主任司祭 場﨑洋神父

年間第6主日  2017年2月12日  「聖書と典礼」表紙解説

 

福音朗読 マタイによる福音書 5章7~37節

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕  「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、 あなたがたは決して天の国に入ることができない。」あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかしわたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのでる。「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはなら ない。」「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのある。」

年間第5主日   2017年2月5日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 5章13~16節

[その時、イエスは弟子たちに言われた]あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」 

説教

年間第4主日  2017年1月29日  「聖書と典礼」表紙解説

マタイによる福音書 5章1~12a節

[そのとき、]イエスはこの群衆を見て、山に登られた。 腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、  天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、  その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、  その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、  その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、  その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、  その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、  その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、  天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、 迫害され、 身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。 天には大きな報いがある。」

説教

年間第3主日  2017年1月22日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 4章12~23節

イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、 湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、 異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、 死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、 二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、 湖で網を打っているのを御覧になった。 彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、 父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、 彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、 御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。

説教

新年会の光景

年間第2主日  2017年1月15日  「聖書と典礼」表紙解説

司式  森田健児 神父様

ヨハネによる福音 1.29-34

[そのとき、]ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。 「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。

わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、 『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

ヨハネによるイエスの洗礼(グイド・レーニ画)wikimedia下記より引用https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Guido_Reni_-_Baptism_of_Christ_(Kunsthistorisches_Museum)_.jpg?uselang=ja

主の公現  2017年1月8日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 2章1~12節

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。
 「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、 星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、 東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。 彼らはひれ伏して幼子を拝み、 宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、 別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

説教

神の母聖マリア  2017年1月1日 「聖書と典礼」表紙解説

第50回世界平和の日 教皇様メッセージ クリックして下さい

福音朗読 ルカによる福音書 2章16~21節

[そのとき、羊飼いたちは、]急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、 羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、 思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、 神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 八日たって割礼の日を迎えたとき、
幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

説教

新年交礼会光景

主の降誕(日中ミサ)  2016年12月25日 「聖書と典礼」表紙解説

ルカによる福音

2・15天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムヘ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

 

説教

茶話会光景

主の降誕(夜半ミサ) 2016年12月24日 「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 2章1~14節

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったのでガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 「いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。」

説教

ミサ後のパーティ風景

待降節第4主日  2016年12月18日 「聖書と典礼」表紙解説

 司式 新海 雅典 神父様

  1. 福音朗読 マタイによる福音書 11824

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。 母マリアはヨセフと婚約していたが、 二人が一緒になる前に、 聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 夫ヨセフは正しい人であったので、 マリアのことを表ざたにするのを望まず、 ひそかに縁を切ろうと決心した。 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。 「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。 マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。 その子をイエスと名付けなさい。 この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、 主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。」 この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 ヨセフは眠りから覚めると、 主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた。

聖ヨセフの夢  wikipedia下記より引用

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Dream_of_Saint_Joseph.jpg?uselang=ja

降誕節第3主日  2016年12月11日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 マタイによる福音書 11章2~11節

[そのとき、]ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、 尋ねさせた。 「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。 「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 目の見えない人は見え、 足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、 耳の聞こえない人は聞こえ、 死者は生き返り、 貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。 「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。 預言者か。そうだ。言っておく。 預言者以上の者である。 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。

説教

降誕節第2主日  2016年12月4日  「聖書と典礼」表紙解説 

マタイによる福音書 3章1~12節

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。 『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、 人々がヨハネのもとに来て、 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、 洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。 「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を結べ。 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。 言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 斧は既に木の根元に置かれている。
 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。
わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、 麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

説教

洗礼者ヨハネ、教えを宣べる アレッサンドロ・アローリ 下記wikimediaより引用

初めてのクリスマスチャリティーコンサート開催 会場一杯大盛況でした。 

降誕節第1主日  2016年11月27日  「聖書と典礼」表紙解説

マタイによる福音書 24章37~44節

[イエスは弟子たちに言われた。]人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、 人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。 人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。 家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、 目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。 人の子は思いがけない時に来るからである。 

説教

王であるキリスト 2016年11月20日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 23章35~43節

[そのとき、議員たちはイエスを]あざ笑って言った。 「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、 言った。 「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。 「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。 「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

説教

フラ・アンジェリコの磔刑を描いたフレスコ画 wikipedia 下記より引用

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fra_Angelico_072.jpg?uselang=ja

年間第33主日  2016年11月13日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 21章5~19節

[そのとき、]ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、 一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」そこで、彼らはイエスに尋ねた。 「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。 「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、 『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、 世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、 恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、 人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。 中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

説教

最後の審判三部作之一:神の大いなる怒りの日。ジョン・マーティン作  wikipedia 下記より引用

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%AF%A9%E5%88%A4#/media/File:MARTIN_John_Great_Day_of_His_Wrath.jpg

年間第32主日  2016年11月6日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 20章27~38節

[そのとき、]復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。

 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。 『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。 長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。 次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、 七人とも同じように子供を残さないで死にました。 最後にその女も死にました。

すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。 七人ともその女を妻にしたのです。」

イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、 次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。 天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。 死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、 主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」

説教

『キリストの復活』Szymon Czechowicz 18世紀 ポーランド wikipediaより 以下参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E6%B4%BB_(%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99)#/media/File:CzechowiczSzymon.1758.Zmartwychwstanie.jpg

年間第31主日  2016年10月30日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 19章1~10節

[そのとき、]イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、 背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。 「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。 「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。 「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

説教

年間第30主日  2016年10月23日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 18章9~14節

[そのとき、]自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して、イエスは次のたとえを話された。 「二人の人が祈るために神殿に上った。 一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。 『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、 姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、 胸を打ちながら言った。 『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

説教

「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ  wikipediaより引用

https://en.wikipedia.org/wiki/Pharisee_and_the_Publican

年間第29主日  2016年10月16日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 18章1~8節

[そのとき、]イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、 弟子たちにたとえを話された。 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、 裁判官のところに来ては、 『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。 『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。 「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、
 彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

説教

「やもめと裁判官」のたとえ wikipediaより引用

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Widow_and_Judge.jpg

年間第28主日  2016年10月9日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 17章11~19節

イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、 遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、 「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言ったイエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、 「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。 彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、 大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。 「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。 「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

説教

重い皮膚病を患っている10人の人をいやすイエス ジェームス・ティソ 下記より引用

https://en.wikipedia.org/wiki/Cleansing_ten_lepers#/media/File:Brooklyn_Museum_-_The_Healing_of_Ten_Lepers_(Gu%C3%A9rison_de_dix_l%C3%A9preux)_-_James_Tissot_-_overall.jpg

年間第27主日  2016年10月2日  「聖書と典礼」表紙解説

福音朗読 ルカによる福音書 17章5~10節

使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、 主は言われた。 「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、 言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、 『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。
お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。 命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。 自分に命じられたことをみな果たしたら、 『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

説教

アザミ

年間第26主日  2016年9月25日  「聖書と典礼」表紙解説

司式 佐藤謙一神父様

福音朗読 ルカによる福音書 16章19~31節

[そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。]「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。 犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、 天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。 金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、 宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。 『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかし、アブラハムは言った。 『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。 今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』 金持ちは言った。 『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。 『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。 彼らに耳を傾けるがよい。』 金持ちは言った。 『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、 悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。 『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」