主任司祭の窓

主任司祭  場﨑洋神父
主任司祭  場﨑洋神父

四 旬 節 第 5 主 日    2015年3月22日   「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ヨハネによる福音書 12章20~33節

さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。 

今日の司式は祐川郁生神父様です   (福音朗読 佐藤謙一助祭)

       説教 場﨑洋神父様 於小野幌教会

 

今日の福音はイエスの有名な言葉です。「一粒の麦が地に落ちて死なないなら、そのままである。しかし、死ねば多くの実を結ぶ」(ヨハネ1224)。 第一朗読のエレミヤでは新しいユダの家と新しい契約を結ぶ日が来ると預言しています。この新しい契約とは神の子イエス・キリストが残された新しい契約で、イエスの死をもって成就するものです。それを受けて第2朗読、ヘブライ人への手紙では「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」と記されています。一粒の麦は、種が種のままではなく、発芽することで死ぬのです。それによって多くの実を結ぶのです。まさしくイエスは一粒の麦になるのです。イエスが十字架上で命を捧げられたということは福音の成就、御父のみわざの成就です。

 一粒の麦、これはイエスだけのことを指しているのではありません。わたしたちも一人ひとりも一粒の麦なるのだということです。わたしたちが死ぬということは一粒の麦になるのです。生と死は表裏一体です。わたしたちが死を考えるとき、3つの角度から捕えることができます。三人称の「わたしたちの死」、二人称の「あなたの死」、一人称の「わたしの死」です。

三人称の「わたしたちの死」というとき、テレビや、新聞で報道される、一般の「死」を指します。どこそこの国で、誰かが殺害されました。アフリカで1万人が餓死しました。でも、それで、わたしたちはその夜、眠れなくなるということはないと思います。

 二人称「あなたの死」となると、どうでしょうか。妻の死、夫の死、兄弟姉妹の死、恋人の死、親しい人の死です。とてもショックです。深刻です。死を悼み、悲しみは深まるばかりです。二人称は、人生を共にしてきた者の死です。残された人は自分の人生に喪失感を覚えます。同時に生きてきた関わりについても問われていきます。

 しかし、一人称の「わたし死」となるとどうでしょうか。わたしの死が迫ってきたとなると、客観的にものごとを考えることが難しくなります。自分の死を自分で観察してその結果を他の人に伝えることができないのです。誰に伝えるのでしょうか。わたしにとって死は恐ろしいものです。死にたくないのが当たり前です。でも死は訪れるのです。やがて自分の時がくるのです。もし、自分の死に意味を持つことができるのであればそれは信仰の恵みしかないと思います。わたしの死を見守ってくださる方、死を越えて自分を迎えて下さる方を待ち望みたいからです。

「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」。これは日常の家庭生活のなかにあります。家族の中での様々な犠牲があります。父は家族のために、母も家族のために、子は親のために。さまざまな状況においてどんなにか犠牲をはらうことでしょう。この犠牲とは自分のいのちを神様に捧げていることなのですが、なかなかそれに気づくことができません。今日の奉納祈願にあるように、わたしたちの命が、一粒の麦として臼(うす)でひかれて粉になり、練り合わされて焼かれたパンになるのです。わたしたちは不完全ですが、不完全でありながらもわたしたち一人ひとりの麦はイエスが示した御父の愛、慈しみによって、ふくらんだパンに膨れ上がるのです。あるいは、ぶどうは潰されて、ぶどう液となり、発酵してぶどう酒になるのです。

わたしたちの体は神様からの授かりものです。この体をわたしたちは神に喜ばれる神殿にしたいものです。体は朽ちていっても朽ちないいのちがあることを信じたいです。わたしの死がわたし一人だけのものではないということです。わたしの死がわたしのものだけのものであるならば、一粒の麦の意味が失われます。逆に言えば、わたしの死は、相手からしますと二人称になり、三人称になることも忘れてはなりません。おくやみ欄に自分の名前を見て悲しむ方々がいることでしょう。たとえ、おくやみ欄に名前がなくても、いつくしみ深い御父が、憐みと愛をもって抱擁してくださるのです。御父は情け深く、わたしたちの命(魂の死)を失わせたくないのです。自分の生きてきた人生が、惨めなもの、役にたたないものとして自分を卑下してしまいます。そうではありません。神様は一人ひとりを必要とされているのです。しかも罪びとを招くのです。

一粒の麦・・・・・これは犠牲です。人間には本能的な犠牲、愛する犠牲があります。わたしたちの家族、共同体、社会、世界、すべてが犠牲によって支えられ生かされているのです。その犠牲は、義務であったり、責任であったり、奉仕であったり、喜びであったり、使命(ミッション)であったりします。わたしたちの心は相互愛を保ちながらも絶えず複雑な状態であることが多いです。どうか主に喜ばれるいのち、神様からの与えられたミッションとなりますように共に歩んで参りましょう。そして真の平安が訪れますように。

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四旬節第4主日   2015年3月15日   「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ヨハネによる福音書 3章14~21節

[その時、イエスはニコデモに言われた。]「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子(みこ)を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

                 (福音朗読 フィリップ神父様)

             場﨑洋神父様

「信徒発見150年から未来へ」

カトリック新聞 キリストの光・光のキリストより

紀元前586年、エルサレムの神殿は灰燼に帰し、南ユダ国は新バビロンによって破壊された。異国の地、バビロンに連行されたユダヤ人は悲哀の歌をうたう。

「バビロンの流れのほとりに座り、柳にたて琴をかけ、シオンを思い、すすり泣いた異国の地にあって、どうして主の歌がうたえようか」(詩編13714)。ユダヤ人はどんなに聖なる都エルサレムへの帰還を願ったことか。

1549年、キリスト教はザビエルによって伝えられた。当時のキリシタンは30万人に膨れ上がった。しかし、為政者によるキリスト教禁止令は日本26聖人をはじめ多くの殉教者を生んだ。江戸幕府はキリシタン禁制を徹底させ、巧妙残酷な拷問や処刑方法を案出した。踏絵を強行し、踏めば棄教、拒めば処刑である。この踏絵は九州、特に長崎では江戸時代末期まで続いた。隠れキリシタンは信仰に背いた良心の呵責をコンチリサン(懺悔)でなだめた。それでも絶えず信仰の自由が与えられる時を忍耐して待ち続けた。

日本が開国して外国人寄留者のためにプティジャン神父が長崎に派遣、18652月、大浦天主堂が建立された。同年317日のことである、浦上の約15名の隠れキリシタンが見学を装ってやってきた。その中の婦人が「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」と信仰を証しした。しかもプティジャンがカトリック信者と確信したのが、「サンタ・マリアの御像はどこ」という言葉だった。

その後、長崎県周辺で次々と信仰を告白する者が続出。これが浦上四番崩れを引き起こした。多くのキリシタンが流罪に処せられた。日本政府は外国の非難にさらされ、キリシタン禁令を撤回したのが1873(明治6)年2月のことだった。流刑者は浦上に帰郷することができたが、ほとんどは拷問で死んだ。やがて浦上に東洋一の天主堂が献堂される。しかし、その感動は束の間だった。19458月、浦上天主堂上空で原子爆弾が炸裂した。多くの信者が死んだ。

私たちは317日、信徒発見150年を祝う。浦上の歴史は日本のカトリック教会の殉教の歴史でもある。隠れキリシタンは迫害下で信仰を伝授する知恵を授かった。しかし、今、私たちは多様化していく社会の中で確固たる信仰を伝えていく知恵を持ち合わせているだろうか。現代文明が引き起こした負の遺産を担いながら、文明というバビロン捕囚の中で福音の喜びを宣べ伝えていきたい。神は独り子をお与えになったほどに、この世を愛されたのだから。

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四旬節第3主日  2015年3月8日    「聖書と典礼」表紙解説

ヨハネによる福音書 2章13~25節

ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭(むち)を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。イエスは過越祭(すぎこしさい)の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。

                   (福音朗読新海神父様)

           場﨑神父様は函館・湯川教会でミサを司式されました           (下記の内容は当日の説教とは多少異なります)。

レンブラント 「モーセの十戒」1659年 free artworksより
レンブラント 「モーセの十戒」1659年 free artworksより

 第一朗読では旧約の根幹であるモーセの十戒が語られます。この十戒から詳細な613の掟が定められました。モーセはイスラエルと共に神とシナイ契約を交わしました。十戒は2枚の石に刻まれた神のみことばでした。イスラエルは荒野を40年間、さまよい続けました。イスラエルは神殿の原型である移動式礼拝所、「幕屋」を建て、その中央の「至聖所」の中に十戒を納めました。やがてイスラエルはエルサレムに定住することによって、幕屋に代わる神殿を求めるようになり、第3代イスラエル王・ソロモンのときに神殿が建てられました。しかし、ソロモン王が死ぬとイスラエルは二つに分かれ、エルサレムを都とする南ユダ国と、サマリアを都とする北イスラエル国となりました。しかし背徳の罪によって両国は滅ぼされ、神殿も破壊されてしまいました。

 イエスの時代、ヘロデの神殿が建設されていました。神殿では祭司たちによっていけにえが捧げられていましたが、大祭司、祭司たちによる律法主義は神殿を汚し権威と腐敗の病巣となりました。御父を思うイエスの熱意は神殿を汚している商人たちに対して怒りとなりました。イエスは縄で鞭をつくり、家畜や商人たちを追い出しました。祭司たちは神殿の境内で商売をする代わりに商人たちから賄賂を受け取っていたのです。商売は祈りの家として神殿と相いれないものです。神殿は祭司長、長老たちによって汚され、律法は形骸化されていました。イエスは御父のみことばを成就させるために、この汚れた神殿を壊して、3日間で建て直すと言いました。イエスが言われる神殿とはご自身の体のことでした。イエスが十字架上で死ぬということは、神殿で捧げられる小羊になるということです。イエスが捧げられることにより、神殿は清められ、律法によって苦しめられていた人々は罪から解放され、癒され、いのち、光へといざなわれるのです。

イエスの語られる神殿は御父がお住まいになる場所、教会(エクレシア)です。ステファノが、神殿について語った説教の内容からも分かります。彼はユダヤ人の唯一の礼拝所、神殿を否定したのです。御父は固定されたひとつの場所にお住みにはならず、神を求める人々の間に住まわれることを告げたのです。そのためステファノはユダヤ人の激昂を浴びて石殺しにされてしまいました。

 

ケルン大聖堂のステンドグラス「聖ステファノの殉教」wikipediaより
ケルン大聖堂のステンドグラス「聖ステファノの殉教」wikipediaより

2朗読のなかでパウロは語ります。「皆さん、ユダヤ人は十字架にしるしを求め、ギリシア人は十字架に知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えます」。ご存じのようにイエスの弟子たちはイエスにしるしを求めていました。彼らにとってイエスの死は決して愚かな十字架の死であってはなりません。弟子たちにとって十字架は敗北だったのです。また、当時、地中海一帯ではヘレニズム文化の影響とギリシア哲学が融合していました。ギリシア人からしてみれば、イエスの十字架に知恵を求めました。知恵とは知識であり、彼らの哲学です。イエスの生き様(十字架)を哲学で説明しようとしました。しかし、パウロの思い、信仰は、それではないのです。パウロはイエスの死は愚かではなく「キリスト」(救い)そのものを宣べ伝えているのだと言います。十字架は罪人に対する神からの救いのわざです。神は自ら愚かになりながらも、人間を救おうとされたのです。イエスが言う神殿は霊的神殿です。肉からまことのいのちが生まれるのではなく、まことの霊からまことのいのちが生まれるのです。イエスは来たるべき霊的神殿、まことの教会(キリストの教会)を預言しました。

 わたしたちは日々、何度の何度も手を洗い、顔を洗い、体を洗ったりします。この単調な繰り返しのなかに、神の救いのわざが秘められています。わたしたちは絶えず、霊によって清められなければ、本当の幸せに与ることができません。いくら外見を綺麗に装っても、モノを多く手に入れても幸せになれません。わたしたちの日々は、聖なる霊によって清められることによって新たに生まれ、生きる者になるのです。イエスはまさしく十字架の死と復活によってわたしたちに新しい霊、赦しの霊、癒しの霊、いのちの霊をわたしたちに与えてくださるのです。

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四旬節第2主日     2015年 3月1日   「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マルコによる福音書 9章2~10節

[そのとき、]イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、 高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。 「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。 仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、 一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。 弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。 「これはわたしの愛する子。これに聞け。」 弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。一同が山を下りるとき、イエスは、 「人の子が死者の中から復活するまでは、 今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。(福音朗読 フィリップ神父様)

                            説教 場﨑洋神父様  於手稲教会

       15世紀のノヴゴロドで描かれたイコン wikipediaより

四旬節中に主の変容の箇所が語られるということは、イエスが受難、死を通して栄光に入ることを教えています。イエスはペトロとヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登られました。タボル山かヘルモン山と言われています。そこでイエスの姿が変わり、服は真っ白に変わり、この世のどんなさらし職人の腕にも及ばなかったほど輝きを伝えています。イエスはモーセとエリアと語り合っていました。モーセとエリアは旧約を代表する預言者です。ペトロはこの光景を見て大興奮です。彼はこの光景をこのままとって置こうとしました。ペトロは「仮小屋を3つ建てましょう。一つはエリアのため、一つはモーセのため。そしてもう一つはイエスのため」と言いました。ペトロは自分で何を言っているのか分かっていないのです。ただ見える栄光に心奪われていたのです。実は今日の福音の記事の前(マルコ83135)には、イエスの死と復活の予告がされています。ここでもペトロの思いが描かれています。イエスは人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学士たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっていると弟子たちに教えられました。するとペトロはイエスをいさめ始めたのです。そんなことはあってはありません。やめてください、あなたはこの世で栄光を示す方でいらっしゃいますという、思いです。そのときイエスは振り返って、弟子たちを見ながら ペトロを叱って言われました(弟子たちの顔を一人ひとり見つめたのですね)。「サタン、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」。それから群集と弟子たちを呼び寄せて言われました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。わたしを救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、福音のために命を失う者は、それを救うのである・・」と。

タボル山の現在 wikipediaより
タボル山の現在 wikipediaより

今日の第1朗読、創世記はアブラハムが自分の最愛の子イサクを御父に捧げるところでした。この出来事は救い主イエスの前表と言われるものです。イサクが最愛の子を御父に捧げるということは、新約において御父が最愛の御子イエスをお捧げになったということの前表(預言)になります。ですから、イエスの時代も今のユダヤ人たちもアブラハムを「信仰の父」と称えるのです。第2朗読のローマの手紙のなかでもパウロは御父がこの世のために御子をお遣わしたことを宣べ伝えています。

 わたしたちの現実を見ますと、儚さ、空しさを感じる人が多いです。鴨長明の「方丈記」を思い出すでしょう。1100年代の随筆家です。この世の儚さの常を諭しています。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」。わたしたちは栄光を掴もう、栄華を手に入れたいと願います。しかし、それらは儚く消えていきます。教会のアルバムを見たり、司祭が遺したアルバムを見たり、自分のアルバムを見たりします。でもそれらは過去の栄光に過ぎません。しかし、それは決して無駄ではなく、その中に私たちが希望している真の栄光が隠されているのです。外国宣教師がなぜ、こんな蝦夷地にやってきたのか、長い船旅をし、車もなく、徒歩で、飢え渇き、寒さに凍え、それでも不屈の精神でこの世の栄光ではなく、まことの栄光を宣べ伝えるために日本の土になってくださったのです。

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四旬節第1主日      2015年2月22日    「聖書と典礼」表紙解説  

                                22日午後
                                22日午後
                            23日早朝  春はそこまで まだ寒い
                            23日早朝  春はそこまで まだ寒い

福音朗読 マルコによる福音書 1章12~15節

[そのとき、]“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

              説教    

四旬節第1主日を迎えてマルコ福音書は、イエスは霊によって荒れ野に送り出され、40日間そこにおられ、誘惑を受けられたことを告げます。

誘惑とは「人を神から引き離す者」とか「敵」とかを表します。あるいは「試練」とも言えます。それを乗り越えることで新たな恵みに与ることができるのです。イエスは神の国のために福音を宣べ伝えます。そこには絶えず、多くの試練(誘惑)がありました。荒野の誘惑についてマタイでは試みるものがきて言います。

「あなたが神の子なら、この石をパンにかえてごらんなさい」(マタイ4

「もし神の子なら」を「あなたは神の子だから」に言いかえるともっと現実を帯びます。

「あなたは神の子だから、この石をパンにかえて御覧なさい。」

私は神の子なのだから、私が欲する人生を与えてください、と願うことがあるのではないでしょうか。私は神の子どもなのだから、物質的豊かさを頂くのは当たり前だ。私は神の子どもだから、神を試してみたくなるのです。私たちは全知全能の神である方を悪用します。思い通りにいったのならば、やっぱり神は私の見方だと言って神を賛美しますが、思い通りにいかなかったとき、平気で神を呪ってしまいます。ときにはモノ、迷信、占い、地位、名誉、貪りなどを信じて、偽りの神を崇めています。

神はこの世を滅ぼしにきたのではありません。救いにきたのです。

イエスは福音を述べ伝えます。神の国はすでにイエスによって到来しているのです。

私たちは偽りの神に気付きません。神は真の神から引き離された私たちを立ち帰らせるために御子を遣わされました。回心して福音に立ち帰えらせるのです。


ヘンリ・ナウエン1932年~1996年
ヘンリ・ナウエン1932年~1996年

オランダの霊性神学者ヘンリー・ナウエン神父は小さかった時、一匹の子山羊をお父さんからプレゼントされました。彼はワルターという名前をつけました。戦後のことでしたから、大変貧しいなかで、もらった贈り物でした。学校から帰るといっしょに野原で遊び、ドングリの実を与えました。なんと素晴らしい幸せな日々だったでしょうか。しかし、ある日、学校から帰ると、小屋にいるはずのワルターがいないのです。両親に尋ねてもクビを横に振るだけです。周辺を探しても見つかりません。こんなにも悲しい体験をしたのは生まれて初めてでした。彼はワルターを盗んだやつを絶対に許してやらないと思い続けました。

それから年月が経ったある日、お父さんが静かに口を開きました。「ヘンリー、今だからお前に言う。わたしがお前にプレゼントしたワルターのこと覚えているだろう。ワルターは家で雇っていた庭師がこっそり盗んだのだ。彼の家には食べ物がなかった。その日、ワルターは彼の家族を満たしたのだ。父さんは盗んで行ったところを知っていたが、黙っていた。ゆるしてくれ」。

その瞬間、ヘンリーの憎しみは消え去りました。最も大切なものを差し出すことは誰にもできません。ましてワルターがそうでした。しかし神は最愛の子・イエスをこの世に渡されました。私たちはいつも勿体ないと言って物惜しみするばかりです。

ですから、この四旬節、私たちは祈りと節制の中でイエスを思い出し、人々の中にいるイエスを思い出したいです。イエスに近づくため、イエスの心となり、イエスの息遣いに招かれていきますように過ごしてまいりましょう。       (「イエスさまのまなざし」参照。オリエンス宗教研究所)

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年間第6主日   2015年2月15日    「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マルコによる福音書 1章40~45節

[そのとき]、重い皮膚病を患(わずら)っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心(みこころ)ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐(あわ)れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献(ささ)げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

福音朗読  フィリップ神父様)

     説教     場﨑 洋 神父様  於 手稲教会

            神山復生病院 復生記念館正面(現在改修中)

        (カトリック新聞、キリストの光・光のキリスト  より)

       *御心ならばわたしを清くすることがおできになります*

 人は生きている限り老い、病に陥る。体力は低下し、外見は生気を失い、意気消沈してしまう。身体は醜く衰えたとしても自分という意識を保ち続けながら、自分であろうとする。やがて人間は塵に返っていくことを覚悟する。それでも救われたいと願う。それが真の人間である。

イエスの時代、重い皮膚病にかかっている者は衣服を脱ぎ、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です」と呼ばわれねばならなかった。この症状があるかぎり汚れているのであるから、独りで宿営の外に住まねばならなかった(レビ134546)。隔離である。状況は悲惨なものであった。軽蔑され、押し潰され、絶望の中で見捨てられた。誰かが不用意に近づくことがあれば、一定の距離を置きながら「わたしは汚れた者です」と告知しなければならなかった。

 ある日、重い皮膚病の人がイエスを見かけた。救われたい思いだった。イエスのところに「来て」「ひざまづいて」「願った」。その人は「わたしは汚れた者です」と呼ばわれねばならないのに、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。必死の覚悟だった。イエスの腸はちぎれる想いになり、深く憐れみ、手を差し伸べて、その人に「触れた」。イエスは「よろしい、清くなれ」と言われた。たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。その人はまさしくイエスを信じたからこそ真の人間になった。

井深八重(1897 1989)は21歳のとき、ハンセン病患者として静岡県御殿場、神山復生病院へ連れて行かれた。病名を知らされたとき、悲惨な驚きと恐怖に怯えた。その後、誤診と判明したが、憐み深い院長ドルワル・ド・レゼー神父の心に打たれ、看護師としてそこに留まる。彼女はこう綴っている。「今、自分がこの病気ではないという証明を得たからといって、今更、既に御老体の大恩人や気の毒な病者たちに対して踵をかえすことが出来ましょうか。わたしは申しました。『もし許されるならばここに止まって働きたい』と・・」(神山復生病院100年記念誌)。

 イエスの深い憐れみの心は差別と偏見の壁を打ち砕き、束縛された者を解放し、真の人間に立ち返ることを宣言する。

わたしたちも病気に陥ったとき、この世の富と栄華の前でうなだれるであろう。それでも絶えずイエスを請い願いたい。生きることと、老いることとは、同じ過程を生きることである。老いても絶えず「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と宣言したい。

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年間第5主日   2015年2月8日    「聖書と典礼」表紙解説

                      
                      

福音朗読 マルコによる福音書 1章29~39節

すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、 人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、 熱は去り、彼女は一同をもてなした。 夕方になって日が沈むと、 人々は、病人や悪霊(あくれい)に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、
また、多くの悪霊を追い出して、 悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。
悪霊はイエスを知っていたからである。 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、
人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。
「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。


                    説教

 

イスラム国による日本人・人質事件、湯川春菜さん(42)に引き続き、後藤健二さんが殺害されました。人質は黄色の服を着せられ、全世界に見せしめの声明を発表し動画で配信されました。後藤健二さん(47)は宮城県のジャーナリストです。大学卒業後、テレビ撮影関係の会社に就職して、映像通信社を立ち上げました。特にアフリカや中東での紛争地帯で積極的な取材をしていました。1997年に日本基督教団田園調布教会で受洗しています。昨年11月頃にイスラム国に拘束されたと推測されます。イスラム国はアメリカに対する報復として同盟国をも容赦しない姿勢です。同時に人質となっていたヨルダン国王の息子も、焼殺され動画で配信されました。本当に残忍極まりない行為です。彼らはイスラム国と名のりますが、イスラム教徒の数パーセントに過ぎないテロリストたちです。

 さて、25日は日本のカトリック教会とって忘れてはならない日本26聖人の祝日でした。わたしたちにとって遠い昔のことと思われるかもしれませんが、これが今の社会システムの中で行われたのであれば、残虐極まりない行為と言わざるを得ません。江戸幕府、すなわち日本政府が、宣教師を追放し、キリスト教禁止令を発令し、24人を捕え、京都から長崎の「西坂の丘」まで見せしめの行列を強要させたのです。道中、それに2名が加わって26人となりました。受刑者は京都で耳たぶを切りとられ、厳冬のなか、歩かされました。最後には長崎の「西坂の丘」に立てられた十字架に縛り付けられて、槍を突かれて殉教しました。これは政府による見せしめです。今であればメデアによる実況中継を行ない国民への見せしめとなるでしょう(公開死刑)。


         長崎のキリスト教殉教者 17世紀 作者不詳  en wikipediaより

今日の第一朗読はヨブ記でした。全部で42章ありますが、苦しむヨブの物語は1章から2章までが試練を受けるヨブの姿が描かれています。残り42章までがほとんどヨブを見舞う、友人との論争です。なぜ人間は苦しむのか。なぜ善人が苦しむのか。これがヨブ記の重大な問い掛けです。今日の箇所はまさしく、この世の儚さを語っています。  「この地上に生きる人間は兵役にあるようなものである。・・・

   横たわれば、いつ起き上がれるのかと思い、夜の長さに倦み、

   苛立て夜明けを待つ・・・・・・・

忘れないでください。わたしの命は風に過ぎないことを。

   わたしの目は二度と幸いを見ないでしょう」 (ヨブ717

このヨブの証言はわたしたちの本音を語っています。この世の空しさ、儚さを語れば、語りきれません。日本人の心情からすれば、「もののはわれ」と言っていいでしょう。目で見る、耳で聞こえてくる感覚が、現実なものとして、息をついて、はかなく心に沁みてくるのです。江戸時代末期の国学者・本居宣長は「もののはわれ」をよく表しているのは「源氏物語」であると言っています。哲学者の和辻哲郎は「もののはわれ」とは「無意識的に求める絶対者への思いが込められている」と述べています。

ヨブに襲いかかるサタン  ウィリアム ブレイク   wikipediaより
ヨブに襲いかかるサタン  ウィリアム ブレイク   wikipediaより
執筆中のパウロ   ニコラ・トゥネル 1620年頃  wikipediaより
執筆中のパウロ   ニコラ・トゥネル 1620年頃  wikipediaより

今日のコリントの手紙、すなわちパウロの言葉はもっと積極的な関わりにおいて、イエスの福音を誇りとしています。

  「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸です。・・・・・

   弱い人に対しては、弱い人のようなりました。わたしは福音のためなら、

どんなことでもします。それはわたしが福音に共にあずかる者となるためです」。(Ⅰコリント9

今日の福音でイエスは「近くの町や村へ行こう。そこでもわたしは宣教する。そのためにわたしはでてきたのである」(マルコ139)と語ります。

イエスは宣教するのです。儚さや、悲しみを担っている人々のところへ行くのです。パウロもイエスを誇りとし、福音を生きる拠り所としています。自分にむけての悲しみや儚さではありません。イエス御自身が悲しむ人、儚さを感じている人のところへ歩み寄るのです。憐みの心を携えて主は来られるのです。苦しい時も、悲しむ時も、空しくなる時も、生きる意味も見出してくださるのが神の子イエスなのです。この世の最大の苦しみは「意味の喪失」です。魂が空洞化してしまうと、小さな出来事は何もかも空しくなってしまいます。何のために、苦しみ、何のために悲しむのか・・・・それが主のために、人々の救いのためであることを忘れてはなりません。「悲しさ」「むなしさ」をもつ言葉を探してみましょう。

  悲しみ、挫折、儚さ、挫折、失敗、恐れ、不安、怯え、殺戮、戦争、無関心

無責任、無気力、恐怖、失望、裁き、傲慢、不利益、損、罰、罰、妬み

嫉妬、利己心、不和、争い、悪口、うわさ、敵意

「喜び」と「希望」をもつ言葉を探してみましょう。

  親切、寛容、寛大、思いやり、援助、憐み、慰め、勇気、力、平安、光、道、信仰、慈愛、慈悲、歓喜、祝福、感謝、賛美、誉れ、善意、誠実、柔和、友愛、友情、創造、赦し、和解、

皆さんは生活のなかでどんな言葉を発しているでしょうか。福音的な希望の言葉でしょうか。それとも自分を満たしてくれないこの世における不平でしょうか。


最後に日本26聖人の2人の少年の言葉を伝えます。彼らは未来を断たれ、絶望の中にあっても、絶えず希望を携えていました。15歳のトマス小崎は見せしめの行列の途中、広島で母に手紙を書いています。「母上様、神さまの恵みに助けられながら、この手紙を書きます。わたしたちは長崎で十字架に掛けられます。どうか心配なさらないでください。天国で母上のお越しを待っています。母上さま、死が迫ってきたとき、神父さまがいらっしゃらなくても、心から罪を悔い改め 祈ってください。イエスさまは救いを与えて下さいます」13歳のアントニオの父は息子に棄教することを願います。「おまえはまだ子どもじゃないか。大きくなってから殉教しても遅くはないんだ」しかし、アントニオはこう答えます。「神様にいのちを捧げるのに、年をとってからというのは問題ではありません。あの罪のない幼子たちも、生まれてまもなくイエスさまのために殺されたではありませんか」1597年、25日、二人ずつ26組に分かれた役人たちが一斉に槍で胸に突き刺しました。

遺体は10月までさらし者されていました。みせしめです。今日のみことば、パウロの言葉がわたしたちの心に強く迫ってきます。「わたしは福音のためなら何でもします」。このパウロのことばはイエスの言行で、わたしたちの信仰を問いかけています。もう一度、今日のみことばから黙想していきましょう。

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年間第4主日   2015年2月1日    「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マルコによる福音書 1章21~28節

イエスは、安息日にカファルナウムの安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。
正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。 (福音朗読  フィリップ神父様)

説教    場﨑 洋 神父様      手稲教会にて


今日の福音、現実から離れている話しのように聞こえるかもしれません。会堂で汚れた霊取りつかれた男が叫んでいるのです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」。この叫ぶ内容は他人ごとのように思われてしまうかもしれません。実はこれがわたしたちの正体であると言ってもいいでしょう。わたしたちが、神様のことを忘れて自己中心的になったとき、誰かから諭されることがありますが、なかなか受け止められません。すると、善い忠告であっても、かまわないでほしいと、ほっておいてくれと思ってしまいます。神の声と分かっていてもどうしていいか分からない状態に陥ることがあるのです。汚れた霊にとりつかれた男はどんなに救いを求めていたことでしょう。本当に辛い思いであったに違いありません。昨年暮れ、アルコール依存症、薬物依存症から立ち返った方と分かち合いの時間をもつことができました。彼らは苦しんでいるとき、本当に、かまわないでくれと思うほどに苦しんだと言っています。飲まないで苦しむか、飲んで後悔して苦しむか。その板挟みのなかで、何度も苦しみ、何度も後悔し、何度も苦痛を味わったのです。本当は救われたいのです。解放されたいのです。わたしたちも、同じような状態の中にいつもあるのです。 

霊にとりつかれた男の癒し ランブール兄弟 1413~16年 wikipedia en より
霊にとりつかれた男の癒し ランブール兄弟 1413~16年 wikipedia en より

ある精神科医(ビクトール・フランクル)が言いました。

「強度の精神異常の徴候においても、精神的疾患によって消滅されることない真の精神的人格がひそんでいます。外とのコミュニケーションと自己実現の可能性だけが病気のために妨げられていますが、人間の中核は不滅のままなのです」。人はどんなに病んでいてもそこから神様に向かって救いを求めていく存在なのです。 わたしたちは主の名によって祈ります。第一朗読の申命記もわたしの名をという言葉がでてきます。今日のイエスは権威あるものとして語っています。この権威というのは父なる神の救いの業と力です。司祭も司祭の権能という恵みをいただいています。洗礼のとき、病者の祈り、ミサのとき、父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。すなわち、主の名によって祈るのです。わたしではないのです。イエスが御父の権威をもって御父を示したように、わたしたちも主の名によって祈るのです。 第2朗読のコリントの手紙は夫婦であること、独身であることの喜びを語っています。わたしたちはいかに夫を喜ばせ、妻を喜ばせとします。ところが本当は自由になるために結ばれたはずなのですが、お互いに束縛する存在になってしまっています。でもパウロは決してあなたがたを束縛するためでなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるために努めることが大切であることを教えています。主に召されているということは束縛されない聖霊の中に導かれていることなのです。わたしたちは自分の思いでではなく、主の名によって祈るのです。

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年間第3主日   2015年1月25日    「聖書と典礼」表紙解説

ペトロとアンデレの召命 カラバッチョ 1603~1606年 wikipedia(EN)より
ペトロとアンデレの召命 カラバッチョ 1603~1606年 wikipedia(EN)より

福音朗読 マルコによる福音書 1章14~20節

  • ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

ヨナのイコン(18世紀ロシア正教会、キジ島にある修道院)  wikipediaより


                       説教

今日のみ言葉の最初はヨナ書です。たいへん短く四章ほどのものです。旧約聖書の中で異邦人の救いを述べているところがルツ記とこのヨナ書です。今日のヨナ書は大変短く要約されていますが、もう一度、物語を説明しましょう。

 神はヨナにニネベに行って悔い改めをするよう遣わします。ヨナにとってニネベは敵国であって恐ろしいところですから、行きたくありません。ヨナはそれから逃れるために、 西の港(地中海)に行って、船に乗り込みました。すると海は大荒れとなり、船長は、「みんなおのおのの神に祈れ」言いました。けれども嵐はおさまりません。船長はヨナが船の底で眠っていたのを見つけて言いました。「おまえも自分の神に祈りなさい」と言いました。船長は、だれかのせいでこの嵐が起きたのだと、乗組員、みんなにクじをひかせました。するとクジがヨナに当たりました。それでヨナは白状して「手足を縛って、海に投げ込んでください。そうすれば嵐はおさまります」と言いました。それでヨナを海へ放り込みまし。すると波は穏やかになり静まったのです。それではヨナはどうしたのでしょうか。神はヨナを救うために大きな魚を送り、呑み込ませました。そこでヨナは大きな魚のお腹の中で三日三晩、回心の祈りを捧げるのです。それから、大きな魚はヨナを陸地に吐き出しました。ヨナは回心し、ニネベに行って悔い改めを呼びかけました。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びます。みんな回心してください」。

すると、ニネベにいた身分の高い者から低い者まで粗布を身にまとい、悔い改めたのです。王までもそうしたのです。神はニネベの人が悔い改めたのをご覧になり、町を滅ぼすことをおやめになりました。

「大魚に吐き出されたヨナ」 (ギュスターヴ・ドレ)  wikipediaより

ところが、このことがヨナにとって大いに不満でした。自分の敵であるニネベの人々が滅ぼされなかったのです。本当はどうなってもいいのです。かえって滅びた方がいいとさえ思っていたのです。ヨナは神に言います。「あなたは恵みと憐れみの神であり、忍耐強く、慈しみに富み、災いをくださそうとして思い返される方です。主よ、どうか、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです」。ヨナは小屋を建ててニネベの町がどうなるかを見てみようと思いました。ヨナは日照りで暑く苦しみました。すると神はヨナの苦痛を救うために「とうごま」の木を生えさせて日陰をつくってあげました(ひょうたんの木でしょう)。ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らすようにさせたのです。ヨナに日陰はなくなりました。ヨナはさらに不満を抱いてこういいました。「生きているより、死んだ方がましです」。神は言われました。「お前はとうごまの木のことで怒るのか、それは正しいことなのか」。ヨナは答えます。「もちろんです。怒りのままに死にたいくらいです」。すると神はこう言ったのです。「お前は、自分で苦労することも、育てることもなく、夜に生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ、惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、大いなる都ニネベを惜しまずにいられようか。そこには12万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」

イエスは弟子たちを召し出しました。それは善人を招くためではなく、罪人を招くためにきたのです。主が私たち一人ひとりに「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と召されているのです。 いつもわたしたちはヨナのような気持ちになってしまうでしょう。自分にとって嫌な人、敵国は滅びてしまえばいいものだ、いなくなってしまった方がいいのだ、と思ってしまいます。しかし、神は恵みと憐れみの神であり、忍耐強く、慈しみに富み、災いをくださそうとして思い返される方なのです。

 ヨナ書はイスラエル人だけが救われるという選民思想や偏見を正し、異邦人の救いを述べ伝えているものです。わたしたちのこの世は過ぎ去ります。妻のある人は妻のないように、泣く人は、泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように・・・・・・このように時は過ぎ去るのです(1コリント7・29~31)。ですから時をわきまえて神の呼び掛けにこたえることが大切なのです。イエスは神の国を述べる時によくヨナ書を引用されました。このヨナの書は旧約から新約へつなぐ書とも言われています。今日の答唱詩編は「すべての人の救いを願い、わたしはあなたを待ち望む」(詩編25)という万人の救いを願っています。

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本日ミサ後新年会でした。大勢の方が参加。婦人部特製おいしい豚汁、余興のビンゴゲームで大いに盛り上がりました。

年間第2主日   2015年1月18日    「聖書と典礼」表紙解説

(福音朗読  フィリップ神父様)
(福音朗読  フィリップ神父様)

福音朗読 ヨハネによる福音書 1章35~42節

[そのとき、]ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、 「見よ、神の小羊だ」と言った。 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、 「何を求めているのか」と言われた。 彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。 午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、 「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、 「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

ルスコーニ作 聖アンデレの彫像 1708~9年 サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂   wikipediaより

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説教   場﨑神父様 

(カトリック新聞・キリストの光・光のキリスト より)

何を求めているのか 

私たちには新しい年を迎えて何を求めているのだろうか。満たされないまま途方に暮れているのではないだろうか。ヨハネ福音書の中でイエスが語る最初の言葉は「何を求めているのか」である。主は絶えず核心に触れる方なのである。旧約最大で最後の預言者であった洗礼者ヨハネはイエスを見つめて「見よ、神の小羊だ」と言った。この意味は、過越の食事として捧げられる小羊のことである。イエスの時代、神殿では毎日朝夕、羊が捧げられていた(参照:出エジプト293842節)。受難の日、イエスは十字架上で息を引き取った。ヨハネは小羊が神殿の祭壇で捧げられた時刻とした。旧約の預言者たちは救い主の行く末に言及する。「屠場に引かれていく小羊のように彼は口を開かなかった」(イザヤ537、エレミア1119)。

         フリーサイト より
         フリーサイト より

私たちにとって小羊のイメージは優しさであろうか。しかし、「神の小羊」は従順であるが故に神に捧げられるいけにえとならなければならなかった。人間には絶えず愛されたい、親切にされたいという利己愛をもっている。モノが豊かになったのに、人の心は冷酷で、無関心である。これを優しさだと思い込んでいる。人間は反発を恐れるために何もしなくなる。そうなると干渉されない優しい環境にいる自分が幸せだと思い込む。だから無暗やたらに「地球に優しい」「環境に優しい」と平気で言ってしまうものだ。ここに今の社会の利己愛が露出している。変質した優しさには陰湿な攻撃性が潜んでいる。 「神の小羊」は、優しさを備えていながら、屠られていくものであることを忘れてはならない。神の子イエス・キリストがすべての罪人のために十字架で捧げられたことは人間への本当の優しさである。十字架は祭壇であり、イエスは小羊である。御父と罪人の間にあった大きな壁が御父と御子の絆によって打ち砕かれていく。 私たちは計り知れない神の愛に完全に応えることができない。神の愛は弱い無力な人間を圧倒してしまう。私たちは何を求めているのだろうか。サムエルは神の声を聞いたとき「どうぞ、お話しください。僕は聞いております」と自分の心を神に向けた。私たちも「神の小羊」の絆へと絶えず招かれている。そこから溢れ出る慈しみをもって自分の体に主を招き、主を住まわせ、主の栄光を現したい。

今日も主は私たちに問い続ける「何を求めているか」と。私たちは「神の小羊、世の罪を除き給う主よ、我らに平安を与えたまえ」と祈り続ける。

(今回は音声はありません)

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主の洗礼    2015年1月11日    「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マルコによる福音書 1章7~11節

[そのとき、ヨハネは]こう宣べ伝えた。 「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 水の中から上がるとすぐ、 天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

               説教  

 イエス・キリストは神の子でありながら、洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受けられました。洗礼のことをギリシア語で「バプテスマ」と言います。水に浸す、浸水と言う意味があります。流れている水の中に体を沈めて、今までの自分を殺して、新しい人になるのです。古来の言い伝えではボロボロになった自分の小舟を川の底に沈められた状態であるとも言います。穴だけのところに清い神の霊が流れ、傷を癒すのです。神は人間の姿で来られたというのに、なぜヨハネによる悔い改めの洗礼を受けなければならなかったのでしょう。キリストは罪人を洗濯機に押し込んで洗う方ではありません。自ら罪人と共に洗われる方なのです。人間は罪の支配下にありました。キリストはこの罪の支配の中に来られた方です。子供が悪いことをすると、親がいっしょになって誤りに行くことがあるでしょう。「本当に申し訳ございません。どうか、この子を赦してやってください。ほら、あなたも謝りなさい」と、いうように親が子供の代わりとなって謝罪し、子供も親と一緒に謝るのです。子供が罪を自覚していても、していなくても親はそうするのです。洗礼は御父の導きによって、自分の過ちを認め、新しい人となるのです。新しい人になると言うのは堅い決心です。一人ではありません。御父と共に生きていくことができるという確信です。イエスは旧約から新約に入るしるしとして、旧約最大で、最後の預言者ヨハネから洗礼を受けられるのですから、旧約から新約の始まりのしるしです。やがてそれはイエスが救い主となって、人類の救いのために十字架上で捧げられることと重なっていきます。

アレッサンドロ・マニャスコ キリストの洗礼 1740年 (Free画像サイトより)
アレッサンドロ・マニャスコ キリストの洗礼 1740年 (Free画像サイトより)

誓い、決心、というものは曖昧なものであってはなりません。人間関係、社会は信頼関係をもって秩序を保っていきます。わたしたちは本当に不安定でいい加減な存在です。神に従いますと言いながら、都合が悪くなったら、信じませんというのです。また、普段は「神様!」と言って真剣に祈ることもないのですが、自然災害や、自分に不利な出来事が起こると、藁をもすがる気持ちになって「神様!助けて!」と叫ぶのです。救い主イエス・キリストの到来は永遠に尽きることのないみことばです。イエスは御自身をもって御父をお示しになられるのです。洗礼者ヨハネはイエスを檜舞台に差し出されるのです。みことばであるイエスは生ける泉であり、そのみことばはむなしく天に戻っていくことはありません。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい」(イザヤ55)。「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない・・・・・そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは天に戻らない」(同:55「神の子についてなさった証し、これが神の証しです」(Ⅰヨハネ58

イエスが水の中からあがると、天が裂けて、霊が鳩のようにご自身に降って来るのをご覧になりました。天から声がしました。「わたしの愛する子、わたしの心に適う子」。いよいよ、神のご意志が御子イエスによって完成されていくのです。「主の洗礼」から、わたしたちの信仰を問い直していきましょう。主はわたしたちと共に歩み、わたしたちと共に苦しみながら罪の世界にいるわたしたちを救って下さるのです。

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福音朗読 マタイによる福音書 2章1~12節

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
 彼らは言った。 「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、 星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、 東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。 彼らはひれ伏して幼子を拝み、 宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、 別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。


 (福音朗読 フィリップ神父様)        写真2015/01/04/11:01

         説教     於手稲教会     場﨑洋 神父様 

    東方三博士の礼拝   レンブラント 1632年      wikipediaより

 

        東方教会では主の降誕を16日に祝っています。エピファニアは公に現されたという意味です。主の栄光が輝いたということです、東方から来訪した知識人である博士たちは、社会的貧困の象徴である羊飼いたちとは対照的な存在です。彼らは、星を研究する時間があり、学識に富んでいます。しかも、それを求めるために長旅も厭いません。ヘロデ王に謁見できるという身分も持ち合わせています。財宝(黄金・乳香、没薬)も持参しています。飼い葉桶の中に眠っている救い主に会うためには何の妨げも障害もありません。マタイは、こうした社会的格差を読んで博士たちと羊飼いという対極的な立場を描くことによって、救い主の到来の意味を告げ知らせようとしました。貧しい者にも、金持ちにも、知識人にも、無学な者にも、すべての人々のために神の救いがきたことを教えているのです。マタイはユダヤ人でしたが、ユダヤ社会に蔓延する格差社会、宗教的差別を打ち破っていく背景をこの箇所で教え諭したかったのだと思います。聖書における「東」というものは、いろいろな意味を持ちます。楽園があったのがエデンの東、アブラハムは東から旅立ち、イスラエルを脅かした国は東から攻めより、イスラエルの民は東方のバビロンで捕囚の身になってしまいました。しかし、救いの知らせを東方の博士たちが知るのです。エマオの弟子はエルサレムを背に陽が傾く東から西へ向かいます。

東方三博士の礼拝 ムリーリョ   17世紀  wikipediaより
東方三博士の礼拝 ムリーリョ   17世紀  wikipediaより

博士たちは東方で救い主の星を発見したと言います。彼らは異邦人です。異邦人が異邦の地で今までにない星の輝きを見たのです。どんな星だったのかは分かりません。とにかく何かの異変でしょう。出来事でしょう。 ここで科学者たちは星の正体が何であるかを解析したくなるでしょう。それが人間というものです。一般にイエスが生まれる頃、東方からエルサレムを望んだときに、不思議な星に注目したのではないかと言われます。それは木星と金星の接近です。その現れとメシア思想が重なったのかもしれません。星は暗闇の中にある希望です。慰めです。星は人生の道しるべです。博士たちは異教徒であり、異邦人です。彼らが異教の地、エルサレムで真実を見出すのです。そこには何の壁もありません。宗教、民族、距離、言語、財産、貧富の差を越えて、ひたすら真理を探究する姿勢がこの東方の博士たちの物語の中にあります。

 わたしたちも人生の旅人です。救い主の星を見失うことなく歩んで行きたいです。必ず導き手があります。わたしたちから星が消えるのではありません。わたしたちが顔を見上げて主を崇めることを忘れるのです。わたしたちが星を見失うのです。

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神の母聖マリア     2015年1月1日    「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 2章16~21節

[そのとき、羊飼いたちは]急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、 羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、 思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、 神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 八日たって割礼の日を迎えたとき、 幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。  

イコン 「イヴェルスカヤの生神女」(ロシア正教会) wikipediaより
イコン 「イヴェルスカヤの生神女」(ロシア正教会) wikipediaより

                 説教    神の母聖マリア

新しい年を迎えます。心より新年を迎えられたことを神様に感謝しお祝い申し上げます。
 太陽暦が日本で採用されたのが明治6年1月1日からです。1873年のことです。それまでは太陽太陰暦でしたから月の満ち欠けで計算してきました。キリスト教圏で太陽を起点に紀元45年1月1日からユリウス暦(ユリウス・カエサル)が採用されてきました。しかし、何度も修正された後、1582年にグレゴリウス13世によってグレゴリウス暦に移行されました。やがて天体望遠鏡による天体の動きの研究からコペルニクスや、ガリレオ・ガリレイは従来の天動説を否定し地動説を唱えました。聖書は天動説をもって教えを説いていたため、教会は厳しく彼らを批判しました。教会は新大陸発見や産業革命の発展の中で揺れ動き、近年になってバチカンは過去の教会の過ちを認めました。しかし、聖書学は衰退したのではありません。逆に進歩し深まっていったのです。その時代、時代のなかで聖書は人々のニーズにおいて信仰を証しする書物になっていったのです。
地球は自ら回っています。自転です。これが1日です。さらに地球は太陽の周りを大きく回っています。地球が太陽の周りを1周するのに365日かかるのです。これが公転、1年なのです。正確には1年は365、2422日です。この数字で計算すると一日が少しずつ多くなるので閏年を定めて調整しています。要するに地球は365回、自転しながら、太陽の周りを1年かけて一周するのです。自転の時間は正確に23時間56分4です。地球は一周4万キロで、この距離は赤道を走ったときの距離です。4万キロを24時間で割ると、自転の速度が分かります。速度は何と時速1700キロになります。新幹線は280キロですから、その6倍の速さで回っていることになります。
公転はどうでしょう。地球が太陽の周りを回っていることを公転といいます。さて速さです。これも驚きです。地球が太陽の周りを一周するときの速さは何と時速10万キロなのです。秒速でいくと30キロになります。
そのような現実を見ると、わたしたちはもの凄いスピードで宇宙を走っているのですが、同じ速さの中にいるので何も感じないでいられます。宗教的視点から考えてみましょう。わたしたちはこの一日一日をどう生きているのでしょうか。1年は一日一日の積み重ねです。1月1日の元旦から新しいことを始めたいといつも思うことが多いのですが、始まりは日々毎日のことになります。神様はいつも秩序のうえに私たちを迎え入れようとされています。人類が繰り返してしてきていることとは何でしょうか。繰り返されることによって、神の救いのわざに気づいていくこととは大切なことです。毎日何気なしに、手を洗う、足を洗う、顔を洗う、食べる、飲む、着替える、・・・・・・人間は何度も日常生活で繰り返している動作や言葉の意味を深く理解していません。太陽は昇り、太陽は沈み、大地に芽が生え、成長し、色あせて、枯れていく、春が来る、夏が来る、秋が来る、冬が来る、生まれる、老いる、病気になる、死んで逝く。・・・・・・・・・・人類が同じ秩序を繰り返しながら何かの目的に向かって歩んでいるはずです。わたしたちは今、この歴史の先頭を歩んでいます。過去の歴史を担いながら今この時という人類の歩みに責任を担って歩んでいかなくてはなりません。私たちが乗船しているこの地球、この地球で人間は何をしてきたのでしょう。今、自然が人間の行いに逆行するかのように牙をむきだしているように感じられます。それは当然のことでしょう。産業革命から人類は資源獲得のために戦争を興し、工場をつくっては大気汚染を繰り返しています。世界はグローバル化しつつもこの世界において、温かい関係を結ぶことができない状態にあります。このような人類が、動植物を乱獲し破壊していっています。大地、海、川、風に対しても、支配的な行為を行っています。それは正しい秩序ではありません。人間の心の乱れが、人間の醜さ、冷酷さが、不調和の元凶(げんきょう)であることは言うまでもありません。聖書は救いの歴史を語り伝え、教え諭そうとしています。人類の歴史は人間が神に立ち返っていくことを絶えず教えておられます。神は聖書に示されているように救い主イエス・キリストを通して人類を救おうとされました。神の母聖マリアはこの歴史のなかで選ばれ、救い主の母となり、救いの歴史の協力者となりました。地球は今も自転し、太陽の周りを回っています。神は人間に神に立ち返っていくことを何度も繰り返し求めておられます。宇宙の秩序は神の呼びかけであることを忘れてはなりません。

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聖家族     2014年12月28日   「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 2章22~40節

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、 両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、 家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、 両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、
イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。 「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、 また、反対を受けるしるしとして定められています。― あなた自身も剣で心を刺し貫かれます ―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。 非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。 彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、 自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

抱神者シメオン(正教会聖人) アレクセイ・イェゴロフ画 wikipediaより
抱神者シメオン(正教会聖人) アレクセイ・イェゴロフ画 wikipediaより

                  説教

ヨゼフとマリアは幼子イエスを主に捧げるためにエルサレム、神殿に赴いています。ヘロデの迫害の前の出来事でしょうか。シメオンという老人が、救い主を抱き上げて祈りを捧げています。彼は聖霊によって救い主を見るまでは死なないと告げられていたのです。 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。この目で、あなたの救いを見たからです。これは万民のために、整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」 この祈りは「教会の祈り」の寝る前の祈りです。日々の終わり、救い主の光を見届けながらわたしたちは眠りに入ります。ところが、両親は幼子について語ったシメオンの言葉に驚きます。シメオンは彼らを祝福し、そしてマリアにこう言いました。「御覧なさい。イスラエルの多くの人を 倒したり、立ち上がらせたり、 反対をうけるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるからである」その預言は聖母マリアにまで及びます。イエスも母マリアも剣で心を刺し貫かれるというのです。親は自分の子が幸せになってほしいと願うものです。しかし現実に親の願う幸せと、子が願う幸せは、なかなか一つになることは難しいものです。家族には信頼が必要です。信頼の絆があるからこそ堅く結ばれていきます。家族の中に秘められているもので失ってはならないものがあります。共に祈ることです。共に救われていくことです。年をとるということは悲観的になるということではなく、いのちを迎えていくという態度です。シメオンは年をとるのではなく、救いを迎えるということを希望していた人です。

デューラー 3匹のウサギと聖家族 1496年 木版画 wikimediaより
デューラー 3匹のウサギと聖家族 1496年 木版画 wikimediaより

わたしたちの目的は何でしょうか。それは幸福です。間違いないでしょう。その幸福はいつでも変わらないものとして求めているものですが、どうしても満たされないものばかりです。幸福には「相対的な幸福」と、「絶対的な幸福」があります。お金、財産、名誉、地位、権力などで、人と比べなければ喜べないものを相対的な幸福といいます。戦後の社会は相対的な幸福を求め過ぎたと言っても言い過ぎではないでしょう。でも人間の欲望ははてしなく続いて、満たされないままの状態なのです。とにかく何を手に入れても幸福になれないのです。そうなると死んで逝くときには総崩れになってしまいます。相対的な幸福は自分が自分ではなく、自分を装う幸福に重きを置いているために、自分を受け入れずにいるのです。それに対して、絶対的な幸福は、自己の完成を目的しています。自己の完成とは、自分が本当の自分になるというものです。ありのままの自分を受け入れることによって、まことである方を迎え入れるのです。絶対的な幸福は環境に左右されるものではありません。境遇に支配されるものでもありません。年齢にも関係しません。永続する確信をもっています。パウロはこう言います。「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています 」(フィリッピへの手紙4:11,12)。マリアとヨゼフは、みことばとなった我が子を、神のみ旨のうちに受けとめて歩んで行くことを決心されました。どうか、わたしたちの家族の絆を強めて下さい。弱さを担ったわたしたちの家族の中にあなたを招き入れることができますように力を注いでください。 天の父よ、わたしたちの家族を守り導いてください。わたしたちの家族は傷を負っています。倒れています。ヨゼフよ、わたしたちを支えてください。マリアよ、わたしたちを癒してください。わたしたちの内に。み言葉が宿りますように助けて下さい。

2015