい」の一言、「おはよう」の挨拶、「笑み」、「感謝」、「おじぎ」など・・・・小さな怠りの飾りがたくさん並べ続けられるのです。怠りという飾りを着続けて、この一生を過ごしてしまうことがないよう、小さなことにつけ、苦しいことつけ、真理の霊に導かれながら自分の人生を歩んでいきたいものです。

 

御父は御子イエスと共に自ら人となり、罪びとのために苦しまれました。今日のペトロの手紙にあるように「正しい方が正しくない者のために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです」(ペトロの第一の手紙31518)。まさしくみことばの中に真理の霊が働いています。

         アルフォンス・デーケン神父様
         アルフォンス・デーケン神父様

    カトリック新聞 2014年5月25日「キリストの光・光のキリスト」より 

    わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる

              場﨑洋 神父 (札幌教区)

 

最後の晩餐の席で、イエスは弟子たちに御父にお願いして弁護者を遣わすと言った。この弁護者は「あなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいる」(ヨハネ1417)真理の霊である。


 先月中旬、車椅子の友人が臨死体験をした。彼はこう語った。天井に自分がいて、もう一人の自分がベットで眠っていたのを見た。すると頭上の光に導かれて、自分が吸い込まれるようにトンネルを突き抜けていくのを感じた。光に照らされていたところは一面、美しい花畑だった。日々モルヒネで腰と両下肢の疼痛治療を余儀なくされていた彼だったが、痛みは何もかも消えていた。花畑の向こう側には親しい人々がいて温かく迎え入れようとしていた。それに応えるようにそこに行きたい思いにかられた。そのときだった。背後から「行っちゃ、駄目」と言う声がした。気づいてみると、現実の中に引き戻されたというのだ。


このような話は初めてではない。同じような体験をした人たちから証言を聞いたことがある。証言には多少違いがあるが、体外離脱と光の体験は共通している。特に印象的なのは「光」である。この光は五感で感じるものとは異なる。光は慈愛に満ち、愛されているという至福の感覚に包み込まれていくものだと言う。


イエスがわたしたちに送る弁護者、真理の霊とは、遠い未来のことではない。わたしは肉も霊も否定はしない。生きている限り、キリストと共にある者は、心も体も弁護者、真理の霊に導かれていくものだ。


果たして真理の霊はいつどこへ到来するのであろう。聖書は語る。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そうである」(ヨハネ38)。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」(コヘレト311)。


 わたしたちは今もなお永遠に変わることのない真理の霊に導かれている。真理の霊はキリストの死と復活にあやかったとき、すべてが明らかにされていくだろう。なぜならば「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」(ヨハ1419)からである。


 イエスは御父の愛をご自身の死と復活でお示しになった。イエスのことばによって、御父はわたしたちをみなしごにはしておかれない(1418)。わたしたちは日々、真理の光に照らされ、愛されている存在なのである。

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復活節第5主日 5月18日  (ヨハネによる福音14・1-12)

      新海雅典神父様
      新海雅典神父様

この5月から当教会の主任司祭は手稲教会兼務となりました。今日は応援のため、ベネディクトハウス館長・アンドレア新海雅典神父様が北26条教会でミサを捧げてくださいました。神父様は1985321日に司祭に叙階されました(出身教会は小樽富岡教会。故・太田哲也神父とは同叙階日)。山鼻教会助任、新田教会、雪の聖母園園長、湯の川教会主任を経て、アメリカで解放神学を学びました。その後、八雲教会、小樽富岡と住之江教会、小野幌教会で主任を歴任されています。今春からベネディクトハウス館長に就任となりました。

 

                       手稲教会の聖堂
手稲教会の聖堂

  手稲教会着任ミサにて   場﨑洋神父  

 

人事異動の発令があって一ケ月近くになります。やっと主日のミサを手稲教会で捧げることができました。今まで、みことばに忠実で、皆さんから慕われていた今田玄五神父様。几帳面でメモ魔で知られ、天文学に造詣が深く、司祭同志の間でも信頼が厚い神父様が手稲教会、いいえ札幌地区から、遠い函館地区へ旅立ったことは本当にさびしいことです。でも、神様はわたしたちに優しく語り、厳しくも語ります。神様が導いてくださったこの時を心から感謝し、喜びのうちに主の食卓を囲みたいです。体力も知識も今田玄五神父様には及びませんが、これからも与えられたいのちの中で、みことばに仕えていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

 わたしたちは日々の生活の中で、誰のために生きているのでしょうか。聖書はわたしたちに、神を賛美し、感謝し、神に仕え、奉仕し、みことばを宣べ伝えることを教えています。今日の第二朗読では、「あなたがたは選ばれた祭司・・・あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたがひろく伝えるためなのです」と、語られています。まさしく第二バチカン公会議における私たちに与えられた使命、祭司職・王職・教導職への奉仕です。第一朗読の使徒言行録ではユダヤ人キリスト者、異邦人キリスト者の間で様々な問題が起こっています。言葉の壁、文化の壁、習慣の壁、律法の壁・・・・など複雑です。彼らは神の霊によって、知恵に満ちた評判のよい人7人を選んで対処していっています。社会にも、教会にも、家庭にも、神の霊に導かれた優れたリーダーがいないと、飼い主のいない羊のように道に迷ってしまいます。でも、その状況の中にあっても神の霊をどのように日常の糧として受けとめて生かなくてはならないか、それを知ることは、そう簡単なことではないでしょう。

 

 今から二十年以上前になりますが、伊達教会で司牧していたときのことです。教会に一人の男性の方が訪ねてきました。信者さんが対応したのですが、「神父はいるのか!神父はどこだ!」と言うのでわたしを呼ばれました。わたしより年上で30代後半の男性だったと思います。口調がちょっと威圧的だったので信者さんもちょっと驚いたのでしょう。わたしが玄関に行くと、男性は口調を荒げて「おまえが神父か?」と言ったので、「はい」と答えました。恐らく、まだ青二才の司祭だったので、呆気にとられたのかもしれません。

 

「あんた神父だよな。神を信じてるんだろう。・・・そしたら、今ここで神を見せろよ・・」。

 

今日の福音にでてくるフィリッポのようです。「御父を示して下さい」とフィリッポはイエスに言ったのです。でも、わたしがイエスのおっしゃるように「わたしを見なさい。わたしの内に父がおり、父の内にわたしがいる。わたしを信じなさい」と言うことはできません。信仰に自信がないからです。ただそのときは「いいえ、目で見えるものではありません」とだけ、答えような気がします。しかし、それでも、「神を見せろよ。そうすれば俺は信じてやる」と言ってくるのです。西洋坊主のわたしは「いいえ、人と人との出会いのなかに見えるものです」と説得力のない応答で苦戦していました。すると男性は、話しを続けました。「そうか、神を見せられないのか。・・・そんなら仕方がない。とにかく俺の話を聞いてくれ」。男性は何かを心に溜めていたのか、吐き出すように語りはじめました。「俺は、アルコール依存症だ。家族を滅茶苦茶にしてしまった。酒を吞んだときは、妻や子供に暴力を奮って暴れた。後悔したときは、本当に悪かったと思っている。妻の前で土下座して誤った。・・・・それを今まで何度何度も繰り返してきた。そんな俺が嫌いなんだ。だから、もし、神がいるなら俺を救ってほしいんだ」。話はさらに続きます。「それでな、ある日、俺は妻と買い物にいった。そのときだ。俺は自分が本当に嫌いな奴だと思って、死んでやろうと思った。それで近くあった送電線に上った。どのくらい上ったか分からなかった。すると、わたしを見ていた妻が叫んだんだ。『あんた!何しているの!早く降りてきて!危ないから下りてきて!お願いだから!』。妻は泣きながら俺に向かって叫んだ。俺は、その時、妻がこんなにまで俺のことを思ってくれていることを知った。それで送電線から下りて来たんだ。こんな俺に妻が「下りてきて」という・・・・。妻に詫びても、感謝しきれない。・・・妻には本当に申し訳ない・・・・話はこれだけだ。・・・話を聞いてくれてありがとよ。じゃあな」。そう言ってその男性は教会から去っていきました。

 

この男性は本当に神がいるなら会わせてくれと、救われたい思いで教会にきたに違いありません。この男性はすでに奥さんを通して神を見ているのだと感じました。わたしはただ、話を聞いただけで、何のアドバイスも与えられませんでした。今もそうですが、生活の中で神を発見することはなかなか難しいものです。でも、わたしたちは決して見失うことがないように信仰の灯火を消したくはないのです。この世界はすべてが闇なのか、絶望なのか、無意味なのか・・・・・それではないとわたしたちは信じています。それがわたしたちの小さな一条の光、キリストの光です。わたしたちが日常生活においてイエスが示されたみことばによって神を見ることが出来るよう祈りを捧げていきたいです。

 

 家造りの捨てた石が、まさに隅の親石、要石、霊的な石となることを私たちは信じてやみません。

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         復活節第4主日 2014年5月11日

勝谷太治司教様、北26条教会訪問ミサ 
 ベルナルド勝谷太治司教様の訪問ミサが午前10時半より、当教会で捧げられました。
かつて北26条教会の主任司祭でもあったことから、聖堂には再会を楽しみに集った信徒で一杯になりました。司教様は昨日5月10日、新潟教区司教館の竣工式のため日帰りのお務めでしたが、帰りの飛行機が欠航となり、今朝、新潟からの出航となりました。この半年は教会訪問ならびに司教会議で遠出ですることも多く、2月からはカトリック正義と平和委員会の担当司教にもなっています。少子高齢化のなかで今後の札幌教区が担っていく課題は山積していますが、共同体がひとつとなって、互いに支え合い、キリストのいのちに与っていくことができるよう温かいをお言葉で励まされました。
祝賀会では、信徒代表の小松様より司教様への歓迎の言葉が贈られました。また司教様になってからのご感想ならびに司教様の衣装についてのご質問があり、和やかな雰囲気のなか喜び包まれたひとときでした。終わりには司教様ご自身が神学生時代に作詞作曲された「君の心に」を弾き語りでご披露して頂きました。       
昨年10月までの4年間、司教不在が続き、悲願だった司教様が誕生されたことは大きな希望と慰めです。どうか勝谷司教様の今後の歩みをお祈りいたします。     心もお身体もお大切されながら福音宣教にお励みください。今日は本当にありがとうございます。

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              2014年5月4日

 お礼の一言  


         これまで皆様に祈られ、支えられてきた25年間でした。
  心から感謝とお礼を申し上げます。
         わたしたちの心がいつもイエスと共に燃えることができるよう

         歩んで参りましょう。

 

復活節第3主日 2014年5月4日  ルカによる福音 24・13-35

エマオの晩餐 カラヴァッチョ 1601年  wikipediaより

エマオへの途上 ロバート・ズント 1877年 wikipediaより
エマオへの途上 ロバート・ズント 1877年 wikipediaより

今日はエマオへ行く弟子(クレオパとルカ)のお話しです。この箇所はわたしと上杉昌弘神父様が司祭叙階式ミサの時に朗読されたものです。場所は北11条教会でした。上杉神父様は叙階式後の挨拶で「これから司祭の道を歩んでいきますが、いろいろな困難なことに遭うかもしれません。そんなときに、エマオの弟子のように二人の心は燃えていたでは言い合おう」と語りました。皆様から賛同と祝福の拍手をいただいたことを懐かしく思い出します。

 

エルサレムからエマオへの道のりは60スタディオン、約1112キロです。札幌市内で言うと札幌駅から茨戸公園ぐらいになります。二人はエルサレムで起きた一切の出来事について納得がいかない様子で話し合っていました。するとそこへイエスが旅人として近づき、一緒に歩き始められたのです。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分かりませんでした。この二人の弟子たちは、わたしたちの人生そのものと言ってもいいでしょう。イエスは日々の生活の中で旅人イエスとして語りかけているのです。

 

イエスは二人が話し合っている内容について、何の話なのか、尋ねました。すると二人は、旅人イエスの問いに唖然としてしまうのです。「あなたはエルサレムに滞在しながら、この数日、そこで起ったことを、あなただけはご存じにないのですか」。

 

イエスは驚いた様子もなく、「どんなことですか」と尋ねます。

 

二人の弟子は旅人イエスのとぼけた返事に呆れてしまったのではないでしょうか。

 

二人は旅人イエスに、エルサレムで起きた出来事について語り出します。

 

「ナザレのイエスです」。ナザレのイエスと言いますから、エルサレム中、あえて地名を加えて名前を言っています。東京の都会で、旭川の太郎とか、鹿児島の一郎とか、新潟の次郎とか(イエスはヘブライ語で「ヨシュア」ですから、よくある名前でした)呼ぶのでしょう・・・・。イエスにナザレと言う町を付けて語られましたから、すでに多くの人々に知れ亘っていた存在と言えます。彼らは続けて語ります。

 

「この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力ある預言者でした」。二人の弟子にとってやはり力強い、預言者の一人だったのです。・・・ですが、その期待は絶望に変わってしまったのです。

 

「それなにの、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです」。祭司長と議員たちですから、最高法院(サンヘドリン:しかし、その時はにわか裁判です)で宗教裁判をし、死罪とするためにローマ総督ピラトに引き渡して十字架に掛けたのです。

 

今日の第一朗読の使徒言行録は失望する弟子たちではなくイエスを述べ伝える活き活きとしたペトロの姿が見えます。やはり彼らも「ナザレのイエス」と呼びます。

 

「ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの行われた奇跡と、不思議な業と、しるしによって、そのことをあなたがたに証明しました」(使徒言行222)。

 

二人の期待はこのイエスが、イスラエルを解放してくださると望みをかけていたとことに尽きます。そして「空の墓の出来事」にも言及しています。婦人たちが墓に行ったのですが、イエスの遺体を、見つけず戻ってきたという謎めいた報告なのです。さらに天使が現れて「イエスは生きておられる」と告げたというのです。弟子たちの思いは、エルサレムを解放してくださるというこの世的な、政治的な勝利をイエスの中に見出そうとしたのです。旅人イエスは彼らが動揺する様子と現世的な見方でイエスを見ていたことに対して諭します。目が遮られている彼らにカツを入れるのです。

 

「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずではないか」と、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自身について書かれていることについて説明されたのです。

 

今日の「聖書と典礼」の表紙にその様子が描かれています。旅行く左側がクレオパで、右手を挙げながらイエスに一連の出来事を教えています。右側の弟子はこの絵の中ではルカと記されており、その話の内容を記すために二人の話を聞いていたというシナリオでしょう。イエスは左手に聖書を持ち、右手は天を指しています。

 

このエマオの弟子の物語は、救いの歴史の物語であり、私たち一人ひとりの人生の中で語られている啓示の物語と言えます。わたしたち一人ひとりも日々エマオの弟子のように旅をし、挫折、失望、疑いを繰り返しています。

 

そして旅人としてイエスが日々共にしてくださっているのです。

 

復活節第二主日、神のいつくしみの主日、トマスにイエスは「あなたがたに平和あれ」と語り、空の墓の前ではイエスが「マリア」と声かけます。エマオでは「イエスはパンを裂いて弟子にお渡しになった」と記しています。みんな目が遮られているのですが、イエスの語り掛けで目が覚めていくのです。エマオの弟子のところでイエスがパンを裂いてお渡しになったときに・・・・、繰り返します。パンを裂いてお渡しになったときです。その時に、イエスだと分かったのです。それと同時に二人の目が開け、イエスだと分かったのですがイエスの姿は見えなくなりました。二人は「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合いました。

 

イエスは旅人のわたしたちに、どんなときも、どんな場所でも語りかけておられます。しかし、わたしたちはイエスを忘れてしまいます。メシアは苦しみを受けて栄光に入るはずではなかったのか・・・・イザヤの52章~53章の「苦しむ僕」を読んだことがないのか・・・・・が心に響いてきます。

 

使徒ペトロの手紙は復活を喜びを伝える手紙として知られています。

 

 「キリストは天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。あなたがたはキリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じているのです」(Ⅰペトロ1・2021)。

 

まさに「イエスは生きておられる」(ルカ2423)のです。

 

エマオの弟子はエルサレムからエマオへ向かうときは夕暮れ、西に向かっていましたが、彼らは再びエルサレムへ向かうのです。そうです。日が昇る東へ向けて出発するのです。エルサレムはイエスの死と復活の象徴なのです。

 

今日、司祭叙階25周年を迎え、皆様と共に歩んで来られたことを感謝し、イエスをわたしたちの家にお泊りくださるように招き、イエス自ら進んでパンを裂いて、わたしたちにお与えくださるこの喜びを共に味わって参りましょう。

 

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復活節第2主日、「神のいつくしみの主日」    2014年4月27日               ヨハネによる福音 20・19-31

キリストと聖トマス アンドレア・デル・ヴェロッキオ 1467-1483

  wikipediaより

聖トマスの懐疑 カラヴァッチョ 1601-1602 wikipediaより
聖トマスの懐疑 カラヴァッチョ 1601-1602 wikipediaより

今日は白衣(びゃくえ)の主日でもあります。四旬節に洗礼の準備をしてきた洗礼志願者が復活徹夜祭に洗礼を受けキリストを着る者として白衣を身にまといました。司祭はイエスに代わって受洗した人に語りました。「あなたは新しい人となり、キリストを着る者をなりました。神の国の完成を待ち望みながら、キリストに従って歩みなさい」と。この1週間を喜びのうちに過ごした受洗者は、主の復活を祝う週の始めの日、いよいよ白衣を外して信仰の道を歩んでいくのです。それが今日、「白衣の主日」とも呼ばれている由来です。 

そして今日、バチカンで福者であるヨハネ23世とヨハネ・パウロ二世が教皇フランシスコの捧げるミサの中で聖人の位に加えられます。昨年、バチカン公会議が終わって50周年を迎えました。当時78歳のヨハネ23世が教皇に選ばれたとき、民衆から、こんな老いぼれ爺さんに何ができるのだろうか。只の引き継ぎの役に過ぎないだろう。と揶揄していた現実がありました。ところがこの教皇が全世界の司教たちをバチカンに集めて3年に亘る公会議を開催したのです。それも今までの古い慣習の教会ではなく、現代における聖霊降臨として、教会の生き方を改めたものでした。ミサの形式は背面から対面形式になり、ラテン語が各国の国語で唱えられることになりました。告解(赦しの秘跡)も1週間おきにしていたことを記憶しています。毎週日曜日のミサ前に、告解室の前は長打の列で、ミサがいつも遅れて始まっていました。バチカン公会議において、教会は、多くの人々と共に救いに預かっていくことを宣言したのです。そしてヨハネ・パウロ二世は平和の使者として世界を飛び回り、過去の歴史おいて犯した教会の罪(十字軍やガリレオ・ガリレ宗教裁判など)を悔い改め、新しい息吹を祈りました。彼が天に召されたのが200542日(日)、「神のいつくしみの主日」だったのです。この二人の教皇様のなされた業を思い起こしながら、今日の食卓を囲んでいきたいです。 

さて、イエスは十字架上で磔になって、墓に葬られました。今日の福音の中で弟子たちは、イエスに対してなされた十字架刑を恐れて、家の中に立てこもり鍵をかけて怯えていました。弟子たちの心は複雑でした。イエスを置き去りにして逃げて去ってしまったことは、イエスに対する裏切りと罪悪感、しかも、イエスへの挫折と失望でもありました。イエスの最終的結末は十字架上の死、これはガリラヤから始まった善き訪れの便り(福音)が、ただの幻想の中で語りかけられたものに過ぎなかったのか・・・・、あの偉大なわざ、力あるみことばは、一時的な見世物だったのではなかったのか、・・・・という強い不信感です。弟子たちは、これから先、誰を頼りに生きていけばいいのか、方向を失った羊のようにただ狼狽するばかりでした。

 

鍵をかけて怯えている弟子たちの真ん中に姿を現したのが復活したイエスです。真ん中というのは弟子たち自身で拭うことのできないイエスに対する深い傷と自分たちの弱さの傷です。その傷をだれが癒してくださるとでも言うのでしょう。イエスはその傷を癒すために、弟子たちの心の中にある深い傷の内に現れたのです。イエスが最初に言った言葉は「あなたがたに平和があるように」です。

 

イエスは裁くためではなく、赦しと癒しを与えるためにきた方です。イエスは人々にみことばと癒しを与えたと同じように、弟子たちにもみことばが生きているということ、弟子たちの傷が癒されることを告げているのです。しかし、そこに居合わせていなかったトマスは、彼らの証言を信じようとはしませんでした。彼は頑に自分の思いをぶつけます。「わたしはあのかたの手の傷、胸の傷にこの指を入れてみなければ決して信じない」と。

 

彼は見て、触って、念入りに確認しなければ信じることができないと言っているのです。そうでもしないとイエスが本当に生きているということの確証には至らないのです。わたしたちも、トマスと同じです。イエスが生きているという証拠をどこに見い出すことができるのでしょうか。目で見ることができたから信じるのか、奇跡が起きたから信じるのか、・・・・・。イエスはわたしたちの傷を癒す方です。罪びとを解放する方です。イエスのガリラヤからはじまった宣教を思い起こしてください。イエスは現に生きている人々を癒すために来られたのです。どれだけ傷ついて、どれだけ惨めにされて、どれだけ恥を負わされて生きてきた人たちがいたことでしょう。イエスは彼らの傷を癒すため、そして罪の中にある人々を解放するためにきたのです。

 

イエスは弟子たちの傷を癒します。ご自身を裏切った弟子たちの傷を愛の傷で癒すのです。わたしたちは沢山の傷を負って生きています。もし、わたしたちが心の扉の鍵を閉め続けているのであれば、イエスは入って来られません。しかし、それでもイエスは入って来られるのです。愛は恐れを締め出します。愛には恐れがないのです。しかし、わたしたちは何を恐れているでしょうか。弟子たちはこの世の勝利を垣間見て、この世の敗北に勝利しなかったために恐れていたのです。

 

しかし、イエスの死と復活によって、新しいキリスト共同体が形成されていきます。今日の使徒言行では活き活きした信じる共同体の様子が伝えられています。

 

「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った・・・・家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」(24447)。

 

復活節の間、ペトロの手紙が生き生きと朗読されていきますが、わたしたちに大きな慰めと希望を与えています。それは見てから信じるという信条ではなく、見ないで信じることのできる賜物を第一に述べている信条だからです。

 

「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ち溢れています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」(189)。

 

わたしたちは絶えず、目で見えないキリストを切望し、聖霊の働きを待ち望みます。

 

この教会によりよい導き手、聖霊を送り、わたしたちの信仰が強められますように祈りを捧げましょう。そして「わたしの神、わたしの主」と告白するのです。

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わたしの主、わたしの神よ 

  場﨑洋 神父 (札幌教区)

カトリック新聞 「キリストの光・光のキリスト」福音解説 より                   

 最後の晩餐の席でトマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(ヨハ145)。フィリッポも尋ねた。「主よ、わたしに御父をお示しください。そうすれば満足できます」(ヨハ148)。しかしイエスは「わたしを見た者は、父を見たのだ。・・・わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを信じないのか」(ヨハ14910)と言った。弟子たちはイエスのご意志となかなか噛みあわないことが多かった。サマリアでもそうである。ヤコブとヨハネはサマリア人に歓迎されなかったことに立腹してイエスに言った。「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」(ルカ954)。弟子たちは自分たちだけの救いと現実的な勝利だけを願っていたからだ。

 

今日登場するトマスはまさしくこの世の現実を垣間見る実証主義者であった。トマスは仲間の弟子たちが復活したイエスと出会ったことを聞いたが決して信じなかった。彼は「イエスの釘跡に手を入れてみなければ信じない・・・」(ヨハ2025)と言ったが、当時の死生観からすると当然のことのように思われる。

 

ユダヤ教の思想では現実に死後の世界は存在しない。彼らは神によってこの世の勝利を迎えたとき、すべての死者が墓から甦り、善い者と悪い者に分けられ、神の裁きを受けることと信じられていた(マタ253146)。だからイエスの死は弟子たちにとってあってはならないことだった。あれほどまでに多くの病人を癒し、目の見えない人に光を与え、死者を甦らせたという不思議なしるしを行ったイエスが、いとも簡単に捕えられ十字架に掛けられてしまった。弟子たちがこの世的な勝利を考えていたならば、イエスが死なない限り、栄光、賞賛、満足、誇り、欺瞞、見栄は拭いきれなかっただろう。しかし、トマスは復活したイエスを、目の当たりにしたとき、「あなたがたに平安があるように」(ヨハ2019)のみことばによってすべてが拭い去られた。

 

イエスの復活体は「赦し」と、溢れ出る「無償の愛」の何ものでもない。信じる心は目で見ることが出来ない。見えない方が存在しているのに信じることができないわたしたちがいつもいる。

 

だから今日、「神のいつくしみ」を受けて、トマスといっしょに信仰を告白したい。「わたしの主、わたしの神よ」と。

 

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復活の主日(2014年4月20日) ヨハネによる福音 20・1-9 

Noli me Tangere by Antonio da Correggio;c.1534 wikipediaより                            (わたしにすがりつくのはよしなさい ヨハネ20-17)
Noli me Tangere by Antonio da Correggio;c.1534 wikipediaより  (わたしにすがりつくのはよしなさい ヨハネ20-17)

みなさん、主の復活を心よりお慶び申し上げます。 

きょうこそ、神がつくられた日です。この日を喜び歌います。家づくりの捨てた石が、隅の親石のなりました。これそこ神のわざで、人の目には不思議なことです。 

第一朗読の使徒書にあるようにペトロはガリラヤから始まったイエスのみ言葉が、偉大で力強い出来事だったことを告げています。イエスが神の子だと知ったペトロは、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前で現してくださったことを語っています。 

 週の初めの日、婦人たちもイエスのお墓に赴きましたが、イエスの遺体はなく、若者が「イエスは復活したのだ」ということを告げたことを聞いただけでした。それでペトロとヨハネはイエスが納めした墓に急ぎます。ここで象徴的なのは、ヨハネは若く、ペトロは年寄りだということです。ヨハネ福音を記したヨハネは自分自身のことを、「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」という表現で自分を紹介していますが、ヨハネは十代後半の若い青年です、ペトロを差し置いて全速力でお墓へ向かったのでしょう。ペトロは息切れと動悸をおこしたのかもしれません。それでもお墓に急ぎます。彼らがお墓に着くと、婦人たちが証言していたとおりで、イエスの遺体はなく亜麻布だけが置いてありました。しかし、二人には、まだイエスが復活したことの意味が分かりませんでした。 

 今日はこの続きが記されていませんが、マグダラのマリアがイエスのお墓の前で涙を流して悲しんでいます。するとそこにイエスが現れるのです。マリアはイエスを庭師と思い込んでいました。しかし、イエスはマリアに「マリア!」と声を掛けます。するとマリアは振り向いて、驚きのあまり、「ラボニ」(アラマイ語で「主よ」)と応えられました。マリアはその時、イエスだとは知らなかったのですが、イエスのことば「マリア」という声で、すべてを悟るのです。この言葉は、マリアという固有名詞だけではなく、イエスのみことばのそのもの、あのガリラヤで福音を宣べ伝えたイエスそのもの、生きたみことばだったのです。マリアの気持ちはどんな思いだったでしょうか。イエスはそれからも何百人の人々の前にも同時に現れました。間違いなく母マリアにもお会いしたことでしょう。何と語ったのでしょう。「おことばとおり、わたしはまさに復活した」とおっしゃったに違いありません。 

こうして救いの歴史の中に働いていた神がイエスを通して、すべての闇に打ち勝ち、永遠の命へと招いてくださるのです。 

今日、太田憲暢(のりのぶ)さんが洗礼を受けられます。憲暢さんは大きな障がいを担っていますが、あなたは神様から贈られた天使です。あなたの存在が私たちをイエスに近づけさせてくださいます。あなたがわたしたと一緒に賛美と感謝の歌を歌ってくださることを、一番お喜びになっている方は神様です。あなたは今日、お墓でイエスの復活を告げた天使です。あなたを通してわたしたちがイエスの愛を深く悟ることができますように、喜びの洗礼式に与って参りましょう。そしてご家族のうえに豊かな祝福が注がれるようにお祈り申し上げます。

 

 

 

復活徹夜祭(2014年4月19日) マタイによる福音 28・1-10

ラザロの復活のイコン 15世紀 ロシア  wikipediaより