主任司祭の窓(2013年度)

主任司祭 場﨑洋神父
主任司祭 場﨑洋神父

四旬節第4主日  2014年3月30日

2004年新たに発見されたシロアムの池の遺跡  wikipediaより

 昨夜、説教の準備をしているときに、群馬県の桐生教会のマルト神父様から電話が入りました。ハンセン病元患者の桜井哲夫さん(20111228日、87歳で帰天。70年間、ハンセン病と共に過ごした)の生涯のことでお話しされ、本当に素晴らしい人でしたというメッセージをいただきました。哲夫さんが天国に召されるまで大切に見守っていたフランシスコ会の司祭からの電話でした。哲夫さんはこの世において誇ることもできない容姿、社会からの差別と偏見。そのなかにおいても、神を賛美し、神に感謝し続けた信仰熱い人でした。本当に壮絶な人生を歩んで来られ、こんなにも美しい魂をもった人をどこで見たことがあるでしょうか。「明日も素晴らしい福音ですね」、と、お互い、み言葉の素晴らしさを分かち合うことのできた祈りの電話でした。

 

神はイスラエルの王を選ぶにあたってサムエルに忠告しました。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見えるようには見えない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(サムエル上167)。わたしたちは外見で人を判断してしまいがちです。人間は霊的な存在として創造されていることをつい忘れてしまいます。しかし、神は外形で人を見る方ではありません。もっともっと深い魂の美しさをご覧になっています。

 

 今日の福音においてイエスの時代、障がいをもって生まれた人に対してどう見ていたか、弟子たちとの会話で理解できます。生まれながら目の見えない人に対して、弟子たちはイエスに「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」と訊ねています。まさしくそれが当時の常識的な考え方でした。要するに障がいを持った人は汚れた者、罪を犯したものとしてレッテルを付けられていたのです。

 

 しかしながら、いつの時代もこのような偏見と差別があります。「障がいは親からもらったものだ」。「いや、何かに祟られているからだ」。「それとも呪われているからだ」と決めつけていることが歴史のなかで繰り返されています。ゲルマン人優位によるユダヤ人差別、インドのカースト制度、江戸時代の士農工商、黒人差別、宗教差別、民族差別、差別用語(びっこ、かたわ、おし、つんぼ)などあげたら切りがありません。

 

今日の福音でイエスは生まれながら目の見えない人の現実に対して、罪の結果だとは言っていません。マザー・テレサはカルカッタで死にゆく人に手を差し延べました。しかし、道行く人々はヒンズゥー教の輪廻転生の思想から、なかなか手を貸してくれません。彼らはこう言います。「そうなったのは前世で悪いことをしたのだから、罪の結果なのだ」。

 

イエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と明言しました。これは驚くべき救いのことばです。「神の業」とは何でしょう。そこには計り知れない人間の苦悩があり、その苦しみの中で救いを求めているひとりの人間がいることを神は決してお忘れにはならないということです。人間は醜いものから目を背け、この世の美しいものだけを求めようとします。しかし、イエスは、病を担っている人、障がいを担っている人のなかに神が働いていることを告げています。言うまでもなく、イエスの善き知らせは 

 

貧しい人に福音を告げ知らせるために 

主がわたしを遣わされたのは 

捕らわれている人に解放を 

目の見えない人に視力の回復を告げ 

圧迫されている人を自由にし 

主の恵みの年を告げるためである(ルカ41819) 

 

旧約聖書(律法の書)の中にも「耳の聞こえない人を悪く言ったり、目の見えない人の前に障害物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい」(レビ1914)。と語っています。「神を畏れなさい」。これは、神の偉大な業、計り知れない業が隠されているということです。神に信頼し、神に心を留めることに尽きることを教えています。

 

 ファリサイ派の人々は、目の見えない人の事情を詳細に調査しています。しかも安息日に癒されたことから律法に反していること、さらには目の見えない者が癒されること自体罪人だと決めつけています。しかし、目の見えなかった人は、ありのままのことを言います。「目を開けてくれた人は預言者です」と偽りを口にしません。さらに目の見えない人の両親もファリサイ派の人から問いただされたためか、律法に触れることを恐れ、この出来事から目を反らしています。「分かりません。本人に聞いてください。もう大人ですから」。 

 しかし、目が見えるようになった人は、イエスをありのままに見ることになります。ここで注意しなければならないことは、周囲の人々は罪人のレッテルを貼られた目の見えない人との関わりを持ちたくない態度をとっています。しかし、目が見えるようになった人は、何のためらいもなく、イエスを預言者と信じ、ありのままを語っています。ここで明らかなことは周囲の人々は目があっても見えず、耳があっても聞こえなくなっていることです。 

 「神の業」が働くため・・・・それはわたしたちが暗闇から光を求めていく生き方です。言い換えれば「回心」です。今日のエフェソの手紙でパウロは言います。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。・・・・実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ明るみに出しなさい。すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。明らかになるものはみな、光となるのです」・・・・・・・実を結ばない「暗闇の業」と「神の業」が対比されているようです。わたしたちは神の業に心を向けていきたいと願います。それはイエスが御父にすべてを委ねた生き方です。わたしたちもキリストの光を受けて輝くことができるよう主に信頼し、神の業に招かれよう祈って参りましょう。   

 

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         四旬節第3主日 2014年3月23日

ヨハネ4・5-42または4・5-15、19b-26、39.a、40-42

イエスとサマリアの女 女子パウロ会様より
イエスとサマリアの女 女子パウロ会様より

カトリック新聞  キリストの光・光のキリスト より


  渇くことのない水

    カトリック北26条教会 主任司祭 場﨑洋神父

 

 2011年の12月28日、ハンセン病に冒され偏見と差別の中、壮絶な人生を歩んだ詩人・桜井哲夫(本名:長峰利造)さんが87年の生涯を終えた。ハンセン病回復者を支援する「北海道はまなすの里」の代表・平中忠信氏(88歳)は「哲ちゃん、天国に行ったな・・」と、いとおしんだ。
哲ちゃんは17歳のとき、青森の津軽から群馬県草津にある国立療養所に入所させられた。そこで同じ境遇にあった女性と結婚、条件として断種手術をしなければならなかった。しかし彼女は妊娠し6ケ月目を迎えていた。ある日、哲ちゃんは医師の助手として呼び出され、彼女の堕胎手術が強行された。哲ちゃんは涙もでないほど悲しかった。しかも彼女は2年後に病死した。
哲ちゃんの体は末梢神経に冒され、手首から下はロウのように溶け、30歳で失明し、鼻は潰れて鼻孔だけが残り、顔は恐ろしく醜くなっていった。彼の魂は渇くことのない水を求めて暗闇の中を足掻き続けた。
1996年、悲願だった「らい予防法」廃止が実現した。その後、ハンセン病元患者たちによる国家賠償訴訟が熊本地裁で始まり、ついに2001年、判決は原告勝訴となった。これを受け政府は絶対隔離政策という国の過ちについての真相究明を行う「ハンセン病問題に関する検証会議」を発足させた。2005年、最終報告書が提出された。そのはじめはこうである。
 「まさに変わるべきは私たちの社会である。私たち一人ひとりである。そのための検証である。取り返しのつかない過ちを犯し、贖罪のおびただしい涙を流して、私たちは反省を心に刻んだ。・・・・」
ユダヤ人にとってサマリア人は異教徒よりも罪深いものとされた。しかも井戸に水を汲みにきた女はサマリア人の中でも後ろ指を差される存在だった。しかし、ユダヤ人であったイエスはこの女に分け隔てなく「渇くことのない水」を示された。
哲ちゃんを救ったのは、イエスのことばだった。彼は「渇くことのない水」を得て受洗した。彼の詩集に「水」がある。
   婦長さんの声に目を覚ましたのです
   夢を見ていました。
   故郷津軽の草原に遊ぶ夢を
   高い熱と衰弱に意識を失ったことも知らず
   柩が用意されていたことも知らず
   「婦長さん水、お水を下さい
   喉が渇きました」
   コップ一杯の水を息もつかせず飲みました
   あれから三十有余年
   ようやく知りました
   水のやさしさを 
   水の強さを
   水の大切さを
      (『桜井哲夫詩集』<土曜美術社出版販売>より) 
イエスが与える渇くことのない永遠の命に至る水は、今もなお、民族、宗教、偏見と差別の壁を越えて、一人ひとりの魂を潤していく。

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今回の司式は 金 東炫 (キム・ドンヒョン)神父様 (北11条教会 助任司祭)です。

四旬節第2主日 2014年3月16日 今回の司式は 加藤鐵男 神父様 です

説教   マタイによる福音 17・1-9

「キリストの変容」ヴァティカン美術館蔵 ラファエロ・サンティ 1483~1520年 (ウィキペディアより)
「キリストの変容」ヴァティカン美術館蔵 ラファエロ・サンティ 1483~1520年 (ウィキペディアより)

最初の受難予告から6日目の出来事でした。イエスは、ペトロ、ヤコブとその兄

弟ヨハネの三人の弟子を連れて高い山に登られました。そうするとイエスの姿が彼らの前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。

 見るとモーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていました。何を語っていたの

か、それは、今日の福音のルカの並行箇所にあります。『イエスが、エルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた』と言う箇所です。

 モーセは、最大の立法者であり、神の律法、すなわち「十戒」を人間にもたらし

た至高の人間でした。また、エリヤは預言者の中でも最も偉大であり、エリヤを通して神の声が人に語りかけられたのでした。それは、イスラエル史上最大の人物が、今、未知の世界に向かって、最後の、そして冒険を試みようとしているイエスのもとに来て、前進を進めようとしているものでした。最大の立法者モーセと最大の預言者エリヤが、イエスこそ、かれらが待望し預言した人であることを認めたのです。

人間の中で最も偉大な人たちが、イエスの今立つ道が正しいこと、また、エルサレムとカルバリオの丘に向かって、冒険的な前進をすべきであることを告げたのです。

 

 これらのさ中に、ペトロがあまりのすばらしい光景に興奮して「わたしがここに  

仮小屋を三つ建てましょう」と口走りますが、そのとき光り輝く雲が彼らを覆った。

 そして雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者。これに聞け」という神の声が雲の中から聞こえてきました。これは、イエスが洗礼を受けた時と同じ言葉が聞こえてきました。これは、モーセとエリヤがイエスの正しさを保証したばかりでなく、神の声そのものがイエスに聞こえてきて、イエスが正しく神の道を歩いていること、また、その歩みを続けるべきことを指示したことになるのです。

 

 この変容は、イエスばかりでなく弟子たちにとっても、大きな経験でした。イエ

スは受難の予告があったにもかかわらず、エルサレムへの道を歩もうとされていました。十字架にかけられ、死ぬことは弟子たちにとって暗い屈辱以外の何物でもありませんでした。しかし、高い山の変容のすべては栄光に輝いていました。この出来事は、最初から最後まで栄光に輝いていました。イエスの顔は輝き、服は光のように白くなった。それはユダヤ人にとって正しい者に与えられる勝利の約束である現象を現していることを知っていたからです。弟子たちにとって、これは恥辱のかなたにある栄光を、屈辱の彼方に勝利を、十字架の彼方に栄冠を見ることが出来たことになるのです。

 また、この変容の出来事は、弟子たちに祈ることの大切さをも教えてくれることになりました。なぜなら、イエスは祈るためにこの高い山に登られたからです。

 

 

イエスは、後に逮捕される直前にもゲッセマネでも祈りました。イエスは祈る際

にはいつも静かなところを選ばれます。私たちも、本当に祈るときには、心を落ち着かせ、静かなところで祈るようにとのメッセージを戴いているのです。

 

 そして、一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」と弟子たちに命じられたとあります。 

 これは、人々がメシアとは誰か、また、どのような方かを知らないままで、イエ 

スをメシアだと宣伝することは、非常に危険であったからです。ユダヤ人にとってメシアとは、征服者つまり王様という観念が、根強く残っていたからです。人々は戦闘で自分たちの生活の向上を目指しました。それでローマに反乱をおこし、イエスの時代にすでに20万人もの人が犠牲になっていました。 

 だから、イエスは、まさに栄光の象徴である復活の暗まで誰にも告げ知らせないようにと弟子たちに釘をさしたのです。従って、三人の弟子たちは、民衆とは一線を画すことになりました。それは先取りされた復活の栄光の一部でした。民衆は、イエスが復活して弟子たちに現れ、人々に現れたときに初めて理解でき、また、告げ知らせることが出来たわけです。復活は受難への道を含む出来事です。高い山で明らかにされた栄光に包まれた人の子が神の子であるということは、神の子が人の子としてゆずりのうちに苦難への道を歩んだときに初めて、矛盾なく真実なのであると言えます。

 

 ペトロが高い山で見た変容の出来事は驚愕の出来事でしたが、ペトロが建てましょうかと言った仮小屋にふさわしい場所は、高い山の上ではありませんでした。イエスがいつも見据えていたのは、どん底にあえぐ人々であり、何人かの弟子たちにしか達することの世界ではなくて、全ての人々が恩恵を被ることが出来る目線を低くし、憐みと慈愛に満ちた世界でした。 

 

 キリスト教の神髄は、人間の救いにあります。私たち人間をこの世にお作りになった神が、こよなく人間を愛してくださったように、私たち人間同士も愛し合わなければなりません。この四旬節の回心の時に、その心を強く受け止めなければならないと思います。 

 四旬節の第二にいつも読まれる変容の箇所を通して、わたしたちもイエスの歩んだ道に従う決心とイエスと同じ眼差しで、今、助けを必要としている人たちと寄り添いながら前に向かって進むことが出来ますようにこれから行われる感謝の祭儀を通して、皆さんと心を合わせて祈ってまいりましょう。  

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説教  四旬節第1主日  2014年3月9日 マタイによる福音 4・1-11

荒野の誘惑 フラン・デ・フランデス 

1496~1519年 wikipediaより

アダムとイヴと蛇を描いたノートルダム聖堂の入り口にあるレリーフ wikipediaより
アダムとイヴと蛇を描いたノートルダム聖堂の入り口にあるレリーフ wikipediaより

今日のみことばは人間が日々些細な誘惑に陥りやすいということをわたしたちに教えています。創世記の失楽園の物語は、信仰の書として罪の起源について鋭く人間の弱さを突いています。園の中央に生えている木の実は食べてはいけない、死んでしまうからです。この中央というのは神様の領域、聖なる場所です。人間は神様が差し出したいのち、人間と神との愛の秩序を破壊して「神のようになりたい」という欲望をもちます。誘惑する蛇は「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」と女を唆します。女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように見えました。「死んではいけない」と言われても、罪は何かに魅了されるかのように始まっていくのです。彼らは園(楽園)の掟を見失い、中央の木の実に触れ食べてしまいます。これこそ聖書は「肉体の死」ではなく「魂の死」を悲しまれるのです。
 人間は神のようになること、神のように振る舞うこと、人を支配することを好みます。悪魔のささやきが日々蔓延しています。悪魔とは鬼のような角をもった獣の姿をしているイメージですが、そうではありません。日々わたしたちの心の中で囁いている誘惑の声(悪への傾き)なのです。何となく口を滑らせた。急にカットなってしまった。知らぬ間に、ふと気が付いたら・・・・大変なことになってしまった。・・・・そんな具合にです。殺し合いをするアクション映画、戦争映画を見て喜んでいる自分がいます。敵が死ぬと喜んでいる自分がいます。もっと豊かなになりたい、もっとお金持ちになりたい自分がいます。もっと健康でありたい、もっと美しくなりたい自分がいます。あんな奴、居なくなればいいと思っている自分もいます。あるいは逆のこともあるでしょう。わたしはもう駄目だ、わたし自身いなくなればいいのだ。この社会、この世界はないほうがいい。自分もみんな居なくなればいい。・・・・・・・これも人間が陥りやすい破滅への欲望です。
このように人間は自己顕示欲が強くなると、自分の思いのままになることを欲します。「神のようになる」(創世記)・・・・。それは今日の福音でイエスを試した悪魔もそうです。「もし、神の子なら」と試みるものは近寄ってきます・・・もし・・・・もし・・・・・英語で人生のことを「Life」と言います。この4文字に中には「IF」(もし)が潜んでいます。人生は絶えず「もし・・」「もし・・」という呟きが付き合いまとわります。人生に対して今この時を否定してしまう自分がいるのです。そうしたらこの悪魔のささやきから、わたしたちは逃れられるのでしょうか。救われるのでしょうか。
聖書では決して不可能ではないことをキリストによって証ししています。それが今日のローマ人への手紙です。
「恵みの賜物は罪と比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです」。
 精神科医師で小説家の加賀乙彦氏(1929~)は、長年、刑務所で受刑者と対話し、人間はこれほどまでに醜く、脆い存在であるかを思い知らされました。それは受刑者だけのことではなく、人間の歴史をみても分かるように私一人ひとりも罪を担う「受刑者」だと言っています。
 彼は、一人の死刑囚の生き方に救いを見ました。残忍さを剥き出しにした死刑囚・正田昭(1929~1969)はカンドウ神父(1897~1955。パリ外国宣教会司祭)から洗礼を受けました。正田はいつ死刑にされるかわからないとう日々の中で模範的なよき受刑者でした。彼は本当に純粋な気持ちに変わり、自分の罪を悔い、償いを果たそうとしたからです。加賀氏は「それは不思議なことでした。死刑囚からキリスト教を教わり、そして信者になる。まさに私の恩人の一人が正田だ」と述べています。1969年、正田昭の死刑が執行されました。享年40歳でした。
最後に正田は弁護士宛に手紙をしたためました。
 「先生、さようなら。いよいよお別れの時が参りました。つい先日、慈父のごとき愛にみちた御手紙をいただいたばかりですのに、もう先生のお言葉に接することができないとは、本当に悲しいですし、明日の死を前に、最後の面会に来てくれました母の心を思うと、ふかい悲しみにみたされ、今更のように親不孝なわが身が責められてなりません。
 しかし、今は母もゆるしてくれているでしょう。母は『天国に行って待っていてね。そしてお母さんがゆくときは迎えに来てね』と云いました。カンドウ神父さまをはじめ、多くの人を迎え入れた<かの国>へ私も明日参ります。先生、ながい間、本当にありがとうございました。御恩はあちらへ行っても忘れません。どうぞ母と私のためにお祈りください。これから、最後の夜を母のためにすごすつもりです。では先生、もういちど、さようなら。 正田昭 」。
                               
パウロも手紙の中で確信するのです。恵みに気づきなさい。恵みは悪魔のささやきに打ち勝つことができるのです。「恵みの賜物は罪と比較にならない」という確信です。神が人となってわたしたちの内に住まわれたこと、イエス・キリストの恵みと賜物が闇の中に救いをもたらすということです。すなわち、わたしたちが神様のみ旨に叶う本当のわたしになることだとも言えましょう。わたしたちの日々の生活、つねに誘惑のささやきがあります。だから主の祈りを通して祈るのです。
「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」。
そのことによってわたしたち一人ひとりは神様からの恵みに気づき、魂が死なないように、絶えず誘惑から守ってくださるように祈り求めるのです。

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説教  年間第8主日  2014年3月2日

「空の鳥をよくみなさい」滑空中のトビ wikipedia より
「空の鳥をよくみなさい」滑空中のトビ wikipedia より

イエスの育ったナザレはとても長閑な村でした。東側に少しいくとガリラヤ湖があり、豊富な魚が獲れました。周辺の木々や草、野の生きものたちは御父の似姿として、美しく自然のなかで調和していました。少年イエスは大自然の中で育ち、人々の交わりの中で、いのちを観る洞察力に富んでいました。神が創造された自然のいのちを絶えず賛美し感謝していたからです。「空の鳥をよく見なさい」。 「注意して野に咲く花を見なさい」。イエスは野に咲く花がどのように育つかを注意深く見るように促しています。働きもせず、紡ぎもしない。しかも、栄華を極めたソロモンさえ、この花の一つほどに着飾っていなかったのだ、と言います。 

話は変わりますが、オハナと言えば、「ぞうさん」です。ぞうさんの歌を知っているでしょう。クリスチャンだった詩人まどみちおさんの作品です。先週228日に104歳で亡くなりました。1939年に「ぞうさん」をかいて、団伊久磨さんが曲をつけました。 

「ぞうさん ぞうさん おはがながいのね そうよ かあさんも ながいのよ」 

※「やぎさんゆうびん」(1939)、「ぞうさん」(1948)、「いちねんせいになったら」(1954年)、「ふしぎなポケット」(1966年)などたくさんの詩をかいた。

 沖縄在住の妹の春江さん(101歳)はお兄さんのことを「優しく、欲がなく、疑わず、神様のようでした」と語っています。どんな小さなものにも愛をもち、存在し続けことを、自分が窓になって神様のいのちを伝えたかった詩人だったです。本名は石田道雄で、ペンネームの姓を「まど」にして、神様のいのちを伝える詩人になりました。まどさんは、小さないのちのなかにも神様のいのちが美しく輝いていることを描き続けました。そのいのちが宇宙に広がって生きていることを伝えたかったのです。簡潔なことばで、単純に、やさしくです。たとえばこんな詩があります。 

「キリン」

みおろす キリンと

みあげる ぼくと 

あくしゅ したんだ 

めと めで  ぴかっと・・・ 

そしたら  

せかいじゅうが 

しーんと  しちゃってさ 

こっちを  みたよ 

 わたしたちの日ごろの出会いは、ただそこで起こって終わりではないのです。一つひとつのいのちの存在は本当に尊いものです。イエスは「栄華を極めたソロモンさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」とわたしたちのいのちをこよなく愛されるのです。現代は点から点に移るときに過程をあまり気にしません。手紙をもらうと、いろいろな人が関わっていのちの重さを感じます。ときどき、見失っている、見近な「いのち」を意識して観察しましょう。小石の存在も、塵の存在にも意味があります。ときどき散歩してみるといいでしょう。気づかないいのちの素晴らしさに気づくことでしょう。

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        年間第7主日、説教 2014年2月23日

フラ・アンジェリコ イエスの捕縛  wikipediaより

   blog.goo.ne.jp より
   blog.goo.ne.jp より

「手のひらを太陽に」を作詞した人を知っていますか? ♪ ぼくらはみんな生きている。生きているから歌うんだ・・・・生きているからかなしんだ・・・・♪。昨年10月13日、94歳で亡くなった絵本作家・詩人の「やなせたたかし」さんの作詞です(発表は1962年、作曲:いずみたく。歌:宮城まり子)。

 彼は、未熟児で生まれて、戦争で飢えを体験し、人生の苦労人でした。しかし、すべて自分に舞い降りて来たものを受け入れていく感謝の人でした。この世で愛された彼の描いた人気キャラクターは皆さんもご存じのアンパンマンです。このアンパンマンは大人に愛されたのではなく、幼児に愛された最高のキャラクターだったのです。子供たちが今でも知っているアンパンマンマーチの歌詞は、やなせさんが書いたものです。子供たちは喜んでこの歌を歌っています。ところがこの詩の内容がとても深くて、キリストの生きた方に似ているのです。

隣りの教会のイタリア人の神父様は、この「アンパンマンマーチ」の歌詞に大感激。キリストの生き方にそっくりだと言って電話をかけてきました。しまいに北26条教会までやってきて、やなせさんについての情報を得ようと懸命でした。

歌詞を紹介します。( )の参照はわたしが勝手に聖書から選んでみたものです。まだまだたくさんあります。これはほんのちょっぴりの引用です。

 

そうだ うれしいんだ

生きる よろこび     (参照:詩編31・8、ヨハネ16・20)

たとえ 胸の傷がいたんでも(参照:イザ46・3~4.53.1コリ11・23~24、

1コリ12・26、・・・・)

なんのために 生まれて   

なにをして 生きるのか   

こたえられないなんて

そんなのは いやだ!    (参照:フィリピ2・6~11)

今を生きる ことで

熱い こころ 燃える    (参照:ルカ24・32)

だから 君は いくんだ

ほほえんで

そうだ うれしいんだ

生きる よろこび

たとえ 胸の傷がいたんでも  (参照:マタイ5・11~12)

ああ アンパンマン

やさしい 君は

いけ!みんなの夢 まもるため  (参照:1コリ13・13)

 

なにが君の しあわせ  (参照:マタイ5・3~10)

なにをして よろこぶ

わからないまま おわる

そんなのいやだ! 

忘れないで 夢を

こぼさないで 涙

だから きみは とぶんだ

どこまでも

そうだ おそれないで (マルコ参照:4・40)

みんなのために

愛と 勇気だけが ともだちさ(参照1コリ13・1~8)

ああ アンパンマン

やさしい 君は

いけ!みんなの夢 まもるため

 

時は はやく 過ぎる   (参照:コヘレトの言葉3)

光る 星は 消える   

だから 君は いくんだ

ほほえんで

そうだ うれしいんだ

生きる よろこび 

たとえ どんな 敵が あいてでも   (参照:マタイ5・44~47)

ああ アンパンマン

やさしい 君は

いけ!みんなの夢 まもるため    (参照1コリ12・26)

 

 

パンは外国からのもので、中身はアンコ日本生まれです。でもパンは主食にもおやつにもなれます。アンパンマンは自分の顔をちぎっていって、人々を助けるというところが始まった物語です。彼が亡くなったあとにネットで彼はクリスチャンだったという投稿がたくさん寄せられていましたが、未だに定かではありません。                

でも、やなせさんの言葉のなかに、たくさん、聖書とかさなるものがあります。

「正義の味方は カッコよくない 傷つくことを 覚悟する」

                   (「もうひとつのアンパンマン」より)

「絶望の隣りには、希望がそっと座っている」

                   (「ちいさなてのひらでも」より)

 

アンパンマンに登場してくる敵・バイキンマンがいます。

アンパンマン(パンは酵母菌)も菌がなければ生きていけません。

 

わたしたちの体にも、善玉菌、悪玉菌があります。要するにこの世は、絶えず悪と善が混ざり合って生きていかなくてはならないのです。やなせさんは、常に「汝の敵を愛せよ」の中に本当の自分を探し出し、生きる意味を見出そうと生きた人でした。善人にも悪人にも太陽を昇らせ、善人にも悪人にも雨を降らせてくださる方をこよなく愛されたのです。

 

大人ではなく、幼児に長年、愛されてきたのがアンパンマン。やなせさんの気持ちが子供たちに愛されていることは彼の誇りです。

 

漫画とはいえ、絵本とはいえ、子供の世界とはいえ、決して、アンパンマンを侮ることはできません。もし、アンパンマンの絵本や漫画に出会ったら、イエス様と必ず、重なります。純真無垢な子供たちのなかに生きつづける素晴らしい物語を やなせさんはもっとも大切な宝として、子供たちに遺してくれました。

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                           汝の敵を愛せ

 

カトリック新聞・福音解説  2014年2月23日号「キリストの光・光のキリスト」より

 

「汝の敵を愛せ」(マタイ5・44)。このことばの含蓄の深さはイエスの教えそのものである。キリスト者であってもこれを実行することは決して容易なことではない。そしたら「汝の敵を憎み、汝の味方を愛せよ」と言われたらどうだろう。恐らく人間は自己中心的になって堕落の道を歩むことになるに違いない。  

 小学校の4年生のときだったと思う。昼休みが終わって午後の授業が始まった。先生がなかなか来ない。近くにいたみやこちゃんの様子が可笑しい。すると両手を口に当てて戻し始めた。周囲にいた人たちは驚いて敬遠した。しかし、土肝を突かれたのは、まなぶくんの行為だった。彼女の口元に両手を差し出して汚物を受け止めた。しかも「出しなさい」と言っている。汚物は彼の手のひらにあふれて床に落ちていった。わたしは呆気にとられて傍観していた小さなキリスト者だった。しかし、彼の方が勝っていた。この出来事は衝撃的だった。わたしは彼の手のひらが神様に見えた。汚物を受けとめている彼が美しくてならなかった。彼のようになりたいと思った。大人になって、もっと人のために、善いサマリア人のようになりたいと思った。しかし人生の半ばになると、それが限界に達する。善いキリスト者を装うと自己嫌悪に陥ったり、相手を責めたりしてしまうもの。そのときはじめて自分の弱さと傲慢さに気づくものだ。

 聖書のみことばは力強くわたしたちの心を奮い立たせてくれる。しかし、文字通りに実行することは難しい。絶対者である神のもとに、教義があって、それがさらに絶対化してしまうとついつい人を裁いてしまうものだ。がむしゃらにやっていることがあたかも美しく感じることさえある。しかし、それは個性を磨滅させてしまうことにもなりかねない。それよりも問題を共有することの方がもっと大切だ。共有するということは関係性でわたしたちが生かされているということである。宗教的であっても、科学的であってもかまわない。絶えず中心からそれないように関係性のなかで真理を希求することが求められるのだ。

宮沢賢治は言った。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」(「農民芸術概論綱要」)。わたしたちは何かに結ばれているという関係性の中で生かされている(ヨハネ15)。「汝の敵を愛せ」を理解しようとしないならば希薄な関係性と排他的な社会だけが残るだけだろう。人生は不可思議である。だからこそ後醍味にあふれている。

 

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        年間第6主日、説教 2014年2月16日

ホセ・デ・リベーラ 「モーセ」1638年 (十戒が書かれた石版を持つモーセ)

(ウィキペディアより)

 

     2014.02.16
     2014.02.16

昔、主日のミサの前に朝の祈りと共に「天主の十戒」が唱えられていました。律法とはモーセの十戒(出エジプト20:3~17.申命5:7~21)のことですが、この十戒から守るべき規定がたくさんつくられました(律法における掟は、十戒だけではなくそれに基づいて613の掟がつくられました。その内、絶対事項が248、禁止事項が365でした)。
一般に聖書の中で律法とはモーセ五書(創世記、出エジプト記、ヨシュア記、申命記、民数記)を指します。特に大切な掟は律法と預言が語る、二つの掟でした。第一は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」。第二はこれと同じように重要で「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:37~40)です。
十戒を思い起こしてください。1)あなたは主、あなたの神、あなたの他に神はあってはならない。2)あなたは主、主の名をみだりに唱えてはならない。3)安息日を守ってこれを聖別しなさい。・・・・ここまで3つをとっても神を中心に据え、自己中心ではなく、神中心に心を向けることを徹底しています。それ以降の掟は第二の掟「隣人を自分のように愛せよ」と切り離すことができません。4)あなたの父母を敬え。5)殺してはならない。6)姦淫してはならない。7)盗んではならない。8)隣人に対して偽証してはならない。9)他人の妻を欲してはならない。10)隣人のものを貪ってはならない、です。
今日の福音はわたしたちにとって厳しい教えであるように感じられますが、紀元前1500年頃、モーセの時代は社会的秩序、宗教的秩序がとても乱れていました。唯一神以外のものに心が奪われていたのです。隣人に対してさえ、隣人の心となることを忘れていました。わたしたちの日常生活のなかでも、モーセの時代と同じようなことが頻繁に起こっています。世界はグローバル化しながらとりとめもなく紛争(殺し合い、盗み合い、偽証など)、格差が絶えません。混沌の時代と言えましょう。情報が社会の中で蔓延していくなか、社会的秩序、宗教的秩序も損なわれている現実を目の当たりにします。わたしたちは社会と良心の葛藤によって咎められては、社会的価値観の中に引きずり込まれていく弱さを担っています。
 わたしたちは祭壇に供え物を捧げるときでさえ、「いい人間です」と言って、隣人を愛せないままでいます。律法の中で神は心の中で淫らな思いを抱きなさい、憎しみを持ちなさい、人のモノを貪ってはいいですよ、とはおっしゃっていません。かえって、体全体を失うよりは、悪い部分をえぐり出して捨ててしまいなさい、と言われるほどです。わたしたちは常に執着、雑念、迷い、疑いなどから解放されません。何かに捉えられてしまうと命全体がそのものの奴隷になってしまいます。神の掟を完全に守り抜くことは人間にはできないことです。・・・・・ですが、人間は絶えず、倒れながら、起き上がり、希望をもつ存在として創造されていることを忘れてはならないと思います。神の憐みを深く信じ、弱さの中に働く救いの力に寄り頼みながら生きていきたいです。
 20年以上前のことです。アルコール依存症になった60代半ばの男性が、教会に訪ねてきました。依存症で病院に入院していて、外出許可をもらって街を歩いていたのです。
ところが酒屋の自動販売機の前で、右往左往して苦しんでいたのです。飲むか、堪えるか、すなわち、「然り、然り、否 否」だったのです(マタイ5・37)。迷って迷ったすえ、彼が思いついたのが、教会でした。「神父さんがいるかもしれない?」。・・・・・・幸いわたしがいたので、彼は葛藤に苦しんでいた状況を説明し、自身のことを語り始めました。一時間ほど語って最後にこう言いました。「神父さん、今日は助かった。これで今日は飲まないで帰れます。ありがとうございました」。
 北26条教会では週に5回、アルコール依存症や薬物依存症の方々のミーティングがあります。彼らは一日一日、依存症から脱却するために命がけなのです。一滴でも飲んでしますと、アウト、振り出しなのです。まさしく彼らは生かすために日々崖ぶちを歩んでいるのです。わたしたちがその人たちを見た時、自分たちは別世界だ、わたしたちは彼らより上を歩んでいるんだと言う思いになることは驕りです。わたしたち以上に彼らは人生に対して真剣だということです。彼らに倣っていきたいものです。
そのように生きている人のことを思うとわたしたちも違った意味で決断と行動が必要になるでしょう。シラ書は語ります。「その意志さえあれば、お前は掟を守り、しかも快く忠実にそれを行うことができる」(15・15)。
パウロも神の霊によって導かれることをわたしたちに伝えています。
「わたしたちは、神が霊によってそのことを明らかに示してくださいました」(Ⅱコリ2・10)。神の霊、それはイエスの体を通して働かれた神の霊であり、イエスが示された福音、イエスの死と復活にあやかることになるのです。

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年間第5主日 2014年2月9日  説教

北26条教会出身であったアシジのフランシスコ中江洋神父様が2月6日、午前11時17分、77年の生涯を終えて、天に召されていきました。当教会の協力司祭でもあった神父様は病の中にあっても、絶えずわたしたちのために祈りを捧げ、苦しみを通して「世の塩」、「世の光」となっていきました。
 洗礼を授けたメランド・ヤヌワリオ神父様のとの出会いは、イエスの命のなかに中江家もろとも引きこまれていきました。つたない日本語でありながらも、イエスを伝えていく情熱は多くの人々に感銘を与えました。雨の日も、風の日も、雪の日も、自転車にまたがり、病者訪問に行ったかと思えば、信者さんの家で要理を教えに行ったりしていました。
ヤヌワリオ神父は要理の勉強中に、疲労のためなのか毎回、居眠りをしていました。
昔のフランシスコ会フルダ管区の宣教師たちは錚々たる人物で一杯でした。聖書学者であったり、音楽家であったり、豪傑でユーモアの達人であったりしました。
35年前に北十一条教会の主任司祭だった谷津良勝神父様は北十一条教会に招聘されるときに、管区長さんからこう言われました。
「あなたは5月5日付で、北11条教会の主任司祭、修道院長です。他にも幼稚園の園長、高校と大学でも宗教を教え、札幌刑務所にも、そして天使修道院と札幌マリア院修道院にも、毎週、シスター達に、霊的講話のために行きなさい」と命令されました。突然、襲ってきた仕事に、谷津神父は「そんなことしたら、死んでしまいます」と返事をしましたら、管区長は「それでは、死になさい」の一蹴です(北11条教会100周年記念誌より)。
 このような一面を見ても宣教師たちの肝っ玉はイエス・キリストの弟子としての自覚をわたしたちの何十倍ももっていました。
 中江神父様のお姉さんの中江佳津子さんは、先に洗礼を受け、家族が洗礼を受けるのを見届けてから、トラピスチヌ女子修道院にご自身を奉献しました。しまいに息子の中江洋が司祭職を目指したいと言い出しましたから、ご両親はどう思ったことでしょう。人生は一期一会、こんなにも中江家の人生が一変してしまったのです。
 しかし、この出会いによって、昨年、お姉さんの佳津子さんは修道生活50周年を迎えられました。もう弟の葬儀には出られないと、10月末に日帰りで来札見舞い。最期のお別れをしました。
 中江神父様の生涯は絶えず病を隣人として過ごされました。2月11日は「世界病者の日」と定められています。病人をお招きになったイエスにならい、中江神父さまは自らの病を自分の友とし捧げられました。
 天に召される前日の2月5日(水)の夕方、中江神父様を見舞いました。「おお、神父さんか・・・」と、言って、あとはほとんどお話になりませでした。すぐに病者の塗油の秘跡を始めました。額に油を塗ると、中江神父は両手を差し出して、この苦しみを甘んじてお受けになっておられるのを感じました。カルワリオの丘のイエスの十字架を重ね合わせながら、病者の苦しみを自分の十字架としてお捧げになりました。
 わたしたちは中江神父様の生き方を黙想します。「世の光」、「世の塩」となった中江神父様の生涯が、多くの病人の慰めと力となっていることを信じています。2月11日、「世界病者の日」を迎えるにあたり、わたしたちも病の中にあっても、あなたの光をうけて光り輝くことができますよう恵みを注いでください。
そのとき、ルルドの聖母、北の国の聖母(北26条教会の保護者)の取次ぎを願って祈ってください。そして病と共に歩んだ中江神父様の取次ぎもわたしたちの宝です。祈りによって、慰めと希望をいただくことができるでしょう。わたしたちは強められて「世の光」、「世の塩」となります。
 教皇様は「世界病者の日」に先立ってこのように語っておられます。
「・・・・マリアは道を知っています。それゆえに、マリアがわたしたちを助け、支え、決して見捨てないことを確信しつつ、わたしたちは信頼と子としての信心をもって、マリアに向き合うことができます。マリアは、十字架につけられた復活したキリストの母です。マリアはわたしたちの十字架のかたわらに立ち、復活といのちの充満に向かうわたしたちの旅路に寄り添ってくださいます・・・・・」。
北の国の聖母の取次ぎを願いましょう。そしてわたしたちの共同体から誕生した中江洋神父様の生涯をたたえ、神父様にも御取次ぎを願いましょう。
わたしたちが「世の塩」、「世の光」となるためです。

 

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説教、主の奉献 2014年2月2日

主の奉献のイコン  ロシア15世紀

   ラ・シャンドゥレール
   ラ・シャンドゥレール

イエス・キリストの誕生の12月25日から数えて40日目の2月2日の今日が主の奉献のお祝い日になっています。マリアは幼子イエスを神殿に奉献します。この日を「マリアの清めの日」(出産から40日目に神殿に行って清めてもらうユダヤ教の習慣から)、さらに幼子イエスが神殿に奉献されるということで「主の奉献」(祭壇に火が灯されることも意味する)と呼ばれるようになりました。ローマにキリスト教が伝わっていくと、この日の早朝に手にろうそくを持ってミサに与りました。ローソクを祝別してもらうためです。それを持って家に帰り、火を灯してキリストの光が家の中で輝き続けることを願いました。それ以降、この日は「キリスト」と「光」が強く結びつくものになっていきました。
 フランスでは、この日をラ・シャンドゥレール(ローソクの意味:「シャンデリア」もそうです。ローソク1本の明かりを1カンデラと言います)の日として祝われ、「クレープの日」でもあるのです。その由来は二つあります。一つは 太陽は丸い形をしていて、黄金に輝きます。クレープも円盤状に焼いて太陽の光を表します。もう一つはエルサレムからローマにやってきた巡礼者がローマの入口の門で疲れ果ててお腹を減らしていたところ、教皇ジェラス1世が彼らに小麦でつくった円盤状の食べ物を与えたという伝説に由来しています。
この日、フランスの家ではクレープを焼く慣習があります。左手にコインを握り、右手でフライパンの柄をがっちりと握り半焼きになったクレープを逆さまにひっくり返すのです。でも、子供はなかなかできません。これはどうしてでしょう。人生はそう簡単に思い通りにはいかないことを悟らせるためなのです。
今日は神殿で救い主を待ちわびていたシメオンが幼子イエスを迎えて抱きあげます。彼は聖霊に満たされて祈りを捧げました。「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。万民を救う、異邦人を照らす光・・・・」。この箇所は「教会の祈り」の中にある「寝る前の祈り」です。トラピストでもこのシメオンの歌が歌われ、最後にサルベ・レジーナを歌い就寝になります。シメオンは救い主を抱き、真の光を見て、眠りにつくのです。
 シメオンは幼子イエスを抱き、救いの光を見て、その人生は心が刺し貫かれていく「しるし」を幼子と母マリアの中に見ています。母マリアとイエスはこの世の光になるために裂かれていくということが告げられています。社会が乱れてくると、祈りも真の祈りではなくなり、うわべの祈りになります。それが今日のマラキの預言のなかで語られています。「彼らが主の捧げ物を正しく捧げる者となるためである」(マラキ3・4)。
今日は、主の奉献、今まさにイエスは神殿に入って来られるのです。その奉献は御父のみ旨を果たすための奉献の始まりです。わたしたち一人ひとりにもイエスの奉献に与っています。この限られた人生の中で何のために生き、どこへ奉献していくのでしょうか。奉献生活は修道者、司祭だけのものではありません。わたしたちひとりひとりにも与えられている日々の奉献生活があります。
わたしたちのクレープが人生のフライパンの上に焼かれています。人生の転換期が何度も訪れます。そのときクレープがフライパンの上でひっくり返えされるときかもしれません。形が崩れても構いません。それよりも霊的に、よりよい香りを放ち、よりよい味をつけたいものです。

 

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説教 年間第3主日 2014年1月26日

人間をとる漁師にしよう (マタイ4・19)

ドウッチョ 「ペテロとアンデレの召命」1308~1311年 

王子山より仙崎港を臨む (wikipediaから)
王子山より仙崎港を臨む (wikipediaから)

ずっと以前から金子みすずの故郷、山口県の仙崎を訪れたいと思っていました。それが叶ったのが大分で療養中の2009年の10月のことでした。新山口駅からJR美弥線で長門行きの各駅電車に乗車しました。終着駅で下車し、山陰線に乗り換えると5分程で仙崎駅に着くことができました。その日は本当に爽やかな秋空でした。どこからともなく磯の匂いがしてくるではありませんか。みすずのいた書店は駅から5分ほどのところで、今は記念館になっています。そこで暫く休憩して、すぐ近くのお寺にあるみすずの墓へ行きました。「苦しかったんだろうと・・・でも、でも、素晴らしいあなたの祈りの歌は今も生き続けています・・・。本当にありがとうございます」と祈りを捧げました。仙崎の街を抜けると日本海が広がり、それを二つに分けるように大きな橋が青海島にかかっています。その橋を渡ると左手に小高い王子山公園の見晴らし台がありました。きっとあそこに違いないと思い、期待通り(写真で見た)の仙崎の街を見下ろすことができたときは、本当にきてよかったと思いました。左手に仙崎港が広がっていました。みすずは浜が大漁で賑わっていた様子をどこかの場所で見ていたのだと思います。あそこかな・・・いやここかな・・・・23歳のときに書いた作品、「大漁」は時空を超えて甦ってきました。

 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮の
 大漁だ

浜は祭りの
ようだけど
海の中では
何万の
鰮のとむらい
するだろう    (※ 鰮=いわし)

今日の福音でイエスは弟子たちに「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」(マタ4・19)と言われました。イエスは魚をとる漁師ではなくて、人間をとる漁師にしようと、言ったのはどうしてなのでしょう。みすずは浜が大漁の祭りで祝っているときに、見えない海の底に目を向けたのです。人間たちは大漁を祝っているけれども、彼女は同時に悲しみの世界も知っていました。弟子たちにとって大漁は喜びです。喜ぶことは悪いことではありません。しかし、現実にはこの世界には喜びと悲しみが存在します。イエスはみすずが見つめていた悲しみに包まれた静寂の世界に弟子たちを誘いました。「とむらいの歌を歌ったのに、悲しんでくれなかった」(フランシスコ会訳聖書マタイ11・17)。だから歌を歌ってくれる兄弟を召されたのです。「悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる」(マタイ5・4)。みすずは深い海の底で何万の鰮のとむらいをする一匹の鰮になろうとしたのです。
結婚後、文学を理解しない、夫から追いつめられて、ついに離縁されてしまいます。愛娘も奪われ、行き場を失ったみすずは、自分が生きてきた証しとして写真館へ行って写真を撮ります。一人の人間として、女として、妻として、母として生きてきた証しを残すためでした。みすずはイエスのことは知らなかったかもしれません。しかし、遺稿集には「神様」がいたるところで美しく描かれています。彼女はまさしくイエスの網にかかった一匹の鰮になったのです。
1930年(昭和5)、写真館に行った翌日、苦しみに苦しみ抜いて自ら命を絶ちました。26歳の若さでした。生きている限り、永遠に変わることにない命の美しさを謳い続けた希有な童謡詩人でした。イエスのまなざしと、彼女のまなざしは常に同じところへ向けられていたのを感じたのは、わたしだけではないと思います。
 「わたしについてきなさい、人間をとる漁師にしよう」。イエスはガリラヤ湖(この世)の底に網をおろし、すべての人々をご自身のもとへ引き寄せられました。徴税人も、羊飼いも、足の不自由な人も、口の聞けない人も、目の見えない人も、圧制に苦しむ人も、そして鰮のとむらいを悲しむ人も・・・・みすずにも。
 イエスの網は海底から始まります。イエスは低いところに降りてきて、すべての人々をご自身の胸に引き寄せるのです。イエスはこの網を降ろす友人、網となる兄弟たちを召されたのです。御父のみ旨を果たすために、網と一心同体となる兄弟たちを呼ばれたのです。

 

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カトリック新聞 2014年1月26日号 「キリストの光・光のキリスト」より

みことばの黙想
「人間をとる漁師にしよう」
年間第3主日2014年1月26日  文 場﨑 洋神父
(マタイ4・12―23 または4・12―17)

かねてから金子みすゞ(本名・金子テル/1903~30年)の故郷、仙崎(山口県)を訪ねたかった。それがかなったのが2009年10月末、爽やかな秋空の日だった。王子山公園の展望台から仙崎の街を見下すと、左手に仙崎港が広がっていた。みすゞは浜が大漁でにぎわっている様子をどこかで見ていたのだろう。23歳の時の作品「大漁」が時空を超えてよみがえってくる。
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだらう。
イエスは弟子たちに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4・19)と言われた。イエスは魚をとる漁師ではなく、人間をとる漁師と言ったのはどうしてなのか。みすゞは浜が大漁の祭りで祝っているときに、見えない海の底に目を向けた。人間たちは大漁を祝っているけれども、彼女は同時に悲しみの世界も知っていた。弟子たちにとって大漁は喜びである。喜ぶことは悪いことではない。しかし、現実にこの世に喜びと悲しみが存在する。イエスはみすゞが見つめていた悲しみに包まれた静寂の世界に弟子たちを誘った。「弔いの歌を歌ったのに、悲しんでくれなかった」(フランシスコ会訳聖書マタイ11・17)。だから歌を歌ってくれる兄弟たちを召されるのだ。「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」(マタイ5・4)。
みすゞは深い海の底で何万の鰮のとむらいをする一匹の鰮になろうとした。結婚後、夫から追い詰められて離婚。娘も奪われ、行き場を失ったみすゞは、自分が生きてきた証しとして写真館へ行って写真を撮る。一人の人間として、女として、妻として、母として生きてきた証しを残すためだった。みすゞはイエスのことは知らなかったかもしれない。しかし、遺稿集には「神様」が美しく描かれている。彼女はまさしくイエスの網にかかった一匹の鰮であった。1930年(昭和5年)、写真館に行った翌日、苦しみに苦しみ抜いてみすゞは26年の生 涯を終えた。命のある限り、永遠に変わらない命の美しさを謳い続けた稀有な詩人だった。イエスのまなざしと、彼女のまなざしは常に同じ所へ向けられていたのを感じたのは、私だけではないだろう。
「わたしについてきなさい、人間をとる漁師にしよう」。イエスはガリラヤ湖(この世)の底に網をおろし、すべての人々をご自身のもとへ引き寄せようとされた。徴税人も、羊飼いも、足の不自由な人も、口の聞けない人も、目の見えない人も、圧政に苦しむ人も、そして鰮のとむらいを悲しむ人も。

 

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年間第2主日説教   2014年1月19日  

キリストの洗礼  ジョット 1304~1306年

 ピエロ・デッラ・フランチェスカ 1448~1450年
 ピエロ・デッラ・フランチェスカ 1448~1450年

 

      昨日は二つの出会いがありました。

一つは、入院しているシスターを訪問し、病者の塗油と聖体を授けました。二人のシスターに見守られて、嬉しそうに、感謝していました。その笑顔はなすがままという祝福された姿でした。逆にわたしたちが癒されていきます。

もう一つは帰りの地下鉄です。札幌駅から麻生行きに乗車したのですが、こんなことが起こりました。地下鉄のドアがさまに閉まろうというときに、子供を連れたお母さんが無理に乗車しようとしました。断念すると思いました。すると、たちまちドアが閉まって親子が引き離されてしまったのです。子供がホームに残されて、電車が動き出しました。お母さんが手振り身振り何やらこうやらやっていました。恐らく「そこにいなさい」というジェスチャーのようです。次の駅(北12条)でお母さんは降りました。真駒内行きに乗り換えて、札幌駅に向かうためでしょう。車内は混んでいる訳ではありません。気づいた人はその様子をずっと観察していました。この世の慌ただしさという空気を感じました。

 

「相田みつお」さんの詩があります。

 

トマトがね、トマトのままでいれば、ほんものなんだよ

 トマトをメロンに みせようとするから にせものになるんだよ

 ・・・・・・

 みんなそれぞれほんものなのに 骨折って にせものなりたがる。

 

微笑ましいシスターと、苛立った母親とがとても対象的でした。

時がきて老いと病気を自分の隣人とし、感謝しているシスター

何も急ぐこともないのに無理に電車に乗り込もうとして、子供をホームに置き去りにしてしまう母親。結果は急いだことが逆に時間を要することになってしまいました。

まだ若いお母さんなのになぜそんなに急ぐのでしょう。骨折って ニセモノにならなくてもいいと思います。

聖体拝領の前に司祭は会衆に向かって「神の小羊の食卓に招かれたものは幸い」と言います。これは今日の福音の洗礼者ヨハネの言葉です。神がすべて人々を食卓に招いておられます。イエスの生涯を通して、イエスの恵み、神の愛、聖霊の交わりへわたしたちを招います。

 聖体を頂く前にわたしたちの捧げられるパンはイエスと共に裂かれていきます。それは御父が最も愛した神の小羊となったイエス・キリストを通して裂かれていきます。わたしたちは司祭のこの「裂く」という動作の間に平和の賛歌を歌います(6世紀頃から)。神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、われらを憐みまえと、・・・・・この「神の小羊」も今日の福音(1・29)からのものです。

教父時代(2世紀~8世紀)は、ミサの中で大きなパン(信者が持ち寄った)を多くの会衆のために割く(裂く)には時間を要しました(小麦粉とオリーブ油で作った「ホスチア」は9世紀頃から用いられ、保存が可能となる)。裂いたものを袋にいれていた時もありましたが、次第に金や銀でつくられた盆にのせるようになりました(現在はパテナという皿を使用)。ですから「神の小羊」を3回繰り返すというのではありません。本来はパンが裂かれている間に歌い続けていのです。キリストと共に裂かれながら、裂かれながら、キリストのうちに一つになり、一つの体になっていくのです(コムニオン=一致と交わり)。

世の罪とは、私たち一人ひとりの歴史であり、家族の歴史であり、共同体の歴史であり、人類の救いの歴史です。その歴史の中の人間の醜さ、弱さ、どろどろとした罪の世界が常にあります。しかし、それであっても、神は、多くの預言者に語りかけ、愛する小羊として捧げられたイエスを通してわたしたちを救いの食卓へと招きます。司祭は「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と唱えます。もともと、ここの箇所は16世紀頃、ラテン語で、今日の福音の箇所、「見よ、神の小羊、世の罪を除きたもう主よ」と唱えていました。その後、会衆が理解できるように今の言葉に変えらました。

 「神の小羊の食卓」に招かれていること、ミサはこの時間に捧げられる物理的なミサ時間のことではありません。イエスは時間と空間を越えて、すべての人々を招いているのです。ミサの最初に交わされる挨拶は、パウロの手紙の冒頭でよく使われているものです。神はすべての人を招くのです。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に」・・・・。

病床にあった感謝するシスターの上にも、電車に乗るために急いでいた母親にも、神の愛が注がれています。苦しみの中にあっても、悲しみ中にあっても、神の愛と、神の恵みを受けとめる器があれば、神の小羊の食卓に招かれていることを感じる恵みに与ることが出来るに違いありません。

 

補足: 洗礼者ヨハネはイエスが近づいてくると、「見よ、神の小羊だ」と言われました。

これは救いの歴史の頂点をなす、イエスが「神の小羊」であるという証しです。

救いの歴史からも、わたしたちは小羊が神に捧げられる最も大切な生贄とされました。

出エジプト12章の過越し食事で捧げられる小羊、イザヤ書52章~53章の中にある、多くの民のために捧げられた苦しむ僕(小羊)としてたとえられています。新しい契約はイエスが神の小羊として十字架上で屠ふられたことです。使徒言行8・12(イザヤ書53章の引用)、ペトロの第一の手紙1・19(「傷も、しみもない、小羊のようなキリストの尊い血によって、わたしたちがあがなわれた」)などにみられます。

 

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説教 主の洗礼 神の「正しさ」とは 2014年1月12日  森田健児神父

キリストの洗礼 ヴェロッキオ.ダ・ヴィンチ他 1472~1475年
キリストの洗礼 ヴェロッキオ.ダ・ヴィンチ他 1472~1475年

  なぜキリストは洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたのでしょうか。本来はその逆であるはずです。 

すべてのものを清めるキリストは水によって清められることはありません。むしろたとえとしては、川の中に、泉が入ったようなものです。 

昔から議論の的になっていて、教父たちの教えをまとめると次のようになります。

 

  1. 洗礼者ヨハネの洗礼が神からのものであることを示すためにキリストは彼から受洗された。

  2. メシアであることの証を受けるため、つまり洗礼者ヨハネによる証を受け、おん父と聖霊による証を受けるため。

  3. 水を清めるため。つまり将来洗礼の水として使用されるすべての水を祝別するため。キリストこそ水を聖化した。 

さて戸惑う洗礼者に向かってキリストはおっしゃいます。「今はとめないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」この「正しいこと」とは別の訳では「なすべきこと」と訳されます。また注釈書には、この正しいこととは「神のみ心」としています。 

正しいこと、とは何でしょうか。世の中の正しさは、例えば法律に書かれています。 

しかし神の正しさはそれらを否定はしませんが、それらを凌駕する正しさです。 

罪を犯した人が罰せられるのは正しいことです。神が人間の罪を罰するのは正しいことです。 

しかし人間には償いきれないほどの罰を、神はご自分のひとり子に背負わせ、罪びとの代わりに罰を負ってくださり、人間をお許しになった。ただ条件としては、神のひとり子であるキリストを信じること、そして神の愛を信じること、回心して生きること、これだけでした。これが神の正しさなのです。罰するべきもの罰するという原則は変えませんが、その罰をキリストが人類の代表として受けるようになさったのです。 

このすべては神の愛から発しています。この愛から、神の正しさが生まれています。私たちも人間の世界の正しさに留まってはなりません。神の正しさは人間世界の正しさをはるかに超えています。そこには愛があり、愛は正しさを超えるのです。 

愛は正義を超えます。愛こそ究極の正義である、とも言われます。愛はすべてを覆います。 

私たちもこの愛を知り、神のおっしゃる正しさに生きるよう招かれています。 

たとえばキリストはおっしゃいました。 

「もしある人があなたに罪を犯して反省して謝りに来るなら、7回まで許すどころか、7の70倍もゆるしなさい。あなた自身が神からそのように許されたのだから」。限りなく許すことも、神の正しさ、神の愛です。 

キリストは洗礼者ヨハネから洗礼を受ける必要はありませんでした。汚れがなかったからです。むしろすべての人を汚れから救うのがキリストでした。しかしへりくだってヨハネから洗礼を受けられました。 

またキリストは死刑にされる理由はありませんでした。しかし偽りの裁判によって犯罪人とされ、二人の犯罪人とともに死刑を受けられました。このような卑しめ、辱めを忍んでくださいました。私たちを豊かに救うためでした。 

パウロの書にこうあります。「主は豊かであったのに、あなた方のために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなた方が豊かになるためだったのです。」(Ⅱコリ8:9) 

主がへりくだり、貧しくなり、卑しめられたために私たちは豊かになりました。主の正しさには限りがなく、主の愛には限りがありません。私たちもこの正しさに招かれ、主の愛の生き方に倣うように招かれています。

 

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説教 主の公現 2014年1月5日

 

 主の公現の日を迎え、北26条教会の馬小屋には3人の博士が到着しました。彼らは救い主の誕生を知らせる星に導かれて、東方の国からベトレヘムにやってきました。幼な子イエスを見つけて贈り物を捧げ自分の国に帰って行きました。
 聖書には博士が3人という数はどこにも記されていません。博士たちが持参した贈り物が黄金(王権の象徴)、没薬(受難・埋葬の象徴)、乳香(神性の象徴)の3つであったことから、7世紀頃より「3人の王様」と呼ばれ、10世紀頃には黄金を持ってきた青年はメルキオール、没薬を手にした老人はカスパール、乳香を携えた壮年はバルタザールと語られるようになりました(周辺の国々によって呼び方が異なる)。さらに15世紀には3大陸(アジア、アフリカ、ヨーロッパ)からやってきた王様と言われるようになりました。

歴史のなかで3人の博士にまつわるお話がいろいろ語られています。たとえば4人目の博士というお話で、映画にもなっているものがあります。この4人目の博士はとても情け深い人でした。道すがら病人を見かけては温かく介抱し、物乞いを見つけると手に持っていた救い主に捧げるはずの財宝を差し出したりするのです。そうこうしているうちに他の3人の博士は先に行ってしまい、迷子になってしまうのです。そのため4人目の博士はかなり遅れて、ベトレヘムに着くのですが、救い主イエスを見つけることができませんでした。
 その日から、この博士の長い旅が始まります。それは救い主を探す旅でした。彼は、手の萎えた人、目の見えない人、耳の聞こえない人、徴税人などに出会って、温かく手を差し延べては慰めのことばを与えます。羊飼いに道を尋ねては、そこで過ごし、時間が流れていくのでした。やがて年をとり、腰が曲がり、30年という月日が経ってしまいました。
 ある日、彼がエルサレムにきたときのこと、救い主と呼ばれたイエスが十字架につけられるという噂を聞きつけました。彼は、かつて探し求めていた救い主に違いないと思って、群集の中を潜り抜け、ゴルゴタの丘へ向かいました。ゴルゴタには3本の十字架が立てられており、真ん中の十字架に救い主イエスがはりつけになっているのを見ました。
 しかし、すでにイエスは息を引き取っていました。長年の願いがついに叶えられると思っていたというのにそれが果たせませんでした。博士は十字架のもとで悲しみのあまり泣き崩れました。

すると彼の前に栄光に輝くイエスが現れ、こう言いました。「博士よ、安心なさい。お前はいつも私に会ってくれたではないか。飢えていた時には食べ物を与え、喉が渇いていた時には飲ませ、裸の時には着物を着せ、罪びとには優しい言葉を掛けてくれたではないか。その一人ひとりにしてくれたことは、わたしにしてくれたことだったのだよ・・・・・」
 わたしたちも博士たちのように、救い主の星を求めている旅人の一人です。人生のなかで、何度イエスに会うでしょうか。会ったと思ってもそれはイエスでないかもしれません。会っていないと言ってもそこにイエスがおられたのかもしれません。わたしたちはイエスとの出会いを本当に求めているのでしょうか。目に見えるイエスではなく、目で見ることのできないイエスを感じることができるのであれば幸福の旅の中にいるに違いありません。

 ある牧師がこのように述べています。

「幸福でなければ生き甲斐がないかのように言います。しかし、人生は幸福であるはずだと考えるのは一体何を根拠にしてのことなのでしょう。人生が本来不幸なものであったとしても、別におかしくないではありませんか。人生は幸福、不幸に何の関係もない、生きるという単純な事実だからです。この単純さに幸福とか生き甲斐とか、やたらに価値づけをしたがるのは、迷いであります。日々果たすべきことを精一杯果たして、それで満足して生きている人の単純さを軽蔑してはなりません。そこには事実に徹して人生を見た人の眼光があります」。(「灰色の断想」藤木正三 著 ヨルダン社 )

 

2014年1月1日(水) 神の母聖マリア  説教

「キリストの生誕」 ギルランダイオ 1485年

 

2013年を終えて、新しい年2014年を迎えました。みなさん、新年あけましておめでとうございます。今年も、みなさんの願いが叶えられるよう祈りを捧げたいと思います。しかし、わたしたちの祈りはいつも自分の幸せを願う祈りに傾いてしまいます。人間だれしも自分が一番可愛い存在ですし、自分の思い通りになりたいと願ってやみません。やがて無意識のうちに祈りが欲望に擦りかえられていることに気づかなくなってしまいます。わたしたちは神の前で無心になることを学ばなければなりません。自己中心的な祈りを切望するのか、神中心的な祈りを願っていくのか、日々その狭間で生きているからです。

祈りは狭いものではありません、祈りはその人を通して無限に広がり、神の愛の内に招かれていくものです。わたしたち日本人は大地を母と呼びます。故郷も母と言いかえることによって、母の安らぎのなかに神の安らぎを垣間見ようとしているように思えます。わたしたちは女の陣痛を経てこの世界に生まれてきました。命を生むということは苦しみと喜びが表裏一体です。人生は苦しみがあって喜びであり、喜びがあるからこそ、苦しみを乗り越えていけるものです。

今日の福音で羊飼いたちが天使から聞いたことを人々に告げ知らせました。マリアはこれらの出来事を思い巡らしました。羊飼いは見聞きしたことが天使の話した通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰っていきます。羊飼いの無垢、純真さの中に御言葉が活き活きと宿っています。マリアはこの出来事を見て思い巡らしました。この思い巡らしが、わたしたちの人生のなかで必要な神との対話であり祈りになります。マリアに与えられた神からの召し出しと使命を、与えられた神のみ摂理として捧げました。その生涯は平穏ではありませんでした。貧しさの中にあって希望を持ち続けたマリアは、婚約、妊娠、人口調査のための長旅、出産、ヘロデによる幼子殺し、エジプトへの逃亡、難民、ナザレでの生活、イエスの宣教、イエスへの賞賛と批判、エルサレムでの捕縛、受難、そして愛する我が子の死(十字架上の死)を通して神の母となり、わたしたちの母となったのです。まさしくイエスの生涯はマリアの生涯の中で実りをもたらしました。

この1年、神様のみ旨が皆様の上に宿り、健康につけ、病気につけ、わたしたちを導き守ってくださいますよう 民数記と詩編の祈りをもって結びにしたいと思います。

神がわたしたちを祝福し、わたしたちを守られますように。

神がみ顔を向けてわたしたちを照らし、わたしたちに豊かな恵みを与えてくださるように。

神がみ顔をわたしたちに向けて わたしたちに平安を賜わってくださいますように。

神よ、あわれみと祝福をわたしたちに注いでください。

あなたの顔の光を わたしたちの上に照らしてください。

あなたのわざが世界に知られ、救いがすべての国に知られるように。

そして、わたしたちがあなたの平和の道具となりますよう、お導きください。

             わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

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2013年12月29日(日) 聖家族の祝日 教話:佐藤謙一神学生

聖家族 ミケランジェロ 1507年頃
聖家族 ミケランジェロ 1507年頃

今日の福音朗読を黙想してすぐに浮かんできたのが、「あなたの父母を敬え」という十戒の言葉です。これは第四戒に当たります。これは「両親を大切にしなさい」「目上の者に敬意を払いなさい」という道徳に関する教えだけを言っているのではありません。十戒は、その教えの性質上、2つのグループに分けることが出来ます。一つ目は最初の3つで、神に対して守るべき教えです。残りの7つは、人との関係を守るように教えています。この「あなたの父母を敬え」というのは、神に対して守るべき教えとも言えます。どこにも神という言葉が入っていないので一見すると、神との関係についてではないかと思われるかもしれません。例えば第二戒は「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」とありますが、神あるいは主という言葉が入っています。第八戒では「隣人に対して偽証してはならない」と教えています。つまり、嘘をついてはいけないとことであり、神ではなく隣人とおいての言葉が入っているので、人間に対して守るべき教えとでも言えるでしょう。実は今日のシラ書を見ると、そのことがよく分かります。
 まず、シラ書のはじめに、親が子供に対して持つ権威は、主が与えたものだ、と言っています。その権威が親に授けられたのは、神の権威を目に見える形で子供に教えるためであるということが、3節から6節にかけて書かれています。つまり、親は子供が神とつながっていくための役割を果たし、子供が神に向かって祈ったり、感謝したりするときは、親がどう祈ったらいいか、どう感謝したらいいのかを教えなければなりません。さらに神が子供に恵みを注いだり、使命を与えるのも、親を通して子供に伝えなければならないということです。ですから十戒の第四戒「あなたの父母を敬え」というのは、人間関係で守るべき教えではなく、神に対して守る教えということになります。そして神から授けられた親の権威を主張できるのは、子供に神が示しているときだけということが言えます。
第二朗読ではパウロが、手紙の最後に書いているように、親は「子供たちがいじけるようなことをしてはいけないのです」(コロサイ3・21参照)。子どもが「ひねくれて、すねて、素直ではなくなる」ということがないようにするよう教えています。言い換えれば 子供が「自信を失う」とか、「がっかりする」ようなことをしないようにすることです。
今日の福音では、幼子イエスの父ヨゼフが、神とのつなぎ役となっていることが分かります。主の天使が父ヨゼフに夢の中で語りかけます。ヨゼフはそれに従って、子供とその母マリアをエジプトに連れて逃げました。しかも、神に従順であったヨゼフは、神のご計画をすぐに、夜のうちに、実行したのです。またヘロデが死んだ後、主の天使が夢に現れて、イスラエルに帰るように命令します。ヨゼフは起きてすぐにユダヤのベトレヘムに帰ることにしますが、ヘロデの息子が後を継いでいることを知って怖れます。主の天使は再び夢の中でヨゼフに現れ、ガリラヤ地方のナザレへ行くように告げました。このように聖家族はナザレに行って暮らすことになります。マタイは、それら一連の出来事が聖書を通して、実現したのだと語っています。
 ヨゼフは父親として、大きな判断をしなければならない立場にありました。神のみ旨を理解し、受け入れ、そして行動に移すということです。そしてマリアはヨゼフの判断に常に従順でした。それは幼子イエスを守るための行動で、すべて神の意志を実現するためのものでした。神とイエスとの接点として働くヨゼフ、そして幼子を生んだ母親マリアの働きは、今の時代に生きる私たちにとっても、大きな模範となります。現代社会において情報が氾濫する中で、神と子供との仲介をする親が、何が神のご計画なのかを、見極めていかなくてはならないと思います。
今日、聖家族のお祝いをしているわたしたちは、家庭とは何か、家族とは何か、親子とは何かを、神から考える機会として与えられています。この聖家族をわたしたちが模範とすることは、子供は親を敬い、親は神の意志をよく理解し、子供に伝えることであると思います。今日、聞いた神のことばを心に留め、それぞれの家庭の中で、神のみ旨を実現していくことが出来るように、祈りを続けてまいりましょう。 

 

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2013年12月25日  主の降誕 日中ミサの説教

キリストの生誕 マルテン・デ・ボス 1577年
キリストの生誕 マルテン・デ・ボス 1577年

先週、隣りの教会のイタリア人の神父様が立ち寄って、幼稚園のクリスマス劇の話題で盛り上がりました。ヨゼフが宿屋を捜しているときに、宿屋の主人が、「馬小屋なら、ありますよ」と紹介してくれます。するとヨゼフがマリアに丁寧に尋ねるのです。「マリアさま、馬小屋が空いていますが、ここでもいいですか」。するとマリアは「はい、いいですよ」というやりとりなのです。主人は「それでは、お掃除をするので、ちょっと待ててくださいね」と可愛らしい演出を見せてくれたのです。もちろん福音書にはそのようなセリフはありませんが、先生たちが苦心しながら楽しくアレンジしてつくったのです。すると神父さんがその場面を見て自分の心の飼い葉桶を掃除しないといけないと気付かされ反省したというのです。
また帯広・柏林台の幼稚園で園長をしていたとき、聖劇の練習を見学していました。宿屋の主人に体格のいい子が選ばれて貫禄ある演出を披露しました。ヨゼフが「どうか泊めてくださいませんか」と宿屋の主人に尋ねると、「部屋は満杯で泊れないんだ!だめだ、だめだ!」と貫禄さながらの演技を見せました。すると練習を見ていた園児の一人が、「コーウちゃん、とめてあげて、コーウちゃん!お願い!」と泣きながら叫んでいたのです。子どもの純真な状況が伝わってきてこれにも大変感動したそうです。
昨夜12月24日の聖夜ミサ、ここの聖堂がいっぱいになりました。一人ひとりが火の灯されたローソクを手に持って、その光に照らされて輝いていました。闇に住む民は光を見たように、わたしたちは飼い葉桶を囲んで弱さの中に住まわれた幼な子の光を受けて賛美し褒め称えました。わたしたちは自ら光を放つことができません。神の光を受けて輝くものです。今日も、真昼の光、それ以上の光がわたしたちの魂を満たしてくださっています。
 今、朗読したヨハネの1章、みことばが人となってわたしたちにお住みになったことを告げています。
 創世記の最初を思い起こしてください。「初めに神は天地を創造された」(1・1)と記されています。最初は混とんとしていた世界が広がっていますが、そこに神が「光あれ」とおっしゃいました(1・3)。そして光があって、神はそれを見て「良し」とされました。ところが太陽と月と星をつくられたのは4日目になっています(1・16~19)。・・・ということは、神が「光あれ」とおっしゃったものは太陽の光でもなく、月の光でもなく、星の光でもなかったのです。まさしく、神は在ってあるもの(出3・14)、光は神そのものだったということになります。
 昔から人間は神様をいろいろな形で表現し、描いてきました。太陽が神であったり、月が神であったり、動物が神であったり、植物が神であったりします。キリスト教文化からの影響もありますが、わたしたちは小さいときから神様は雲の上にいらして髭をはやしてわたしたちを見守ってくださっていると思っていました。
 ところが神様はそのような遠い方ではなかったことを聖書は教えているのです。
わたしたちの神は御子の姿となり、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の姿になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順な方だったのです(フィリピ2・6~8)。
 「始めにことばがあった。ことばは神と共にあった。そしてことばのうちに命があった。
・・・・命は人間を照らす光であった」。
過去も現在も未来も、光は闇の中で輝いているのです。神様は在って在るものなのです。
そして 神は肉となって、わたしたちの間に宿られたのです。それが救い主イエス・キリストの到来であり、飼い葉桶で眠っている幼な子がしるしとなったのです。イエスは過去のものではありません。絶えずわたしたちに希望の光を与えてくれるものです。そして、今日の福音の最後にはこう結んでいます。
 「いまだかって神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネ1・18)と。イエスこそ、肉をもって御父をお示しになられた方です。イエスの生涯を通して神様がどれほど慈しみ深い方であるか信仰の目で理解することができるのではないでしょうか。それが善き知らせ、福音なのです。
 皆さん、心からいのちの誕生、クリスマスをお祝い申し上げます。

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2013年12月24日  主の降誕 夜半ミサの説教

レンブラント 「羊飼いの礼拝」1646年

聖ニコラウス教会 オーストリア
聖ニコラウス教会 オーストリア

オーストリアにあるオーベルンドルフに聖ニコラウス教会があります。1818年のクリスマス・イブの数日前、教会のオルガンが故障してしまいました。オルガン職人を呼んでクリスマス・イブのミサまで間に合いそうにありません。それで慌てて教会のヨゼフ・モール神父が詩を考え、音楽教師のグルーバーがギターで演奏できる曲をつけて歌われたのが、「きよしこの夜」(Stille Nacht=シュティーレ・ナハト)です。プロテスタントは讃美歌109番、カトリックでは聖歌111番「しずけき」として歌われています。
その後、この曲をオルガン職人がオルガン伴奏曲をつくり、地方で歌われるようになり、クリスマスの名曲になりました。日本では一般に「きよしこの夜」で知られていますが、歌詞の内容はほとんど同じです。「きよしこの夜」、でも、「しずけき」・・・・どちらでも構いません。

   讃美歌109番                聖歌 111番

清し この夜 星は光り           静けき 真夜中 貧しうまや
救いの御子は 馬槽の中に          神のひとり子は み母の胸に
眠り給う いと安く             眠りたもう やすらかに

清し この夜 御告げ受けし         静けき 真夜中 星はひかり
牧人たちは 御子の御前に          羊飼いたちは うまやに急ぐ
ぬかずきぬ かしこみて           空にひびく 天使の歌

清し この夜 御子の笑みに         静けき真夜中 光さして
恵みの御代の あしたの光          清らにほほえむ 救いのみ子を
輝けり ほがらかに             たたえ歌え  みなともに

今日は救い主イエス・キリストの誕生について朗読されました。
ヨゼフは住民登録をするために、身重のマリアを連れてナザレから140キロ離れたダビデ町、ベトレヘムに赴きました。ところが町は人が殺到し混雑していました。そのため彼らの泊まる宿がなかったのです。しかもマリアに子供が生まれます。もう時間がありません。ヨゼフはとっさの判断で、家畜が餌を食む、飼い葉桶を見つけたに違いありません。

さて、この救い主の誕生の証人として選ばれたのは誰だったのでしょうか?王でも、貴族でも、学者でもありません。それは羊飼いたちだったのです。わたしたちはどうしても羊飼いを牧歌的な平和な人々だと思い込みがちです。今日の始まりの聖歌「しずけき」の2番に羊飼いが登場してきました。しかし、彼らは、もともと羊を所有できる身分ではありませんでした。彼らは羊を所有している主人に雇われ、羊の見張りをして生計を立てていました。彼らは主人の羊を預かるですから夜通し見張りをしなくてはなりません。いつ狼や野獣がやってきて羊を襲っていくか分らないからです。
羊飼いのことをもともと、ヘブライ語で「アム・ハーレツ」、すなわち「地を這う者」と言う意味があります。要するに羊飼いたちは地面に這いつくばって生きている人たちのことを指し、社会的には最も貧しい人々の代名詞でした。そのため人々からは軽蔑の眼差しや差別を受けて生活していたのです。
しかし、神は社会的価値のなかった羊飼いを「救い主・誕生の証人」として選ばれたのです。天使は羊飼いの前に現れて告げました。
「恐れるな、わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。・・・・「あなたがたへのしるし」である・・・・・・・・
神の使いが、「あなたがたへのしるし」と告げたことは、救い主の誕生が貧しい羊飼いによって明らかになることです。彼らは、まさしく「救い主の誕生」の「最初の証人」に選ばれたのです。 ですから「地を這う者」という現実に対して
「いと高きところには栄光、神にあれ、そして地に平和です」。地を這う人々に平和が訪れるのです。地を這う人々の中に、神のみ旨が下るのです。今日のイエスの誕生の情景を心の目で眺めていくのであれば、無垢な羊飼いたちの存在はわたしたちにとって大きな慰めと喜びを与えてくれます。新しい希望の光を与えてくれます。自分には価値がないと思っているわたしたちがいるでしょう。愛されていないと思うわたしたちがいるでしょう。地を這って生きているわたしたちがいるでしょう。
しかし、神は救い主の到来の証し人として貧しさの象徴である「羊飼い」を選ばれたのです。しかも飼い葉桶に寝ている幼子という「しるし」をもってです。羊飼いは荒野からベツレヘムの町まで出かけて行きました。彼らが見たものは飼い葉桶で眠る布にくるまっている幼な子です。わたしたちがその幼な子を見たならば、特別なことでないと感じるでしょう。いや、何も感じないと思います。もし特別にわかるしるしであれば、もっと派手なもの、たとえばスポットライトが当てられているとか、煌びやかな洋服を着ているとか、神々しい姿とかを想像するでしょう。しかし、それではないのです。特別でないから特別なのです。そのしるしは今の私たちとって見つけにくいものであるかもしれません。粗末な布切れにくるまれて、飼い葉桶に寝かされている幼子が「しるし」なのです。だからこそ、わたしたちの視点から見れば、価値のないものに見えるものの中に救い主が来られたということなのです。
今日、わたしたちは、「しずけき真夜中」を歌いました。そのとき皆さんは火が灯されたロウソク手に持ちました。このロウソクのともし火は風が吹けばたちまち消えてしまうでしょう。しかし、羊飼いような貧しさと謙虚さを持っているのであれば、嵐の中にあっても、苦しみの中にあっても、小さな灯しは決して消えることがないでしょう。そして小さな飼い葉桶をも見失うことがないでしょう。
ですからルカは今日、わたしたちに告げるのです。
「今日 わたしたちのために救い主がお生まれになった。・・・ あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。地を這うわたしたちに対しても御使いは賛美の歌を歌うのです。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地(地を這う人々)には平和、御心に適う人にあれ」と。

今日、わたしたちがここに来ているのは、さまざまな理由があるにせよ、女から生まれ、今ここにいて、この地を這いながら生きて、本当のいのちを賛美したいから、いのちを感謝したいからではないでしょうか。
 今日、わたしたちのために救い主がお生まれになりました。喜びのうちに、この招かれた日を祝いミサを捧げましょう。

 

 

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暗闇に住む民に光を!         2013年12月15日(日)

(カトリック新聞 2013年クリスマス特集号

                「キリストの光・光のキリスト」から)

 

2010年12月25日、教皇ベネディクト16世はクリスマスの説教の中で中国の信者と政府に対して異例のメッセージを行った。「制限があっても心を失うことなく、キリストの教会への忠誠を保ち、希望の炎をともし続けるように・・・」と。
中国の宣教は1600年代から始まっているが、不屈の精神で命を懸けた宣教師や信者の殉教ははかり知れない。戦後、中国を追われて日本に渡来した宣教師たちは情熱を注いだ頃の思い出は決して忘れてはいない。
パリ外国宣教会のフェルディナンド・ペコラロ神父が中国のチベットで宣教した記録(1947年~52年)が残っている。
ある日、毛沢東率いる共産軍がペコラロのいる村へ押し寄せてきた。毛沢東は権力を剥き出して宗教を禁じ宣教師たちを捕えた。すると一人の男の子が共産軍の前に立ちはだかって叫んだ。「体を殺して魂を殺すことのできない者よ、ここから立ち去れ!」。この子どもの勇気に群集は驚かされた。
ペコラロは240日間、監禁された。この事態に心を痛めた一人の男が、この村から宣教師がいなくなってしまうことを大変悲しんだ。
ある夜、男は命懸けでペコラロのもとへ忍び寄り、懇願した。「神父さん、私の子どもに初聖体を」。この男は毎晩、危険を承知で、自分の子どもをペコラロのもとへ連れて行った。
悲願の日を迎えた夜。ペコラロは闇の中で聖書を朗読し、ひとかけらのパンとぶどう酒を祝福してミサを捧げた。彼はこの記録を聖体が暗闇の中で香りを放った神秘的な瞬間だったと告白している。
晩年、英雄ナポレオンは言った。「私の人生のなかで最も幸せなときがあった、それは初聖体だ」と。
今日わたしたちのためにキリストがお生まれになった。わたしの掌は飼い葉桶、こんな醜い汚れたわたしの心にも救い主が降りてくる。
不思議にも英語でクリスマスを「Christmas」と書く。「キリストのミサ」という意味だ。司祭になってから主の降誕のミサを捧げる度、祭壇のうえに置かれた「パテナ」と「聖体」が「飼い葉桶」と「幼子」と重なる。まさしく主の降誕はイエスの死と復活を記念する日でもある。
中国では今、「漢民族優位政策」を楯に、貧富の格差拡大に加え、少数民族への弾圧が絶えない。今年10月末に起こった天安門車炎上事件はその抑圧政策への不満以外の何ものでもない。信教の自由を訴えるチベット族の焼身自殺も相次ぐ。人口13億の大国中国、暗闇に住む隣国中国の人々が飼い葉桶に眠るイエスの息遣いに耳を傾ける日を願ってやまない。

 

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2013年12月22日  待降節第4主日 説教 

聖ヨセフの夢 レンブラント 1645年 (wikipediaより)

人類は18世紀後半から起こった産業革命以来、物質的に傾倒が強くなっていきます。文明の発展によって、知識を知り、事実を知りたいという欲望にいつも心動かされていきます。それに伴い人間は人を支配したいという誘惑(産業・戦争)に晒されてしまいます。人は豊かになればなるほど、他罰(他人を責める)の傾向になり、便利になればなるほど、生きづらさを感じ、信頼が不信に変わり、きめ細かな決まり事をつくっては人間関係を複雑化してしまいます。
しかし、聖書はわたしたちに物質的価値観を押し付けてはいません。人が本当に幸せになるための道しるべを、信仰の書としてわたしたちに真理の道を教え諭そうとしています。人間の心の深いところ、魂の琴線に触れているのです。
 今日の福音に読みますとヨゼフにとって婚約していたマリアが身ごもったことは驚きだったに違いありません。当時、婚約は結婚と同じ意味をもっていました。しかも互いに関係がなかった上でのことでしたから、ヨゼフにとっては大きな出来事だったでしょう。わたしたちだったら、「おまえは姦通罪だ、その証拠を暴いてやる」と訴えるに違いありません。しかも決定的証拠を突きつけるために、「誰の子か、血液型検査か、遺伝子検査ですべてが暴いてやる」とも言うでしょう。人間は医療科学を武器に相手を責め立てることが望んでしまいます。まさしく、これが信仰的な生き方とは逆の方向、物質的な傾向にある人間の欲望です。
 しかし、ヨゼフは「正しい人」だったので、姦通の罪(申命記22・23~24)に触れることを避けました。彼にとって今できることはマリアの身の安全です。公になればマリアは律法で裁かれ死罪となってしまいます。ヨゼフはマリアに怒りや憎しみを覚えたのではありません。マリアと縁を切ることによって彼女の命を救うことができるという手段を選ぼうと思ったのです。そこにはマリアを生かし、公に辱めず、子供を生かすという正しい人、ヨゼフの最善の配慮だったのです。ところが、夢のお告げのなかでそれが聖霊のよって身ごもったということをヨゼフは悟ったのです。それでヨゼフはすべてを受け入れマリアを迎え入れたのです。この流れを見てみると今を生きるわたしたちにとっては非現実的なことと思えてならないでしょう。しかし、当時の律法に支配されていた社会背景と医学科学で証明できない時代のなかにあって、マタイはよりよい選択をわたしたに促し、信仰の目をわたしたちに開かせようとしています。
 今日の福音書の中でヨゼフは夢の中でお告げを受けています。聖書にはよく夢がでてきます。旧約・創世記に登場するヨゼフも夢(創世37章)と解き明かす名人でした。学問として夢の研究をした心理学者もいます(スイスのユング、日本では河合隼雄が有名です)。夢はその人の心理状態をあらわしたり、深層心理学的には潜在意識が表面化するものであるとも言われます。アシジの聖フランシスコも何度も夢を見ては神の呼びかけとして行動を起こしています。日本では、鎌倉時代の華厳宗の僧、明恵というお坊さんが夢を日記を書いています。
ヨゼフの夢、フランシスコの夢、彼らの夢も現実の中の信仰と切り離せない潜在的なもの、心の深いところにあった信仰の思いが反映されたものと思います。信仰の形が夢の中にも表現されることに注目していきたいです。夢のなかでも信仰を証ししたいものです。
 今日は正しい人・ヨゼフの選択に倣いたいと思います。この選びによって、ヨゼフはマリアを迎え入れ、救いの協力者となり、ダビデ家の中に救い主イエスを招き入れることになります。
 イザヤは「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(7・14)。と預言しています。旧約聖書でインマヌエルという名前はここだけにしかありません。
 パウロは手紙の中で「この福音は神がすでに聖書の中で預言者を通して約束されたものだと」語り、マタイはまさしくイザヤが預言したことばが成就されること伝えました。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(1・23)。
すなわち、インマヌエルとは、「神は我々と共におられる」(1・23)ということです。マタイ福音書の最後28章20節は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と告げて福音を結んでいます(28・20)。
 わたしたちのところに救い主が来られます。いつも共におられる主が来られます。主の降誕祭を喜びのうちに迎えましょう。

2013年12月15日(日) 待降節第3主日 説教

アメリカの雑誌タイムは12月11日、恒例の「今年の人」としてローマ教皇フランシスコを選んだと発表しました。教皇フランシスコは、南アメリカ出身の初のローマ教皇として今年3月に就任し、教会に新しい息吹を吹き込み、庶民から、世界の人々から称賛されました。タイム誌はフランシスコ教皇を選んだ理由をこう述べています。「教皇は謙虚な聖人フランシスコの名で呼ばれ、教会が癒しの場となるようにと呼びかけた」と説明しています。同誌の別の編集者はこう述べています。「フランシスコ教皇は教会に対する見方を、浮世離れした場から、謙虚な慈しみの場へと変えてくれた。教義中心の教会から、奉仕する教会に変わるようにと語りかけ、教会への呼びかけは慈しみの口調になった。これこそが、かつての教会が最も盛んな時の教会の姿であり、フランシスコ教皇は今それを取り戻そうとしている」と。

洗礼者ヨハネの「悔い改めの洗礼」は腐敗していた社会に対して神に立ち返るよう呼びかけました。「悔い改めよ、斧はすでに木の根元に置かれている」(マタイ3・1~12)。この叫びは、特に上層階級の人々に対して咎めたものでした。ヨハネはその後、ヘロデ王の婚姻問題に対しても厳しく批難したため、捕えられて牢獄に入れられてしまいました。
今日の福音で洗礼者ヨハネは牢の中に閉じ込められています。ヨハネはイエスが人々に不思議な業を行っていることを誰かから聞いたのです。それで自分の弟子をイエスのもとへ送り、聞き出そうとしました。その質問は「来たるべきはあなたですか。それとも他の方を待たねばなりませんか」というものでした。ヨハネはイエスが決定的な救い主だということに対してまだ確信をもてなかったのだと思います。

イエスはイザヤ書が成就したことをヨハネの弟子に告げて言いました(イザヤ35・1~6)。
  「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は、福音を告げ知らされている。
   わたしにつまずかない人は幸いである」(イザヤ35・1~6)
詩編もこれに応えています。
  「飢え渇く人に糧を恵み
   捕らわれ人を解放される
   神は目の見えない人の目を開き
 従う人を愛される」(詩編146)

ヨハネの弟子はイエスが語ったことをヨハネに伝えたことでしょう。ヨハネは恐らく自分が抱いていた救い主のイメージと大きく違っていたことに驚いたことと思います。
確かに、ヨハネの悔い改めの洗礼は、斧が木の根元に置かれているという厳しいものでした。特にサドカイ派、ファイサイ派、律法学士、貴族たちに向けて悔い改めを訴えました。ところが、イエスの宣べ伝えている善き知らせは、それと違って、病人を癒し、罪を赦し、いつくしみ深い愛を説いていたのです。
「善人を招くためではなく、罪びとを招くため」。「神は善い人にも、悪い人にも、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる」。しかも罪人である徴税人と食事を共にするのです。
イエスの時代、病人や徴税人、体の不自由な人々は、決定的に罪びとであるとレッテルを貼られていました。ですから彼らにとって信じられないほどの救いと喜びだったのです。
しかし、律法を遵守してきた人に対してイエスの存在はつまずきであり、やっかいものだったのです。
健康で、地位を得て、輝かしい名誉を受けたならば真の幸いなのでしょか。
生まれながら病弱で、長年、病床にあった人は不幸なのでしょうか。
悪いものはみんな死んでしまえ。よい人は生き残れ、と言ってしまっていいのでしょうか。
わたしたちは救い主の到来を日々待ち続けています。今の時代は忍耐するということに対して敬遠しがちになっています。しかし、ヤコブの手紙は、希望を忘れず、忍耐して待つことが、救い主の到来なのだと語っています。秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら大地の尊い実りを待つのです(ヤコブの手紙)。
わたしたちは今年、新しい教皇フランシスコを授かりました。そのとき、わたしたちは何かを期待したことでしょう。自分の思いが実現するように教皇に何かを願ったことと思います。難しい教義か、カトリックの伝統か・・・・・いろいろな思いがよぎったことでしょう。
しかし、教皇は癒しと寛大さをもって庶民から愛されています。イエスの言葉と行いは、律法で苦しんでいる人々を罪の束縛からの解放し、病人を癒し、闇を光にかえていっていたのです。イエスが望んでいる福音の到来がいままさにわたしたちの目の前にあります。希望と信頼をもって主の降誕祭を迎えましょう。

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 悔い改めの洗礼       2013年12月8日(日)

 ( 2013年12月8日発行、カトリック新聞「キリストの光・光のキリスト」から )

         

 聖書のケセン語で知られる山浦玄嗣氏は「洗礼」のことを「お水潜り」と訳し、著書『ガリラヤのイエシュー』の中でこう解説しています。「お水潜りとは、まず全身を川の深みに沈め、息も出来ぬ苦しさにそれまでの浅ましい生き方と死に別れると思い定め、これからは神さまの御心を我が心とし、新たな生き方に生まれ変わるべしと誓う」。
東日本大震災が起こって今年で3度目のクリスマスを迎えようとしています。わたしたちはこの大津波をただの自然災害としては捉えてはいなかったでしょう。それは、わたしたちの生き方を変える悔い改めの洗礼に似ていると言っても言い過ぎではないでしょう。
このことを考えますと洗礼者ヨハネが確信をもって力強く叫び続ける「悔い改めの洗礼」は「お水潜り」という大津波の儀式によってわたしたちが新たな生き方によって神に立ち返ることを教えているようです。
旧約における最大で最後の預言者ヨハネの出現は、当時、周辺の人々だけでなく、ファイサイ派やサドカイ派の人々、ヘロデ王にまで影響を与え、旧約の預言者エリアの到来と思われたほどです。
イザヤは「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」(11・1~2)と預言しています。これを大震災の出来事からたとえると、「エッサイの株」と「ひとつの芽」が「大津波」と「希望の光」(新しい生き方)と対比できるのではないでしょうか。切り倒された切り株の断面は絶望のしるしです。イザヤはこれを背信に陥ったイスラエルの民に、ヨハネは律法を笠に着て驕り高ぶるユダヤ人権力者たちにたとえ、斧を彼らの根元に置くのです。しかし、今まさに絶望の切り株から、救い主の到来である希望の芽が生え出ることを告げています。
ヨハネの到来はまさしく、この世の権力者たちの腐敗に対して「神様の御心を我が心とし、新たな生き方に生まれ変わるべしと誓う」という衝撃的な悔い改めの洗礼でした。
 大津波を教訓に、わたしたちは何を学んできたのでしょう。原発を海外に売り込もうとしている日本政府は、未だに大津波の教訓を他人事のようにしか思っていません。このままだと今もなお、わたしたちは汚染された水で洗礼を受け続けることになりかねません。
イザヤは救い主の到来に言及して語り続けます。「水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。その日が来れば、エッサイの根はすべての民の旗印として・・・栄光に輝く」(11・9~10)と。

     2013年12月8日(日)  待降節第2主日

預言者イザヤはやがて到来する救い主の姿を力強く語っています。
「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。」(11・1~2)。
木が生きているうちは切り株から芽や枝が出て木が再生することがあります。これを用いて彼は救い主の到来を告げ知らせています。
紀元前8世紀、南ユダ国は嵐にざわめく木の葉のように政治状況は大変不安定でした。同時に、人々は神に背をむけ、神の前に罪を犯し続けていました。そのためにイザヤは、人々に対して「主の道を整えるよう」(40・3)にと叫び続け、やがて訪れる救い主の到来を預言しました。彼は、この株をダビデの株と言ません。あえて「エッサイの株」と表現しています。ここにイザヤの思いがあります。ダビデの父はエッサイと言う名前でベトレヘムの羊飼いでした。そのエッサイの末息子がダビデであり、後にイスラエルの王となりました。イザヤはこれを飼い葉桶の中に寝かせられた「救い主イエスの誕生」と「エッサイの若枝」を重ね合わせて救い主の預言とその成就を語ったのです。
旧約の最後の預言者ヨハネは斧を手に持って、木の根元に置き、切り株を興して、救い主の到来を告げています。「悔い改めよ、天の国は近づいた」と叫んでいるヨハネ登場は、すでにイザヤ書で預言されている人物でした。

「荒れ野で叫ぶ者(ヨハネ)の声がする。『主の道を整えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」
                       (イザヤ40・3~4)

先週12月6日、特定秘密保護法が参議院で可決されようとしたとき、何かをメッセージを残すかのように偉大な一人の人物が天に召されました。南アフリカのネルソン・マンデラ氏です。人種隔離政策撤廃に尽力を注ぎノーベル平和賞を受賞した南アフリカの英雄です。彼は人種隔離政策撤廃のために死を惜しまずに闘い続けました。それは特定秘密保護法というものとは切っても切り離せないものと言えます。政府は白人優位主義を謳い、黒人を隔離し、差別し、生存権、知る権利を奪っていたからです。しかし、マンデラは国家を脅かす者として逮捕され、長い刑務所生活を強いられました。27年間という刑務所生活から釈放されたときは、多くの民衆から歓声が沸き起こりました。1993年、マンデラは人種差別政策撤廃への働きかけに大きな功績を残したことからノーベル平和賞を受賞しました。その後、黒人も参加した南アフリカの選挙で勝利し、初の黒人大統領として君臨したのです。白人のほとんどはマンデラ大統領が政治の舞台に立ったのなら、必ず牙を剥き出して過去の仕返しを仕掛けるに違いないと思っていました。しかし、彼の政治は全く違っていました。白人も黒人も平等に生きる権利を宣言し、平等に知る権利を有し、平等に職務に就かせたのです。
 マンデラの政治は、エッサイの切株から生え出る若枝、イエスの到来に似ています。
 それはパウロの手紙の最後「そのため、わたしは異邦人の中で、あなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう」(ローマ15・9)。すなわち人種を越えて平和政治を築いたからです。
今の世界においても救い主の到来を受け入れる人々に平和が宿ります。その平和は幼子が飼い葉桶に眠るように、争うもなく、抗うこともなく、実に驚くべき平和なのです。

狼は小羊と共に宿り
  豹は小山羊と共に伏す
  子牛は若獅子と共に育ち
  小さい子供がそれらを導く。
  牛も熊も共に草をはみ
  その子らは共に伏し
  獅子も牛もひとしく干し草を食らう
  乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。

今週、南アフリカのヨハネスブルグでマンデラの葬儀が執り行われます。
世界から多くの首脳陣が参加し、彼の業績をたたえます。ヨハネ・パウロ二世のとき以来の大きな国葬になると言われています。
日本の首相も参加してほしいと願うばかりです。マンデラの生きた95年、人類にとって学ぶべき偉大な遺産と言えるからです。

 

 

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2013年12月1日(日) 待降節第1主日

 
ある女の先生だと思うのですが、このようなお話しがありました。
ある日、小学生の男の子から手紙を受け取りました。内容はこうです。
「ぼくのお母さんが、元気になってほしいので、何かプレゼントを買ってあげたいです。ぼくのお小遣いは329円しかありません。女の子が喜ぶものは何ですか。教えてください」。
そこで先生が他の人から男の子の近況を聞いたところ、母親はガンで長く生きられないという事を知ったのです。でも男の子はその事実を知りません。
ある日、先生はデパートに男の子を連れて行きました。男の子はプレゼントを捜しました。「お母さんダイエットしているかな。あまりご飯食べないし、ダイエットできる食べ物は買えるかな」。「お手紙でも書いてみるかな・・・・でもちょっと恥ずかしいな」。「花でも買えるかな・・・・でも枯れてしまうよ」。「手袋かな・・・・」。「あっ、靴がいいかも、それを履いてまた水族館へ行けるから・・・・」
男の子から発するお母さんへの思いやりの言葉が、とても純真で温かく感じられ涙が溢れてきたそうです。すると男の子が言いました。「僕、靴にしたいよ、水族館へお母さんを連れて行きたいんだ」。・・・・・靴なんて300円で買えるものではありません。・・・どうしましょう。どうにかしないと可愛そう。それで先生は閃きました。男の子がトイレに行っている間のことです。靴売り場に行き、男の買い物のことを話し、「お金は払いますので、300円で買えるように札を書いてくれますか」とお願いしました。すると、店員さんは快く、それを受け入れてくれました。
男の子を靴売り場に連れて行くと、300円均一と書いてある紙がありました。急いで作ってくれたのでしょう、雑な手書きの字でしたが、とても嬉しかったそうです。男の子は白いハイヒールを選んで「これにする」と言いました。店員さんは「300円ですから、ちょうどですね」と笑顔で答えてくれました。胸がいっぱいになりながら、男の子とお母さんのいる病院へ向かうことになりました。
病室に入ると男の子は「お母さんプレゼントだよ」と言って箱を渡しました。お母さんはプレゼントを見て、びっくり、その場で泣き出してしまいました。
「ありがとう。本当に嬉しいわ・・・・でもね、お母さん、もう靴を履いて外へ出られないかもしれないよ。・・・・・」
男の子はちょっと悲しげな表情になりましたが、開き直って言いました。
「大丈夫だよ、すぐよくなるからさ・・・・お母さんと水族館にいきたいだ。はけるように大きいのを買ったよ」
お母さんは涙をふきながら笑顔で息子を抱きしめていました。


今日のみ言葉は、時の大切さを教えています。
イザヤは「終わりの日」、と時を定めます。この終わりの日とは、直訳すれば「日々の終わり」です。神は日々わたしたちに道を示してくださっています。だからわたしたちはその道を選び歩むことができます。
パウロは「時」を、「眠りから覚める時であり、それはすでに来ている」といいます。
「夜は更け、日が近づいた・・・だから闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身に付けましょう」と真の光を纏っていくことを教えています。この光の武具はまさしくキリストの光です。
 今日の福音では、時がくれば一人は残され、一人は連れていかれると言っています。それは様々な出来事だったり、想定外のことだったり、病であったり、死であったりします。
わたしたちは いつ主人が帰ってくるかわかりません・・・・「だからあなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけないときに来る」とわたしたちを諭すのです。
 時にふさわしく、神様はお母さんにも男の子にも先生にもいのちの交わりの時間を与えてくださっています。わたしたちもいのちである時を神の交わりうちに過ごして参りましょう。

11月

           トラピスト修道院の聖堂
           トラピスト修道院の聖堂

死者の月を迎えて思う              

                                  

11月、カトリック教会では死者の月です。

多くの哲学者や神学者は常に死について語ってきました。しかし、未だに死について明確な答えはなされていません。

最近では東日本大震災で亡くなった多くの死者のことを思い浮かべますし、新聞の「おくやみ欄」は高齢化社会なのか、昔と比べると掲載されている名前は多くなってきています。

死について考えるときに、視点の捉え方によって内容が大きく変わってきます。

一人称の死(わたしの死)、二人称の死(あなたの死)、三人称(わたしたちの死)の死です。死は一瞬ですが、死を意識して死を迎える場合と、災害や事故で一瞬のうちに迎える死があります。ある人は言いました。「死ぬのは怖くないが、死ぬまでの間が怖い」と。

なるほど、余命何か月、治療方法、孤独、痛みの緩和など、この時間は本当に辛いものです。わたしも他人事ではなく、「わたしの死」(一人称)を意識したときには、どれほど動揺してしまうことでしょう。この世界から自分がいなくなってしまうことは、耐え難い苦しみに遭わなければならいのだと思います。自分は本当に存在していたのか。自分の存在は何だったのか。やはり草木のように枯れて、消えてしまうものかと、気丈でない自分がやがて訪れる自分の時を目の当たりにしたとき、どのようになるかは全く分かりません。

 自分の死を意識したとき、亡くなっていった親類、知人や信者さんのことを思い浮かべます。死ぬ間際まではっきりと自分の信仰を宣言した人たちの姿を見た時、自分にはこんなことはできるのかと何度も自問していました。わたしも最期にはその人のようになりたいと願うばかりです。

 あるいは、あんなに気が弱くて、誰かの助けなしには生きられない人とたくさん出会ったことを考えると、わたしが励ましの言葉をおくり、聖書の言葉をもって慰めても、何になるのかとふっと自分を疑ったことがありました。むしろ、わたしが死の体験をして、天国から手を握り、励ましているのであれば力強い助手になれるはずだと思います。死の体験もない、健康な人間が、「大丈夫、神様がいっしょだよ」と言ったとしても、それはまるで偽善者ではないかと思ったりします。

しかし、あんなに弱音を吐いていた人が、時を迎えて旅立っていったときに、自分の死を克服していったという姿に心が揺さぶられます。現実に迫りくる自分の死も、その人のお蔭で可能になるだろうと言う確かな希望が生まれてきたときは、大きな慰めになっています。どうか、わたしが死を迎えるときも、あなたのように生きられるよう祈ってくださいと祈っているわたしがいます。最近は逆に患者さんに祈ってもらうことが救いになるような気がします。

人間は若い時代には心身ともに躍動し、特に肉体的感覚は大きな影響を受けます。中年に入ると肉体の衰えを感じ、疲労回復に要する時間が長くなってきます。それと同時に肉体的感覚から抜け出すかのように知性や心がこの世界との関わりを強くしていくようです。老齢期には、多くの年配者からの証言から、肉体の老化は加速し、肉体的限界を感じつつも、知性の奥深さに導かれる魂の存在に平安と憩いを感じていくものだと教えられています。そこには何かに繋がり、何かに導かれているわたしたち一人ひとりの存在の大切さに気づかされます。

  死者の月を迎え、思いのまま綴ってみました。

わたしからすれば多くの死者は死者ではないと信じています。今もなお、永遠の生命のなかで、わたしたちと共に生きている人たちだからです。わたしたちはその人たちと何の関わりがないとは言えないのです。歴史を通じ、過去・現在・未来という時間の流れで、すべてのいのちが繋がって今も生き続けていることを思い巡らしたいです。

 

 

説教、20131124日  王であるキリスト

 ここ10年、病院に行くことが多くなりました。整形外科、耳鼻咽喉科、麻酔科、アレルギー科、歯科、内科、心療内科などの診察カードが20枚以上もなっています。

待合室から見えることもあるのですが、患者さんのカルテがびっしりと棚に収まっていました。整形外科の診療内容の場合は個々のレントゲンやMRIの画像の個人情報が収められています。

 大学病院ですと、40科に亘る診療部門がありますから、病状によってかなり診療分野が分けられています。なかなか完治しない患者さんにとって日々希望を持ちながらも自分の症状に不安を隠せないで毎日を過ごしていることになります。

 さて、病院のカルテですが、いろいろな病院にはいろいろな患者さんのカルテがあります。でも、わたしたちに一人ひとりにある「魂のカルテ」は誰がもっているのでしょうか。一人の人間として、今まで生きてきたという、誰も知らない真実のカルテというものは本当に存在するのでしょうか。自分にしか分からないカルテと言っていいのでしょうか。自分が正しい、相手が悪い、自分は悲劇の英雄で、すべての被害者だったのだ・・・あるいはが自分への嫌悪感、絶望、挫折、敗北・・・・・・・と言っても、それが本当に真実で正しいカルテであるということはこの世の人間には分からないことなのです。神様はその人が神の愛の招かれていく「神のカルテ」に近づくように願っているのです。

 

今日の聖書はサムエル記もパウロの手紙も、わたしたちの牧者、指導者について語り、それがイエスによって成就されることを語っています。

ルカ福音では十字架のもとで交わされる人々の思いが語られています。議員や兵士、盗賊のカルテ、そしてイエスが見る「神の子のカルテ」です。

議員や兵士たちイエスに対してあざけります。

「神の子なら、自分を救うがよい」。

イエスの両脇に磔になった二人の犯罪人の一人はののしります。

「お前はメシアではないか。自分と我々を救ってみろ」

すると、もう一人の方がそれをたしなめました。

「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに、我々は自分のやったことに対して刑罰を受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」

彼は続けて言いました。

「イエスよ、あなたは御国においでになるときには、わたしを思い出してください」。

するとイエスは言いました。

「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と。

 

 今日は教会の暦の終わりです。この世の栄誉、富、成功に頭を垂れるのではありません。自ら貧しくなられた神の子のいのちの足跡に頭を垂れるのです。そこに神がわたしたちに与えられている「魂のカルテ」を真実のものとして受け取ってくださると信じます。

わたしたちは洗礼の恵みを頂いたとき、3つの贈物が与えられました。それは「祭司職」、「預言職」、「王職」です。

「祭司職」はわたしたちが神を賛美し感謝するという祈りの賜物を授かっていることです。日々、神との対話を大切にし、祈りや典礼をもって自分を神にゆだねていく恵みにあずかります。

「預言職」は、キリストを信じる人々が神のみ言葉を自分のいのちとして預かる者とし、日々の福音を宣べ伝えることです。

そして今日、わたしたちは「王であるキリスト」を祝います。わたしたちはキリストの「王職」に招かれています。イエスの生涯をとおしてイエスが御父に仕えていったように、わたしたちもイエスの生き方に仕えていく使命に招かれているのです。一人ひとりが愛の証をする者として、与えられた場所で自分の花を咲かせていくことです。

 

アメリカのニューヨーク州にある病院の壁に掲げられている患者の詩があります。この詩には重篤だった患者が自分の人生を振り返り、たどり着いた思いが込められています。すでにご存じの方がおられると思いますが、教会暦の終わりにあたって、この詩を朗読しながら、イエスの受難を思い起こし、そしてわたしたちは何に向かって召されているかを黙想してみましょう。

 

病者の祈り

 

大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

 

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた

 

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

 

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
弱さを授かった

 

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることをよろこべるようにと
生命を授かった

 

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

 

 

 

 

 

年間第32主日  2013年11月10日

今日のみ言葉は永遠の生命について語っています。第一朗読のマカバイ書では信仰を貫き通す7人の子どもと母親の姿が勇ましく描かれています。敵の懲らしめに対して永遠の命を固く信じ殉教していく姿があります。第二朗読のテサロニケの中でも永遠の慰めということで、パウロは人々に励ましの言葉を送っています。
 福音書ではよくサドカイ派の人々とファリサイ派の人々は、共謀してイエスを陥れる箇所がでてきますが、今日はサドカイ派の人々がイエスに復活についての難題を突き付けています。
ここで簡単にサドカイ派の人々とファリサイ派の人々の死後の世界について説明しましょう。使徒言行録にはこう記されています。
「サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派は復活も天使も霊も認めているからである」(使徒言行録23・6~10参照)。

 サドカイ派の人々は、現世的な考え方しかしませんので、イエスと言われる復活についてたとえを出して問題と突き付けたのです。
 話の内容はこうです。7人の男の兄弟がいて、長男が嫁をもらいましたが、長男は子供を残さずに死んでしまいました。その後、その妻は、次男、三男・・・・・・七男に嫁ぎましたが、みんな子供を残さず妻だけ残して死んでしまったというのです。・・・・そしてサドカイ派のこれらの人々が復活した時、誰の妻になるのかという難題を突き付けたのです。
このような結婚を「レビラト婚」と言って申命記25・5に記されている規定の中にあります。子供のいないやもめがその兄弟と結婚できるという規定です。
サドカイ派の人々は復活も天使も信じないので、イエスが言う死後の世界、永遠の命について夫婦関係の行く末を論じたのです。
イエスは神の国ではめとることもなく、嫁ぐこともないと言いました。
でも、わたしたちはこの世に生きている限り、サドカイ派の人々のように現世的な考え方で来世を論じてしまうことがよくあります。
たとえば、
夫は言います。 天国にいったら、ずっとおもえと一緒にいよう。
妻も言います。冗談じゃないわ、わたしはあなたとは一緒にいたくないわ。
またある人はいいます。天国にいったら、いつもお腹いっぱい食べて、飲んで・・・・
いろんなところへ旅行しようね。・・・・・・やっぱり現世的になってしまいますね。

ある人はまた、天国に行くのはいやだな、酒は飲めなさいし、綺麗な人には会えない。
しまいに、天国ではいつも、祈りと断食だよ。
・・・・・・うん、やっぱりこれもこの世的な発想ですね。

天国は、わたしたちが現世的な思いで想像する限り、この世的な来世になってしまいかねません。
イエスがめとることも、嫁ぐことないと言われると、ちょっと悲しくなるかもしれません。しかし、神の国では嫉妬とか、妬みとか、物欲とか、食欲とか、そのようなものは必要がありません。太陽の光もなく、月の光もなく、孤独もなく、この世における愛されているという感覚よりも、はるかに超える真の愛されているという次元にわたしたちは招かれていると思います。
この世の栄冠、名誉、地位、また男女の関係からすれば、この世の恋愛とか、失恋とか、片思いとか、・・・・そんな発想ではないと思います。
自分の存在が何ひとつ欠けることなく、言葉では言い表すことのできない神の愛に包まれている状態であろうと思います。わたしたちは何の陰りも無い状態のなかで、まさに神様と共にある愛へ招かれていることと言えます。
イエスの神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神ということをおっしゃいました。わたしたちは神様を信じているといいながら、死んだ神に仕えやすい現実をもっており、恨み、妬み、憎しみ、嫉妬、物欲、様々な影が潜む生き方があり、それは死んだ神に仕えていることになるとも言えます。

ですから、サドカイ派の人々は思い違いをして永遠の生命を現世的考え方でイエスに問いかけているのです。
もしかしたら、わたしたちもサドカイ派の人々のような思いで日々、天国を論じ合っていることが多いでしょう。

             11月10日ミサ後七五三の祝福を行いました

七五三の贈り物を祝福される場﨑神父
七五三の贈り物を祝福される場﨑神父

2013年11月3日CLCでいらっしゃいました萱場基神父様にお願いしました。


  年間第31主日 萱場基神父様の説教


旧約聖書の「知恵の書」というのは何か生活をしていくうえでのノウハウ、役に立つ、何かやるときのヒントみたいのが書いてあります。何が知恵なのか。
ルカ福音書を朗読しました。「ザアカイ」徴税人の頭(かしら)、背が低かったので、わたしはちょっと親近感をもっています。ザアカイのところにイエスさまがやって来ました。イエスさまは知恵そのものなのではないか。知恵が服を着て歩いています。そういう方。ますます知恵とは何なのか。イエスさまって物知りなのだろうか。旧約聖書は大きく三つのジャンルに分かれています。一つは歴史書、二つ目に預言書、そして三番目にくるのが知恵文学です。知恵の書です。歴史書は趣がちょっと違っています。イスラエルの歴史、しかもイスラエルがどれだけ神さまに逆らって、裏切ってきたかという歴史です。それに対して神さまは忠実にイスラエルを心にかけて、いろいろなことを行ってくれます。預言者は裏切っているイスラエルに対して、「イスラエルの民よ、目覚めよ」。神さまはあなたたちを心にかけている。「神さまのことばを受け入れよ」と厳しくメッセージを告げられておられます。三つ目の知恵の書。どんな知恵が書いてあるのか。知恵とは神の御旨そのものなのです。神の愛そのものです。
今日読まれた「聖書と典礼・知恵の書」の下の方に、[知恵の書の10~19章は救いの歴史における神の知恵の働きを述べる。この箇所はエジプト脱出にあたって神が示されたエジプト人に対する忍耐の理由として、神の愛について述べている]と書かれています。モーセはイスラエルの人たちを連れて、エジプトから脱出します。いくら言ってもモーセの言うことをエジプトは受け入れず、イスラエルを解放しなかった。言うことを聞かないエジプトですから、出エジプト記では災いを下し、追っかけて来たファラオの軍勢は海にのまれて全滅してしまいます。そのようなエジプトに対し、神は糾弾します。なぜ神の御旨に従わないのかと、愛を注いています。エジプトにも立ち帰ってほしい。心をやわらかくしてほしい。それこそが神の御旨なのです。そういうことも知恵の書には書かれているのです。神さまは良い人も悪い人もすべての人が神に立ち帰ることを望んでおられます。神はすべてのものに愛を、知恵とは神の御旨そのものなのです。
ルカ福音書にでてきたイエスさま、この方は神の御旨・神の知恵をそのままご自分で現されたのです。福音書を読むと、イエスさまはどうしてこんなことを言うのだろう。どうしてこんなことをなさるのだろう。普通の常識では考えられないことがあります。不正な管理人が金をごまかしています。帳簿を操作しているのに、主人は褒めてくれます。わたくしたちの常識を超えています。神はすべての人を受け入れてくれるのです。福音書を読むと、罪びとの罪びとである徴税人ザアカイはどれだけため込んでいるか、わからないとんでもない奴です。イエスさまは悪党の頭のような、このザアカイのところにも来てくれます。「ザアカイ一人で降りて来なさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」。聖書と典礼の下の方に[直訳では「泊まらなければならない」。これはそのことが神の計画であることを表す表現である。]とあります。
イエスさまはあなたのところに泊まりたい。イエスさまはこう望まれました。悪党の頭のような、このザアカイのところにも神さまは来てくれます。神の計画といえば、それまでですけど。イエスさまは行きたくて行きたくて、しようがないのです。イエスさまは行きたいから彼のところへ行きました。
イエスさまはわたくしたちのところにも今日、訪れようとしています。あなたたち一人ひとりに、今日もこの教会に来ました。第31主日です。今日、教会に来ました。最初はあなたのところに、これから訪れます。わたしたちはご聖体、そしてイエスさまをいただきます。イエスさまが来てくれるのです。わたしはあなたのところにこれから訪れます。最初はあなたのところに、イエスさまが来てくれるのです。愛し、愛し、毎週日曜日に。感謝してイエスさまを今日もお迎えいたしましょう。

    田村神父様
    田村神父様

年間第29主日  集会祭儀での説教


 きょうの福音は「やもめと裁判官のたとえ」です。このみ言葉に耳を傾けていきますと、どちらも大胆な振る舞いでお互いに歩み寄っていることが分かります。
裁判官は神をも恐れず、人を人とも思わない人です。
やもめは裁いてほしいために、何度も何度もしつこく裁判官に請い願っています。裁判官にとってやもめは煙ったい相手ですし、やもめにとっては取り扱ってはくれない頑固な裁判官に思えてならないでしょう。
 けれども、最終的にこの裁判官は「あのやもめは、うるさくてかなわないから彼女のために裁判をしてやろうと折れてしまうことになるのです。」
 このたとえから、マタイ福音書の7章の7節にあるイエスの言葉、「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば開かれる」と重なってきます。
 昨年2月に97歳で亡くなられた田村忠義神父様のお話が心に残っています。25年前のことです。
 ひとりの人がキリスト教入門に与りたいと教会の神父を訪ねてきました。いろいろ調整するのですが、どうしても時間がとれないというのです。どうして時間がとれなかったのでしょうか。よくよく聞いてみると、その人の生き方の優先順位が大きく違っていたからです。
 その人は信仰を求めていると言って教会にきたのですが、それが第一の思いではなかったのです。その人には自分にとっての優先順位がありました。習い事があったり、レジャーに出かけたり、友達との約束があったりなどでした。ですから自分のやりたいことを最優先にし、ちょっと余裕ができた時間を信仰のためのキリスト入門の時間にあてたかったのです。
 田村神父様はいいました。本当に神を求めているのであれば、神様が望んでいることを最優先にしなければならない。自分の時間とは何か、今一番大切なこととは何か、人間は本当に求めようと思えば時間がとれないことは決してないと言います。田村神父様は、「それではあなたのために、夜の9時でも、11時でも、夜中でも時間をとることができる」と言われたのです。すると、その人ちょっと困惑して考えさせてくださいと言って帰って行きました。
 イエスはわたしたちに絶えず「求めなさい。叩きなさい」と言います。イエスの言葉は、全身全霊をもって魂の底から呼び求める神の声に応えるのであれば、自分の人生をも変える力があると言っているのです。
 田村神父様は続けていいました。何事も1回でひるんではいけない。1回、2回、それだけではまだまだ初歩の初歩………。10回駄目だったら、20回、それでもだめなら方法を考えて絶えず求めていかなくてはならない。正直言って100回駄目だったら200回まで、それでもだめなら500回、そのような意気込みで信仰の道も歩まねばならないと、叱咤激励をされていた記憶があります。
 だから、きょうの福音の終わりにイエスはこう言いました。「この裁判官の言いぐせを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをほおっておかれるだろうか」と。
 神の裁きとは神の愛です。求めるものがいれば神は、ほおっておかれることはないとおっしゃるのです。
 今日の福音は何事においても絶えず神を探し求めていく姿勢が必要であるとわたしたちに教えています。
 第二朗読のテモテへの手紙では、「自分の確信から離れてはなりません」と確信の持続を教えておられ、「折りがよくても悪くても絶えず励みなさい」と言われます。そして第一朗読ではモーセの忍耐が示されています。信仰年を迎えて1年を迎えようとしていますが、わたしたちはさらなる信仰の道を歩み続けていかなくてはならないでしょう。

2013年10月20日

 

聖母と二天使 フィリッポ・リッピ
聖母と二天使 フィリッポ・リッピ

2013年8月

 

聖母マリアにゆだねて

 

 去年の秋頃だったでしょうか。会議のために北26条教会から中央区のカトリック司教館までタクシーに乗りました。60代後半の運転手さんが話しかけてきました。

「あの、教会の方ですよね」

「はい、そうですが」

「かなり前のことなんですけど、北11条教会ってありますよね。そこのご高齢のご婦人をよく送り迎えしたことがあったんです。今思えば、とてもありがたく思っているんですよ」。

「はあ、どんなことですか」

「その方は東区役所の近くお住まいの方で、北11条教会の隣りのコウメイシャ(光明社)によくいかれてたんですよ」

「あっ、コウミョウシャ(光明社)ですね」

「あっ、コウミョウシャっていうですか。・・・・・・それでご婦人がお買い物をしている間に、わたしは車の中で待つことが長かったものですから、ある日お許しをもらって教会の聖堂の中に入らせていただきました。・・・・やっぱり聖なるところは心が落ち着くものですね」

「それはいいことですね」

「それから、しばらくして、そのご婦人が亡くなられ、教会の方へ走る機会もなくなってしまいました。それで、ある日、光明社へいってみることにしたんです。キリスト様の関のものがいろいろ並べられていたんですが、ふと、気になったのが、聖母様の絵でした。なんとく、心惹かれたのか、お美しかったのか、額縁にはいったその絵を買ったのです。そして家に帰って壁に掛けたんです」。

「へえ、それはいいことですね」

「そのときからなんですが、わたしは仕事に行く前に、聖母様の絵に向かって手を合わせるんです。今日も仕事が無事終えることができますように、と祈って家を出るのです。

そして、無事に仕事を終えて戻ってくると、一番先に聖母様の前で手を合わせて今日一日本当にありがとうございましたと言って感謝するのです」

「それは、素晴らしいことですね。一日のわざに感謝するんですね」

「そうなんです。聖母様に手を合わせていると、本当に安心して、わたしを見守っているような感じがするんです。ですから、今は天国にいらっしゃるあのご婦人がわたしに素晴らしいプレゼントをしてくださったんだと思うのです」。

「本当にそうですね。どうぞ続けてください。きっとまたいい出会いがありますよ」。

こんな話を聞いているうちに、車はあっと言う間に司教館に到着しました。すると運転手さんが言いました。

「ここも教会ですね。・・・・・失礼ですが、お客様は、牧師様でいらっしゃいますか?」

「いいえ、神父です。カトリックの神父です」

「あっ、そうでしたか。失礼しました。今日は本当にありがとうございました」

最近、わたしたちは家族がひとつになって祈ることが、ほとんどなくなってきているようです。いや、ないかもしれません。

しかし、この運転手さんはキリスト信者ではありません。聖母に心惹かれて、聖母にすべてを委ねてお仕事に励んでいたのです。

人はそれぞれ、ある出会いから何かに導かれていきます。信者であっても、なくても、感謝する人、感謝しない人がいます。

この運転手さんは日々感謝する人でした。神様はわけへだてなく多くの人々を招いてくださっていることを感じます。この人にも素晴らしい信仰があるのです。

まさしく聖母マリアは賛美と感謝を捧げる人でした。神はこの一人の乙女をお選びになって、人間となった神の子イエス・キリストの母としたのです。聖母マリアは神から与えられた自分の使命を喜びと感謝のうちに全うされたかたです。子供の苦しみは母親にとってもっとも大きな苦しみになることさえあります。神に寄り頼む者として聖母の信仰は不動でした。救い主の誕生を天使ガブリエルから告げられると、マリアは「わたしは主のはしためです。あなたのお言葉どおりこの身になりますように」とご自身を神様にお捧げになるのです。

   マリアの息遣いが聞こえています

   静かに息を吸い込むと、静かにはきだされます。

   それはマリアの祈りです。

 

   天の父さま

   どんな不幸を吸っても

   はく息は感謝でありますように

   すべては恵みの呼吸ですから   

 

         (後半の詩の作者は河野進牧師)

 

光明社:カトリック書店 札幌市東区北11条東2丁目、北11条教会の敷地内にある。 

 

2013年8月

 

 

2013年6月

 

聖体を通して働くイエス

-信仰と生活の一致を目指して

 

 教会典礼は聖霊降臨を終えて復活節から年間に入りました。イエスの宣べ

伝えた福音が、死と復活によって成就され、キリストによって呼び集められた人々のうえに聖霊が注がれました。教会は目に見えないイエス・キリストによって設立され、そこに集う共同体が見えるしるしとしてイエス・キリストを伝えていくものになります。教会は秘跡の賜物(洗礼、堅信、聖体、赦し、病者、婚姻、叙階)を授かっていますが、広い意味で教会は秘跡であると言われています。見えないキリストが見える共同体によって宣教されていきます。

共同体は受け身の状態ではなく、積極的にイエスのいのちに参与することにあります。

 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」とキリストが語られたように、わたしたちキリスト者はキリストのひとつの体となるために肢体(枝)となるのです。ミサの中で「キリストの体」という言葉を耳にして、わたしたちは「アーメン」と答えます。そのアーメンが真理に近づくことができるように、キリストのからだにふさわしい肢体となるように努めます。肢体がなくて頭だけのキリストはなく、キリストは頭とからだをそなえた全体的なキリストの姿です。キリストが頭とすると、われわれは肢体であり、全体的な人間とはキリストによってわたしたちが一つになるためです。

 

2年前に東日本大震災を体験した釜石小学校四年生の黒澤海斗くんの作文の一部です。

「(大地震が起きて)・・・・一カ月がたった。ご飯もだいぶよくなり、ご飯、みそ汁がでるようになった。このころになると店も開店して、買い物もできるようになった。母に、『何か買ってあげる。』と言われても、今何がほしいのか、前は、ほしい物がたくさんあったのに、今は何がほしいのか。わからないぼくがいた。あの震災からニカ月がすぎ、いろいろなことを感じ、そして生きていられる命の大切さを学んだ」。

今まで、あれもこれもほしいと言っていた海斗くんでした。すべてが失われて何もできない自分に言葉も失ってしまいました。でも、最も大切なものが何であるか気づき始めています。わたしたちも生活のなかから、神の呼びかけを感じ、苦しみを通して栄光を現されたイエスに倣いたいです。

62日(日)、「キリストの聖体の主日」を迎えました。週のはじめにキリスト者がイエスの死と復活を祝うために一つに集りミサを捧げました。彼らはパンを裂く式(主の晩餐)の中で賛美と感謝(エウカリスチア)を捧げ、キリストのいのちに参与し、ひとつになって結ばれました(コムニオン=一致)。まさしく、キリストのぶどうの木に繋がってわたしたちは一つになるのです。第二バチカン公会議後、日本の教会では1980年代後半に福音宣教推進全国会議(NICE)が開催されました。その中でわたしたち信仰者が陥りやすい「信仰と生活の遊離」が取り上げられました。パンを裂くこと(ミサ)と、日常生活とは決して切り離されてはなりません。イエスの似姿として、自分中心から神中心に立ち返っていくためにわたしたちはもう一度、イエスが残された聖体の意味について深く黙想してきましょう。

 

マルガリタ・マリア・アラコック
マルガリタ・マリア・アラコック

「イエスのみ心」の月を迎えて

 

67日、教会の暦は「イエスのみ心」

のお祝い日を迎えました。「イエスのみ

心」の信心は17世紀、フランスで広まり

ました。16756月、マルガリタ・マリ

ア・アラコックはご聖体を前にして、イ

エスの愛にこたえていきたいと強く願い

ました。そのときイエスが、愛情に燃え

ているご自身のみ心をお示しになり、人

々の間に欠けている冷淡な心を嘆かれ、

愛に倣ってその心を尊ぶことを勧められ

ました。このようなイエスとの霊的出会いが数回にも及び、キリストの聖体のお祝い日後の金曜日を「キリストのみ心」を礼拝する特別な祝日として定められました。

ある聖者はイエスのみ心の黙想をしながらこう祈りました。「できる限り、あなたが振る舞われたように行動し、毎日の生活の中であなたに倣いたいと思います。どうかあなたの心をもって感じ、御父と人々を愛されたあなたの心の思いを、私の心とすることができますように。弟子たちの足を洗ったときのあなたの細やかな心、あなたの人々へのまなざしの注ぎ方、苦しんでいる人々のために涙を流すまでの深い感情、そのあらわし方、どうかこの“キリストのまなざし”という恵みをわたしたちにお与えください。それはわたしたちの全生活を生かし、あなたの精神に従ってふるまうことを教えてくれます。あなたの「あり方」が今の「私たちのあり方」に近づくことができますように。

 

2013年6月