主任司祭 上杉昌弘神父

年間第23主日  2017年9月10日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 18章15~20節

[その時、イエスは弟子たちに言われた。]「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

好天! バザー風景

年間第21主日  2017年8月27日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 16章13~20節

イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。

陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

初聖体 風景

年間第20主日 2017年08月20日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 15章21~28節
[そのとき、]イエスは、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

説教

聖母の被昇天  2017年8月15日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 1章39~56節

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。

胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

年間第19主日   2017年8月13日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 14章22~33節
[人々がパンを食べて満腹した後、]イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。
夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

主の変容  2017年8月6日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 17章1~9節

[そのとき、]イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。
「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋

を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

 

説教

年間第17主日  2017年7月30日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 13章44~46

[その時、イエスは人々に言われた。]「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

 杉昌弘神父様の霊名お祝い 茶話会 風景

年間第16主日   2017年7月23日 「聖書と典礼」表紙解説

 

マタイによる福音

 

そのとき、1324イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。25人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。26芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。27僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』28主人は『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、29主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。30刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」36それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。37イエスはお答えなった。「良い種を蒔く者は人の子、38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

説教

年間第15主日  2017年7月16日  「聖書と典礼」表紙解説

マタイによる福音

13・1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。9耳のある者は聞きなさい。」16しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。17はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。18だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。20石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、21自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。23良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

年間第14主日  2017年7月9日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 11章25~30節
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

説教

年間第13主日  2017年7月2日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 10章37~42節

「その時、イエスは使徒たちに言われた。]「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

説教

年間第12主日 2017年6月25日 「聖書と典礼」表紙解説

 福音朗読 マタイによる福音書 10章26~33節

[その時、イエスは使徒たちに言われた。]「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者はわたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

キリストの聖体 2017年6月18日  「聖書と典礼」表紙解説

ヨハネによる福音書 6章51~58節音朗読
[その時、イエスはユダヤ人たちに言われた。] 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。 このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。 わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 それで、ユダヤ人たちは、 「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、 互いに激しく議論し始めた。 イエスは言われた。 「はっきり言っておく。 人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、 わたしはその人を終わりの日に復活させる。 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、 わたしもまたいつもその人の内にいる。 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、 またわたしが父によって生きるように、 わたしを食べる者もわたしによって生きる。 これは天から降って来たパンである。 先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。 このパンを食べる者は永遠に生きる。」

説教

三位一体の主日  2017年6月11日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ヨハネによる福音書 3章16~18節

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、 御子によって世が救われるためである。  御子を信じる者は裁かれない。  信じない者は既に裁かれている。  神の独り子の名を信じていないからである。

説教

聖霊降臨の主日  2017年6月4日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ヨハネによる福音書 20章19~23節

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、 弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。 そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、 「あなたがたに平和があるように」と言われた。 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。 弟子たちは、主を見て喜んだ。 イエスは重ねて言われた。 「あなたがたに平和があるように。 父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。 だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

説教

主の昇天  2017年5月28日 「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 28章16~20節

 [そのとき、]十一人の弟子たちはガリラヤに行き、 イエスが指示しておかれた山に登った。 そして、イエスに会い、ひれ伏した。 しかし、疑う者もいた。 イエスは、近寄って来て言われた。 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。 彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。 わたしは世の終わりまで、いつもあなたと共にいる。」

説教 

 復活節第6主日  2017年5月21日  「聖書と典礼」表紙解説  世界広報の日

福音朗読 ヨハネによる福音書 14章15~21節

 [その時、イエスは弟子たちに言われた]「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 わたしは父にお願いしよう。 父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 この方は、真理の霊である。 世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。 しかし、あなたがたはこの霊を知っている。 この霊があなたがたと共におり、 これからも、あなたがたの内にいるからである。 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。 あなたがたのところに戻って来る。 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。 わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 かの日には、わたしが父の内におり、 あなたがたがわたしの内におり、 わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。 わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。 わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

説教

復活節第5主日  2017年5月14日  「聖書と典礼」表紙解説

谷崎新一郎神父様をお迎えして

福音朗読 ヨハネによる福音書 14章1~12節

 [そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「心を騒がせるな。神を信じなさい。  そして、わたしをも信じなさい。  わたしの父の家には住む所がたくさんある。  もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。  行ってあなたがたのために場所を用意したら、  戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。  こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。  わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」  トマスが言った。  「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。  どうして、その道を知ることができるでしょうか。」  イエスは言われた。  「わたしは道であり、真理であり、命である。  わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。  あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。  今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」  フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。  そうすれば満足できます」と言うと、  イエスは言われた。  「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。  わたしを見た者は、父を見たのだ。  なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。  わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。  わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。  わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。  わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。  もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。  はっきり言っておく。  わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、  また、もっと大きな業を行うようになる。  わたしが父のもとへ行くからである。

場﨑神父様霊名お祝い会 風景

復活節第4主日  2017年5月7日  「聖書と典礼」表紙解説

世界召命祈願の日              主任司祭 上杉昌弘神父様の着任ミサ

福音朗読 ヨハネによる福音書 10章1~10節

 「はっきり言っておく。  羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、  盗人であり、強盗である。   門から入る者が羊飼いである。  門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。  羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。  自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。  羊はその声を知っているので、ついて行く。  しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。  ほかの者たちの声を知らないからである。」  イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、  彼らはその話が何のことか分からなかった。  イエスはまた言われた。  「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。  わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。  しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。  わたしは門である。  わたしを通って入る者は救われる。  その人は、門を出入りして牧草を見つける。  盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。  わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。

ミサ後 上杉神父様歓迎会風景

復活節第3主日  2017年4月30日  「聖書と典礼」表紙解説  

福音朗読 ルカによる福音書 24章13~35節

 この日、[すなわち週の初めの日、]二人の弟子が、エルサレムから 六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、  この一切の出来事について話し合っていた。  話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。  しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。  イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。  二人は暗い顔をして立ち止まった。  その一人のクレオパという人が答えた。  「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、  あなただけはご存じなかったのですか。」  イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。  「ナザレのイエスのことです。  この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。  それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、  十字架につけてしまったのです。  わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。  しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。  ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。  婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、  遺体を見つけずに戻って来ました。  そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。  仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、  あの方は見当たりませんでした。」  そこで、イエスは言われた。  「ああ、物分かりが悪く、
  心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、  メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」  そして、モーセとすべての預言者から始めて、  聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。  一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。  二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、  もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、  イエスは共に泊まるため家に入られた。  一緒に食事の席に着いたとき、  イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。  すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。  二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、  わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。  そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、  十一人とその仲間が集まって、  本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。  二人も、道で起こったことや、  パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

説教

2017年度当教会総会開催

福音朗読 ヨハネによる福音書 20章19~31節

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、  弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。  そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、  「あなたがたに平和があるように」と言われた。  そう言って、手とわき腹とをお見せになった。  弟子たちは、主を見て喜んだ。  イエスは重ねて言われた。  「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、  わたしもあなたがたを遣わす。」  そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。  「聖霊を受けなさい。  だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。  だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」  十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、  彼らと一緒にいなかった。  そこで、ほかの弟子たちが、わたしたちは主を見た」と言うと、  トマスは言った。  「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、  また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、  わたしは決して信じない。」  さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。  戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、  「あなたがたに平和があるように」と言われた。  それから、トマスに言われた。  「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。  また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。  信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」  トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。  イエスはトマスに言われた。  「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」  このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、  それはこの書物に書かれていない。  これらのことが書かれたのは、  あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、  また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

説教

復活の主日  2017年4月16日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ヨハネによる福音書 20章1節~9節

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。 「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。
 続いて、シモン・ペトロも着いた。 彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、 離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、 二人はまだ理解していなかったのである。

説教

ミサ後の茶話会、紙芝居風景

受難の主日  2017年4月9日  「聖書と典礼」表紙解説

 

入城の福音  マタイによる福音 21・1-11

 211イエスの一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、2言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。3もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」4それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。5「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」6弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、7ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。9そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」10イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。11そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

受難朗読 マタイ27・11-54  説教 主の受難

四旬節第5主日  2017年4月2日   「聖書と典礼」表紙解説

ヨハネによる福音
[そのとき、]ラザロの姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです。」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」さて、イエスが行ってご覧になると、ラザロは墓に葬られてすでに四日もたっていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もし、ここにいてくださいましたら、わたしのの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり。命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。[イエスは]心に憤りを覚え、興奮して言われた。「どこに葬ったのか。」かれらは「主よ、来て、ご覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにできなかったのか」と言う者もいた。イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい。」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタあ、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい。」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。

説教

四旬節第4主日  2017年3月26日 「聖書と典礼」表紙解説

佐久間力 新助祭と共同司式

[そのとき、]イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の眼にお塗りになった。そして、「シロアム--(遣わされた者)という意味--の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が 見えるようになって、帰って来た。近所の人々や、彼が物乞いをしていたのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。イエスは彼が追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼は「主を、信じます」と言って、ひざまずいた。

パウロ三木 佐久間 力 助祭

四旬節第3主日  2017年3月19日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ヨハネによる福音書 4章5~42節

[そのとき、イエスは、]ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。 正午ごろのことである。サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。 「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」 女は言った。 「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。
ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、 彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。 「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 女は言った。 「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。 救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。 今がその時である。 なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 女が言った。 「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。 「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」さて、その町の多くのサマリア人はイエスを信じた。そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、 自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。 彼らは女に言った。 「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

説教

四旬節第2主日  2017年3月12日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 17章1~9節

[そのとき、]イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、 高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。

 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。 「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。 一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。 「起きなさい。恐れることはない。」 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、 今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

説教

四旬節第1主日  2017年3月5日  「聖書と典礼」表紙解説

マタイによる福音書 4章1~11節

[そのとき、]イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。 「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。 「『人はパンだけで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、び降りたらどうだ。 『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、 天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、 世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。 「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

説教

四旬節の黙想会 「十字架の道行とイコンの霊性」主催 北26条教会養成委員会

お話:場﨑洋神父様

深い内容、ユーモラスなお話、皆様熱心に聴き入っていました。

年間第8主日  2017年2月26日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 6章24~34節

(その時、イエスは弟子たちに言われた。)「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

説教

年間第7主日  2017年2月19日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 5章38~48節

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

説教

「私は命のパンである」 聖ヨセフカトリック教会 セントラルシティ ケンタッキー  ステンドグラス wikimedia commons より